着の身着のまま 2008-02-07 08:15:49 | 思い出はホロ苦く 薩摩から1万余の供を従え江戸に入った「篤姫 」の行列は、近衛家の養女として威厳を誇った壮大なものであったろう。 数年後には幕府が倒れ、無血開城となり「天璋院」は、一切の家具調度を持ち出さずに「着の身着のままで」城を出て一橋邸に向かったという。 泥沼のベトナム戦争に絡むピユーリッツア賞の写真で記憶に生なましいものがある。 冒頭の写真である。ぼかしてあるがナパーム弾に焼かれ裸で逃げる少女の . . . 本文を読む