薬屋のおやじのボヤキ

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カルシウムは、やっかいもの?!(その1)

2011年11月02日 | ミネラルが最重要

カルシウムは、やっかいもの?!(その1)

1 “皆が飲め飲め、牛乳を!”キャンペーン
 「日本人のカルシウム摂取量は欧米人の半分に届かず、これでは絶対的に不足するから、もっと摂りなさい。」と口やかましく言い続けられています。そして、「吸収の良い牛乳を毎日飲んで、カルシウムを補給しなさい。」と、国も、畜産業界も、お医者さんも、そう言います。また、食品業界も、カルシウム添加を謳い文句にした商品の販売に熱心です。
 さらには、一部の学者が牛乳は体に悪いと言い(確かにそうで、ここでも後ほど取り上げます)、健康産業では、これを大きく取り上げて、サプリメントでカルシウムを補給しなさいというPRに躍起です。
 こうして、だけもかれもが、カルシウム、カルシウムと叫び続け、カルシウムで一儲けしようと目論んでいます。
 でも、こんな国は、世界中で日本だけでしょう。
 牛乳を多飲する欧米では、カルシウムの取り過ぎ(原因はマグネシウムの相対的な不足によるミネラルバランスの崩れ)によって骨粗鬆症になると言われるようになり、また、牛乳の主成分である乳糖を消化できない乳糖不耐症の人がけっこういて、そういう人には牛乳は体に悪いから控えなさいと言われるようになっています。これは、10年以上前からの話です。
 でも、日本では、国(厚生省、文部科学省、農林水産省)は、こうしたことは一切言いません。この中で、一番たちが悪いのが文部科学省で、日本人の多くが乳糖不耐症であるにもかかわらず、学校給食で牛乳を無理やり飲ませています。

 こうなってしまう第1の原因は、これは資本主義経済の最大の弊害でもあるのですが、何でもいいから需要を生み出すことが最善とされるからです。なぜならば、GDP(国内総生産)を大きくすれば、国民が物質的豊かさを享受できることになるからです。
 この論理によって、カルシウムが欧米人の半分しか摂れてないからドンドン摂らなきゃいけないのは当然のことにされてしまうのですし、これ以外にも、食塩(ナトリウム)の摂り過ぎには
カリウム(野菜・果物)をもっと補給してバランスを取るべしとなり、油脂の摂取バランスが悪いから青背の魚の脂も積極的に摂りなさいとなるのです。
 日本も、国民の豊かさはGDPが全てではないとする北欧諸国を少しは見習いたいものです。酪農大国でありながら、デンマーク政府は、2011年10月1日、酪農を潰すような行動に出ました。何と、バターとチーズに“脂肪税”を課したのです。これは、飽和脂肪酸の摂取過多が心筋梗塞の大きな原因になっていることから、国民の健康を考えて、その消費を落とそうとするものです。政府の見込みでは、この課税によって消費が15%落ち込むとのことです。

 第2に、一旦こうと決めたら決して変えようとしない日本国政府の官僚体質にあります。たとえ間違いであることが分かっても訂正しようとしない。改定するのは、米国からの圧力があって、米国に追従して変えるだけである、と言っても過言ではないでしょう。
 ちなみに、成人のカルシウムの所要量(必要とする量)は、米国が適切摂取量(これ以上摂る必要がない量)として1000mg、日本が600~800mg(男女差、年齢差で50mg単位で設定)であるのに対して、小柄なイタリア人は500mgとなっています。
 なお、日本人の成人の摂取量は500mg強で横ばい状態です。


 カルシウムを補給しても背は伸びない
 さて、戦前の日本人のカルシウム摂取量は、1日当たりせいぜい400mg程度であったと推計されていますが、カルシウム欠乏症を呈する人はいなかったと思われます。
 今日においても、国や民族によっては、300mg
程度のカルシウム摂取量であっても、何ら問題が起きていません。
 要するに、普通の食事をしていれば、カルシウム欠乏症にはならないのです。
 しかし、戦後の日本においては、戦勝国の米国に追いつけ追い越せとばかり、何もかもアメリカナイズされる風潮になりました。
 これは、GHQの方針でもありましたが、日本人は易々とこれに乗ってしまったのです。
 カルシウムについても正にそうなりました。
 日本が米国に負けたのは、日本人は背が低かったからであり、背を伸ばすにはカルシウムだ、牛乳を飲め、となってしまったのです。スタートは、カルシウム摂取不足だからカルシウムを摂れというのではなく、体位向上のためにカルシウムを摂れであったのです。

 たしかに戦後の日本人の平均身長は伸びてきていますが、その原因は、カルシウムの摂取量が増えたからではありません。
 
骨は鉄筋コンクリートにたとえられるのですが、骨を伸ばすには、鉄筋に相当するコラーゲン(骨の成分の2割を占めるタンパク質)を体内で十分に合成すればよく、その原料となるタンパク質を摂ればよいのです。コラーゲン(鉄筋)が十分にできれば、後はカルシウム(セメント)が勝手に張り付いてくれるだけのことです。
 でも、日本人の平均身長が伸びたと言っても、とても米国人(アングロサクソン系)に追い付けるものではありません。これは、民族性によります。
 寒い地方の民族は背が高く、暑い地方の民族は背が低いです。北欧人は極めてノッポですし、英国人となると少し背が低くなり、イタリア人となると日本人と変わりません。
 動物は皆そうした傾向があり、寒さをしのぐには体表面積を相対的に小さくするために体を大きくするのですし、暑さをしのぐためには逆に効果的な放熱をするために体を小さくするのです。日本の梅雨時から梅雨明け後の蒸し暑さをしのぐには体が小さい方がよく、よって小柄な方が適しているのです。

 牛乳を飲むことが定着しない日本人
 さて、戦後間もなくして、米国からの食糧援助として脱脂粉乳が大量に供給され、学校給食で毎日出されるようになりました。吸収の良いカルシウムがたっぷりだから、これを飲めば背が高くなると言われ、飲み残そうものなら先生に叱られたものです。団塊の世代の小生の時代がそうでした。熱ければ何とか飲めましたが、温くなると飲めたものではありません。いっそのこと粉のまま舐めた方がましでした。
 それに合わせて、酪農振興が強力に推し進められるようになり、牛乳が普及をし始め、朝は牛乳を飲むという朝食の洋風化が進み、また、学校帰りに喉が渇いたら牛乳を飲むという習慣が定着していきます。
 こうして牛乳に馴らされた団塊の世代ですが、大人になれば牛乳離れしていき、欧米人のように毎日飲む人は少数となってしまい、これは次世代でも同様です。
 なぜに、牛乳が定着しないのか。
 農林水産省が躍起になってPRし、厚生労働省を動かして骨粗鬆症で脅し、文部科学省と結託して体位向上を叫んでいるのですから、日本人皆が牛乳を毎日1本ぐらい飲むようになってもよさそうなものですが。
 これは、日本は食が豊かで、かつ、バラエティーに富んでおり、同じ飲み物を繰り返し毎日何度も摂っていては飽きが来るのが最大の要因ではなかろうかと小生は捉えています。それだけ日本は食文化が豊かなお国柄なのではないでしょうか。

 そもそも、人類が動物の乳を飲むようになったのはいつからか。
 これは比較的新しい食文化と思われ、概ね1万年前に中東で羊や山羊が家畜化された後の出来事でしょう。その後、牛の家畜化によって牛乳が飲まれることになったのでしょうが、乳を多飲する食文化は、他に食べるものがなくて、やむを得ず家畜の肉と乳に偏った食となり、これがいつしか定着してしまったと考えて良いでしょう。

 ここで、日本人の牛乳を飲む文化について、紹介しておきましょう。
 記録にあるのは、醍醐天皇の時代に、主に貴族が諸国から貢物として献上させ口にしたとありますが、その後はすたれてしまったのでしょう。記録にありません。
 そして、幕末に、興味深い逸話が残っています。
 米国が下田に領事館を置き、初代領事ハリスが幕府に牛乳の提供を申し出たのですが、幕府は、「牛は、農耕、運搬のためにのみ飼い置いており、養殖は全くしておらず、まれには子牛が生まれるが、乳汁は全て子牛に与え、成育させるがため故」と理由を説明し、「牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りおよび候」と拒否し、ならば雌牛を提供してくれという申し出に対しても、同様に断固として拒否しています。
 ところが、その1年半後、ハリスが重い病に臥したため、幕府は、何としてもハリスを死なせてはならぬと、あれほど望んだ牛乳であるから、どれだけかの効果はあろうと牛乳を差し出し、それ以降、各国領事館へも牛乳が販売されるようになったとのことです。
 このように、人が牛乳を飲むという行為は、生を受けたばかりの生き物を“飢え死に”に至らせる、“かすめ取り”以外の何物でもなく、これは“鬼畜の行い”
であると、当時の日本人は捉えたのでしょう。
 よって、戦前においては、いくら欧米文化を積極的に取り入れようとも、日本においては牛乳文化はほとんど広まらなかったと言えましょう。
 しかし、敗戦によって、価値観が変わり、また、変えさせられ、牛乳を飲むことへの抵抗感が消失してしまったのです。

 日本人に牛乳は必要か?
 ところで、母乳を含めて動物の乳にはどのような効果があるのでしょうか。
 主成分は3つです。エネルギー源となる乳糖、体細胞を増やしたり骨の元を作る原料となるタンパク質、骨を完成させるリン酸水素カルシウムで、いずれも消化吸収しやすいものになっていて、消化器が未発達な乳飲み子に適しており、実に理に適ったものになっています。
 しかし、これは乳離れまでのことであり、その後も体は成長していきますが、乳は離乳後の子供に一気に適さないものになります。
 まず、エネルギー源の乳糖ですが、その分解酵素が離乳によって分泌されなくなり、消化不能となるのです。そして、骨の形成速度が落ちますから、骨に回らない
リンとカルシウムが体液中にあふれるのです。
 ところで、1万年ないし数千年前から動物の乳を常飲するようになった民族は、いつしか乳糖分解酵素を離乳後も働かせる能力を獲得し、乳糖をエネルギー源としてしまいました。もっとも、全員が全員そうなったものではなく、それらの民族においても、民族によって差はありますが、今日でも乳糖不耐症の人の割合は少なからずあるようです。
 さて、この消化されない乳糖は、有害なのか無害なのかですが、過敏な方は下痢しますから、有害と言った方がよいでしょう。無害なものであれば、わざわざ下痢という無駄な生体反応を起こさないでしょうからね。
 このように、乳なるものは、江戸幕府が言うように、乳飲み子の占有物であって、離乳以降は飲んではならないものなのです。
 2つ目のタンパク質については、そのもの自体は何ら問題ありませんが、動物性タンパク質の摂取過剰という別の問題のもとになります。
 3つ目の
リンとカルシウムの取り過ぎの問題について取り上げてみましょう。
 リンの過剰摂取は生命現象を円滑に進める上で様々な支障を生ずることは、言い尽くされていますが、生き物にとって、これは極論ですが、格別にはたいした問題にはなりません。たいていは、いずれ溶け出して排泄が可能だからです。
 それが、カルシウムとなると、過剰なものをリンのように処理できないのです。
 場合によっては、過剰なカルシウムがどこかに沈着してしまい、一旦そうなると、死ぬまで永久に残ることになります。
 なお、こうなってしまう本質的な原因については、次項で述べることにします。
 こうしたことから、牛乳なるものは、摂る意味がないどころか、害になる代物なのです。

 海生動物に一番厄介なミネラルがカルシウム
 ここで、海水の組成(水を除く)を見てみましょう。塩素、ナトリウムの2元素が突出して多く含まれ、これでもって約90%を占めています。次に、マグネシウム、硫黄、カルシウム、カリウムの4元素がパーセントオーダーで含まれ、4元素合計で9.0%、その他が全部で0.4%となっています。ちなみに、リンは0.0002%とわずかです。
 この比率は生命が誕生した太古からほとんど変わっておらず、今日の濃度は生命誕生時の約3倍になっていると考えられています。
 生命誕生時の生物にとっては、海水中の主要6元素の濃度がそのようになっていても問題なかったでしょうが、生物が進化していくに連れ、動物にあっては、細胞中のカルシウム濃度を海水の1万分の1程度に極端に小さく保たねば生命活動に支障を来たすようになりました。
 そうなると、細胞内に入り込んだカルシウムをひたすら排泄するしかなく、それが上手にできないとなると、単細胞動物であれば細胞膜の外に、多細胞動物であれば体表の外に沈着させるしかなかったのです。
 こうして、サンゴや貝の類が炭酸カルシウムの形で固形物を身にまとうことになり、その死骸が積もり積もって石灰岩を形成するに至ったのです。
 その後に進化した脊椎動物にあっては、この不用なカルシウムを体の芯に集め、骨を形成することになったのですが、そもそも骨の起源は、ゴミ捨場だったのです。
 なお、海水の主要6成分の中で、カルシウムだけが固形物になるのは、他の5成分は水に溶けやすいからです。ただし、硫黄は元素のままでは不溶性ですが、酸化されて可溶性の硫酸イオンとなって、沈着することはないのです。

 このように、海生動物にとってはカルシウムは厄介物であって、各細胞はカルシウム・ポンプでもってカルシウムを細胞外へ排泄する機能を獲得するに至ります。また、ナトリウムも同様に厄介物で、各細胞はナトリウム・ポンプも持っています。
 多細胞動物にあっては、細胞外に排泄されたカルシウムやナトリウムは、細胞外液つまり体液に溜め込まれます。
 一方、体液中のカルシウムやナトリウムそして他のミネラルの濃度は生命誕生時の海水と同等の濃度になっており、これを維持せねば生命が保てません。
 しかし、億年単位で時間が進むに従って、海水中のミネラル濃度がどんどん高くなっていきますから、高濃度のミネラルが体内へ浸透しないようにし、また、体液中の過剰なミネラルを排泄せねばなりません。つまり、海水の塩分濃度が高まることによって、動物にあっては、全てのミネラルが厄介物になってしまったのです。
 そのために、動物は、過剰なミネラルの排泄機能も獲得するに至ったのでしょう。

 陸生動物はミネラルを逃さない機能を獲得
 さて、その動物が、やがて陸へと進出し、海水から真水へと環境ががらりと変わります。真水には厄介物であったミネラルがほとんどないですから、食べ物(植物)からミネラルを取り込み、簡単には排泄しないようにせねばなりません。各細胞は従前どおりのミネラル濃度を維持せねばならないのは当然ですし、各細胞が正常に働くには、細胞外液つまり体液も生命誕生時の海水と同等の濃度に保たねばならないからです。

 よって、陸生動物は、腸で食べ物からミネラルの能動的な吸収を行うようになり、また、腎臓において原尿からの能動的再吸収を行うようになったのでしょう。
 こうして、細胞内液、細胞外液ともに、海生時代と同じミネラル濃度を保つことを基本とするようになります。
 なお、陸生動物において、あるミネラルが細胞外液に十分な濃度で存在するとなると、そのミネラルを食べ物から能動的に吸収することを抑制するようになり、また、そのミネラルの腎臓における再吸収も抑制されることでしょう。こうして、細胞外液中のミネラル濃度を一定に保っていると考えられます。
 そして、動物それぞれの種に適した食べ物があります。それが守られておれば、絶えず不足気味なミネラルはしっかりと吸収・再吸収されるでしょうし、過剰気味なミネラルは、能動的な吸収・再吸収を抑制する機能が円滑に働いていることでしょう。
 こうして、陸生動物は、食べ物にミネラルが少なくても、生命を維持するための十分なミネラル濃度を生体内に保持できるように進化したのです。
 もっとも、塩分を多く含んだ土やそこから湧き出す水を食べたり飲んだりすることがありますし、オランウータンにあってはそうした場所から遠く離れた所には住まないと言われていますので、ミネラルが不足気味なこともどれだけかはあるようです。

 さて、問題はヒトです。
 ここから先はページを改め、「カルシウムは、やっかいもの?!(その2)」で記事にすることとします。かなりの長文になってしまい、恐縮ですが、引き続きお付き合いください。


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