母の実家での光景である。玄関前の側溝にはカニが這っていた。甲羅や爪の一部がドギツイほど赤色、周色だった。これを掴まえようとしたことは小学校時代にはあったのか・・。
海辺から然程遠くないところだったから・・・昭和20年前後のことである。あれから数十年、周辺は更に都市化が進みカニなどにお目にかかることはない。昭和30年までには撤退したようである。古い話である。
この写真は、昭和17、8年ころのものであろう。当時としては珍しいカメラマニヤの叔父が撮ってくれていたもので必ず左足を投げだしたポーズを取っていたようである。同じような写真も数枚あったが全部が「無くて七癖」である。
このあたりにはもう、小川も畑も田圃もない。お寺はある。付近の見慣れた、聞きなれた「隣家」などの表札は変わりないのが少し覗える。
この玄関はそのままであるが、表から裏に変わっている。
飛行機の座席や映画館の座席は通路側で左足が投げ出せる位置を選ぶことが多いのは「癖」なのだろう。
海辺から然程遠くないところだったから・・・昭和20年前後のことである。あれから数十年、周辺は更に都市化が進みカニなどにお目にかかることはない。昭和30年までには撤退したようである。古い話である。
この写真は、昭和17、8年ころのものであろう。当時としては珍しいカメラマニヤの叔父が撮ってくれていたもので必ず左足を投げだしたポーズを取っていたようである。同じような写真も数枚あったが全部が「無くて七癖」である。
このあたりにはもう、小川も畑も田圃もない。お寺はある。付近の見慣れた、聞きなれた「隣家」などの表札は変わりないのが少し覗える。
この玄関はそのままであるが、表から裏に変わっている。
飛行機の座席や映画館の座席は通路側で左足が投げ出せる位置を選ぶことが多いのは「癖」なのだろう。