先日の奈良県での革新懇総会の際に、正倉院展を観てきた連れ合いが、福井の荘園の展示があった、と興奮していました。
図録をみると、現在の福井市の「糞置庄」の開田図でした。
本棚から、福井の文化財を考える会が発行した「越前の古代荘園 糞置庄遺跡の危機」を取り出し、再読しました。
これは1978年に発行された本で、執筆者は岸俊夫・京都大学教授、斎藤優・福井県文化財審議委員、平井健一・福井の文化財を考える会事務局長の三氏。
これを読むと、東大寺の荘園のなかでも越前のものはとくに中心的な役割を果たしていたこと、東大寺大仏の造営という大事業と密接な関係をもっていたこと、がわかります。
また、今回展示されている開田図のように、複数枚が正倉院に残されているのも「糞置庄」など限られているといいます。
ちなみに現在の福井市内では「道守庄」も巨大だったといいます。しかし、国体施設や住宅建設で消滅しました。
先日、文殊山の麓の寺をたずねた時も、田んぼのなかに「糞置庄」の掲示もあり、現在に生活する方々にもその意義はひきつがれているものと思います。
ところで、この書は当時の福井県の文化行政の貧困さを告発する書ともなっています。この「問題提起」は今日も有効であることは明らかでしょう。
わたしはカタログで我慢しようと思いますが、機会ある県民のみなさんは正倉院展に足を運ばれて、東大寺と福井のつながりに思いを馳せてくださいね。
図録をみると、現在の福井市の「糞置庄」の開田図でした。
本棚から、福井の文化財を考える会が発行した「越前の古代荘園 糞置庄遺跡の危機」を取り出し、再読しました。
これは1978年に発行された本で、執筆者は岸俊夫・京都大学教授、斎藤優・福井県文化財審議委員、平井健一・福井の文化財を考える会事務局長の三氏。
これを読むと、東大寺の荘園のなかでも越前のものはとくに中心的な役割を果たしていたこと、東大寺大仏の造営という大事業と密接な関係をもっていたこと、がわかります。
また、今回展示されている開田図のように、複数枚が正倉院に残されているのも「糞置庄」など限られているといいます。
ちなみに現在の福井市内では「道守庄」も巨大だったといいます。しかし、国体施設や住宅建設で消滅しました。
先日、文殊山の麓の寺をたずねた時も、田んぼのなかに「糞置庄」の掲示もあり、現在に生活する方々にもその意義はひきつがれているものと思います。
ところで、この書は当時の福井県の文化行政の貧困さを告発する書ともなっています。この「問題提起」は今日も有効であることは明らかでしょう。
わたしはカタログで我慢しようと思いますが、機会ある県民のみなさんは正倉院展に足を運ばれて、東大寺と福井のつながりに思いを馳せてくださいね。