『福運集団の社長奮闘記』

私が感動した事・驚いた事・日々感じた事をたくさん綴っていきます!

インテリア随想・小原先生の「原点」

2008-07-31 17:05:35 | Weblog
知らない事を知る!


(野に咲く雑草どくだみの花です。じっと目を凝らすと見えてきます。誰に見せるともなく、咲き香り光輝いている花が自然界には、いっぱいあります。)



 こんにちは、今日はとってもいい話を知りましたので、紹介します。


そうです!小原二郎先生の原点となっている”とってもいい話” です。


小原先生が今春卒業される学生たちに送られたはなむけの言葉なんです。



 タイトルは、『知らない事を知る』  
         新村出(しんむら いずる)先生のひと言



 小原二郎先生は現在、千葉工業大学で常任理事をされている。御歳92歳にして

堂々たる現役の中枢で活躍されています。


(話をされる小原二郎先生、とても92歳の御歳には見えません。本当に若い小柄な謙虚な大先生です。)


今春若い学徒二千余名の卒業式で、巣立つ学生たちにはなむけの言葉をということ

で、述べられた言葉ですが、私も読ませて頂いて本当に感動し、感服いたしました

ので、ぜひとも皆さんにご紹介したいと思います。特にこれから社会のリーダーと

なられていく若い皆さんには、是非見ていただきたいと思いました。





 小原先生は、先の世界大戦のときは、兵役で4年半服務し終戦で故郷に帰られ昭

和17年に京都大学の学生となったときに、新村出先生の定年講義を聞く機会に

恵まれたそうです。これが、小原先生が恩師新村出先生と出会われた最初であった

そうです。(偉大な人には、やはり偉大な師匠がいるものです。)




 新村出先生は、わが国の国語の国民的大辞典である『広辞苑』(昭和30年刊行)

を自身の生涯をかけて編集された方ですが、昭和17年当時はまだ編集途中で、今の

ようにコンピューターなどない時代です。


(西暦1876年生まれの新村出先生です。国民的大辞典である『広辞苑』を生涯をかけて作り上げた方です。)




 あの辞典の原稿は、毎朝奥さんが新聞や雑誌を集めて、その中から新しい言葉を

探し出して切り抜き、何百冊というスクラップブックにはりわけた。その山のよう

に積まれた資料を整理して、辞典の原稿が作られたそうである。


(数十年の歳月をかけて出来上がった国民的大辞典『広辞苑』です。大事業の裏には、奥さんの影の力の存在が大きいものですね。偉大な人には偉大な女性の存在があるものです。)



そうした話を新村先生は、とつとつとして語られ講演の結びに『私は、定年になって、何も知らなかったと言う事をようやく知りました』と語られたそうです。




 国民的大辞典『広辞苑』を生涯をかけて編集されたあの大先生の、この謙虚な言

葉を聞いて、当時学生の小原先生は全身が凍りつくような感激を受けた事を、今も

はっきり覚えているとのことです。




 当時の京都大学の定年は60歳であったから、その後苦労はなお10年も続いて、辞

典は完成したことになります。




 小原先生は、この恩師新村先生のこの言葉を聞いてから、70年近くになるが、今

もその言葉を忘れないし、それを語られた場面の新村先生の姿も目に浮かぶそうで

す。そして、新村先生の尽きる事のない探求魂と研究に対する熱情は、小原先生の

生涯を通じての手本となったとの事だそうである。




 そして最後に小原先生は、こう締めくくられているのです。

「私は、先生のこの言葉を卒業生諸君に伝える事にした。そうすれば私の任務を果

たすことが出来そうに思い、ほっとしたのであった。」と・・・。


(この花のように、何時も初々しく、自身が精一杯個性を輝かせていくような熱情ある人間に育っていく事でしょう。)




 私は、ここに小原二郎先生の原点を垣間見た想いで本当に感動いたしました。大

先生にも、それを教えてくれた大先生がいる。その大先生が、人生定年を迎えるそ

の時に、「私は、何も知らなかった事をようやく知りました。」との言葉。

 それを生涯の指針として実践され、若い未来のリーダーにバトンタッチされてい

る小原先生の生き方に心から賛同し、賛嘆し、私もその一分に加わって行きたいと

決意しております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする