『福運集団の社長奮闘記』

私が感動した事・驚いた事・日々感じた事をたくさん綴っていきます!

嫉妬心(しっとしん)

2013-01-25 21:01:05 | 遊び

情念の炎に悶え苦しむ・・・・。

 

 

(嫉妬し狂う修羅界の人間の心は、物事の見方までが全く変わってしまいます。河川の水を大火と見るのですから、通常ではありません。こうした生け花のススキも、嫉妬し狂う人間から見れば、うっとおしく汚い、塵芥の類の不要物にしか映らないのです・・・・・。)

 

 

 最近は、喧嘩ができることが、少なくなってきているようです。表面的には、良いことだとは思います。小さい子供のころから、喧嘩をすると、よく親に怒られたり、学校の先生に怒られたり、確かに喧嘩はいけないことかもしれません。しかし、喧嘩をしないということはどういうことでしょうか・・・・・?

 

 (聖徳太子の『和を持って尊しとする』という言葉は、喧嘩をしてはいけないということだったのでしょうか・・・・・・。含意は、そうではなく強固な和を作ることなのではないかと、私は思っています・・・・・。そのためには、喧嘩{議論・激論}も必要でなないかと私は思っています・・・・・。)

 

 

 どんな人間も、怒るという感情は持っています。・・・いや、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりと、いろんな感情を自由自在に出して、失敗をしながら自らが学び、そして、悟りながら人間は成長していくようです。そうした多くの経験は、子供時代には、絶対に必要な経験ではないかと思います。

 

(古民家の再生も、ある意味、古い文化と新しい文化のぶつかる喧嘩にも当たるのではないかと思います。そうしたぶつかりの中から、素晴らしい新しい調和の空間が生まれ出てきたりして、多くの人の心に感動を与えていくのではないかと思っています・・・・・・。)

 

 

 

 ところが、近年の子育てや、学校教育の中においては、喧嘩をすることを、厳しく戒めています。そのケンカっていったいなんなんでしょうか・・・・?集団生活の中で、自分の思い通りにならないことへの怒りを相手の責任と思ひ、激しくぶつかることでしょうか・・・・。そうした行動が、いけないことだとして、止められ自身の怒りの感情を押し殺して生活をすることが、優等生だという、純粋な子供の心を捻じ曲げていくことに繋がって行っているのではないかと、大きな疑問になってきているのです・・・・・・。

 

(自然界の災害も、ある意味では、人間社会と自然界との喧嘩に該当するのかもしれません・・・・。・・・・いやそんな喧嘩はあってはならないのです。多くの人命が奪われ、深い悲しみのどん底に突き落とされて、人間の無力さがますばかりで、なすすべが見つかりません・・・・・・。しかし、尊い命が犠牲になり、その命を決して無駄にしないためにも、その悲しみを乗り越えバネにして、より強固で、安全な社会を作り上げていくことができるのです・・・・・・。)

 

 

 そんな形で、大人になって行ったらどんなになっていくのでしょうか・・・・・・。性格が大きくゆがめられて、言いたいことが、まともに言えず、まともに喧嘩ができないがゆえに、物事のとらえ方が、常にねじまがった考え方に陥り、心の中身が、嫉妬心の温床となって蓄積されていくのでなないかと、大きな危機感を感じ始めているのです・・・・・・。

 

(芸子の技の上達も、自分自身との戦いに、喧嘩に打ち勝っていく中で、成長し上達していくようです・・・・・・。)

 

 

 嫉妬心は、どんな人間も持っています。しかし、そうした心を諌め、抑えていくことができるのは、数多くの喧嘩の経験があるほど、相手の痛みや、自身の愚かさが、わかる自制の勇気ある心こそが、生かされていくようにしか考えられません・・・・・。

 

(そうして出来上がっていく古民家の空間には、優しさと安心感と温かさが備わり、日々の活力を与え続けてくれるのです・・・・・・。) 

 

 

 坂本竜馬が、ねしょんべんたれで、泣き虫であったという坂本竜馬も、きっといつも喧嘩をして泣かされて帰ってきていたのでしょう。   そんなかわいそうな竜馬を、いつも励まし、けんかに負けないようにと剣術から始まって、いろいろと教えて母親の役目を果たしていったのが、乙女ね~やんだったようです。そうした姿の中には、子供時代の感性を、そのまま自由奔放に伸ばし、人を思いやり、勇気を与える素晴らしい人間性へと成長していったようです。

 

(自由奔放で、型にはまらない、豪快な土佐の高知の本領を、今こそしっかりと発揮する時ではないでしょうか・・・・・。) 

 

 

 嫉妬心は、情念という地獄の炎に悶える人間の敗北した不幸な人間の末路の結果ではないかと思います。 哀れで悲しい姿です。・・・・・暗きから暗きへと底へ底へと沈んでいく以外にないようです・・・・・・。そうならないように、おおいに喧嘩をして、腹を割って話し、お互いの心の痛みを分かり合えて、支えあい、守りあう社会を私たち大人が模範となって作らなければならない時代のようです・・・・・・。

 

 

(新しい時代の未来への流れは、私たちが今作っているのです・・・・・・。責任は私たちの生き方にかかってきているようです・・・・・・。) 

 

 

 

本物の木の家・ http://www.iwaki-mitown.jp/

 

  

古民家ときめき再生 http://iwaki-mitown.com/

  

 

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