ランダムなまず庵

 何事にも一寸手を出すが人並みに出来ず、中途半端なその日暮らし・・何でもありの風来ブログ、暇にまかせて「庵」ってます。

早すぎる遺書

2008-09-26 15:23:12 | 戦跡を訪ねて
 年功を積まれた方などは早々と遺書、資産家は財産争いを想定して遺言状を準備されているかも・・・・・これは余りにも若すぎる二十三歳の若者の遺書である。

 20年くらい前だったろうか、知人Sから、彼の叔父Tの遺書のコピーを貰っていた。特攻の当時、Sは満一歳であった。

 「一億火の玉!」だったのも事実である。「特攻」の親子達に迷いはなかったのは事実だったのだろうか・・・今、親として子として考える余裕を持つことも必要であると思う。

 謹啓 其後随分御無沙汰致し候・・私儀以来至極元気旺盛、飛行機を我が身として仇敵相手に進撃致居り候へば何卒御安心下され度候・・・・幸か不幸か再び内地の土を踏み候・・・一時敵の猛爆も味ひ奮闘仕り候 其の間幾多の戦友を失ひ候をご覧察被下度候 再び内地の熟し切った柿と黄金なす稲穂を見た時なつかしさと、神と化した戦友に見せたく存じ候男泣きか自然に頬を伝わり候何故私も彼らと共に戦死しなかったか、一人おめおめと帰り来て・・・・・先日来の新聞紙上ラジオで知る大戦果に沸き立って居るが如き見え候が私には小面憎く感ぜら候 その陰に余多犠牲となりし同胞幾人ぞ、誰の戦果にても有之申さず我々同僚が戦友がその中に私も参加し得て・・・・・今更ながら搭乗員となりし私は幸福過ぎる身なりと感謝致し候 愈々明出発せば私の身も又何処に消え果てるやら・・・お母上様何時ものお説通り弾丸に死すとも病に死すなのお言葉通りにT立派に戦死したと神仏の前で一言褒めて頂き候はば幸いこれに過ぐると思い不申・・・勇み立って出発致します明日の夕方はフィリッピンにて月の出を待ち居り候 では ご老体の身幾重にも御自重されて・・・
 尚、姉上様S君のお多幸をも合わせて・・・昭和十九年十月二十七日
 御両親様
  追而 遺髪、爪、品何も御座なく 戦死の公報派八ケ月乃至一ケ年後の事


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