あるところで蒐集品を見かけました。上京するまでは車窓からよく見かけておりました。
鉄の地に白の琺瑯びきか、線路際の家や納屋に掲げられていた。
シーボルト様の帽子の「仁丹」「一粒百メートル・グリコのゴールの選手の絵」雄鳥の「蚊取り線香」などが目に入ってきたものでした。
最近は、鈍行列車と違い高速度の新幹線ではズーッと遠方の山あたりにコマーシャルが出されています。
これは大きなものだろ . . . 本文を読む
トントントン コンコンコン
母さんお肩を叩きましょう・・・・ではありません。狐さんではありません。
今でもこんな光景というか、音がしているのだろうか、郷愁が蘇えってくる。
子供の頃、寝覚めるのは、包丁でまな板の上の味噌汁の野菜などを刻んでいる音である。白いエプロンを掛けた母とW、ダブルイングゥ~
昔の人は思い出すと思う。テレビもラジオの音声もないから・・・・
今の我が家では一切音無し . . . 本文を読む
つい最近、TVか何かで、「さるとりいばら(菝葜)」ということを初めて知った。
小中学校の頃、5月の節句には、母が柏餅を作ってくれた。米の粉を捏ね、餡を入れ丸めて蒸す。オヤツなどなかった当時は大変なことなのだ!
これを包むというか、二枚の葉っぱを上下に挟むのである。表面がツルッとして本当の柏の葉のように剥がすのに苦労をしない。
その時期になると山に行ってこの . . . 本文を読む
彫刻家で詩集なども多く出している高村光太郎との縁は、高校2年の時、詩を一遍、暗記する宿題があり、何となく選んだのが、「道程」である。
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ自然よ父よ・・・・これを一人ひとり発表した記憶がある。
光太郎の妻智恵子については、歌謡曲の二代目コロムビア・ローズが昭和39年に歌った「智恵子抄」東京の空 灰色の空 本当の空を見たいという・・・歌詞が何となく記憶 . . . 本文を読む
「チップス先生さようならーGood Bay Mr. Chips―」
この映画を観たのは何時頃だったろうか、昭和45年頃か?調べてみたら、1969年頃、ピーター・オトーウル主演とあった。
イギリスのあるパブリックスクールの冴えない先生が、旅行先のポンペイで女優のキャサリンと再会し結婚しての生涯の物語である。結構、感動連続のいい映画であった。
外に出て世界を見よう。そして、今度は世界に君を . . . 本文を読む
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども 長塚節である。
今、日本国中で「蚊帳」を使っている所があるのだろうか、TVの漢字問題に出されるようじゃ、もう前時代の遺物と化したのでは・・・(通販のカタログには載っている)
小学生の頃は、六畳の部屋の四隅に蚊帳の紐を掛けていた記憶があるが、背伸びしてそこに届く身長があったのだろう。
蚊帳がなければ、蚊の猛襲でとてもじゃないが眠れ . . . 本文を読む
藤村志保、池波志乃、京野ことみなどの名前は、なんか古風というか昔懐かしの感がしてならないのは私一人だけだろうか。実際、先の二人の出番は着物である。
三番目はズーと坂下ってアイドルセクシー画像もあるが顔は純和風、舞妓Haaaan!!!である。
とら、とめ、くまさんはもう聞かれなくなった。というのも誰もが名付けなくなったのである。私の祖母は、ことみ、さと、である。「子」なんて絶対にない時代だっ . . . 本文を読む
七夕の時期が来た。
暇なせいか、何故か子供の頃の「七夕」が思い出されてきた。
昭和23、4年頃の各家庭では、竹藪から切って来た笹に色紙を切って輪を連ねたのや網のようなものを作って飾り付けたりしていた。それに、茄子や胡瓜にマッチ棒の足を刺して動物に見立てて飾ったものである。
七夕が終わると川に流すのである。その時期の川は結構、笹の葉や野菜などが結構な数が流れていた。
笹の葉さら~さら~軒端 . . . 本文を読む
家庭菜園の雑草取りをしていて、フト目に入ったのが冒頭の写真の草である。
我が思い出の蛍草でこれを蛍篭に入れるておくのである。調べてみると本当の蛍草は別にあるようだ。
小学2年頃の初夏、蛍狩りの話である。
何処からともなくフワーリ、フワーリと飛ぶ蛍に誘われて田圃の方に浴衣で箒などを持って「蛍狩り」に行ったものだ。
店で直径5㎝位、高さ10㎝位の丸型、金網の「蛍篭」を売っていた。それが欲 . . . 本文を読む
明治・大正・昭和の町民が住む下町を彷彿とさせる光景が、今でも東京周辺では表通りから横へ入った町筋にまだ残っており静かに息づいている。
只、子供の声や姿はない。人の気配もあまりしない。日本中同じ現象である。
横丁(町)もだんだん消えていく。
日本中には数知れずあるうちで私の行ったのは、お伊勢さんの「おかげ」横丁、札幌の「ラーメン」横丁、大阪の「ジャンジャン」横丁、「法善寺」横丁、上野の「ア . . . 本文を読む
「具沢山」「律儀者の子沢山」この場合、だくさんと濁って言う。
「味噌汁に目玉が浮かんだ。アカザという植物が入れられていて、これが不味いものだった」これは戦時中の味噌汁のことの表現していたもので当時の手記を読んだことがある。目玉焼きではなく自分の目ん玉がお椀の底に映っていたということでお湯のようなものだったのだろう。
小学校4年頃から味噌汁の給食があった。当番がバケツに入ったのを教室に運ん . . . 本文を読む
「残り物には福がある」人が先に取って残っている物に思わぬ利得があることをいう。
そうだろうか、目の前にズラーッと品種や価値の明らかに違う物を並べられ好きなものを取ってもいいと言われたら、自分の価値観で取るだろう。殆んどが一般的に良いものと言われているもを取るであろう。後になるほどロクでもない物しか残らない。残り物にはもう福はないのである。
籤引きやジャンケンはどうだろう、ピンポンはどうだ . . . 本文を読む
受信状態の悪いラジオの前に家族が集まる。昭和27年頃のことである。「お父さんはお人好し」花菱アチャコ、浪花千恵子のコンビで、最後は必ず「むちゃくちゃでござりますがな!」で終わりになるのである。
「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」このナレーションで始まる放送が同じ時期にあった。これまた、ラジオの前に家族が集まる。菊田一夫の「君の名は」である。
この放送が始まる . . . 本文を読む
5月末の我が故郷は田植え前だった。それでもあちこちにツバメの巣があり、雛が啼いていた。
親ツバメが盛んに餌を運んでいる。餌の虫なども多くいるようだ。田植え時期になるとさらにスイスーイと飛び交うことは間違いないだろう。
小学校、中学校へ通った道などを散歩するのだが、子供の頃に遊んだ小川にも一時は姿を消していたメダカなどが戻ってきており目につくようになった。
うさぎ追いしかの山 小鮒釣りし . . . 本文を読む
近くの商店街を通った時ツバメが飛んでいた。30年位前はあちこちに巣があったが、最近では全く気にしていなかった。久しぶりという感じで当時に思いを馳せた。
なにしろ、商店街をスゥイースゥイーと行き交い、巣もアーケードに十や二十あり、子ツバメがピーピーギャーギャーと煩く、糞害に憤慨していたのだから・・・・・・・・・・・・・・・
それが、唯一あったのだ。子ツバメがいたので写真をと思っていて数日経 . . . 本文を読む