『福運集団の社長奮闘記』

私が感動した事・驚いた事・日々感じた事をたくさん綴っていきます!

超高層ビルと茅葺の庵

2008-07-30 19:22:40 | Weblog
日本を代表する木造建築の巨匠からの『手紙』!!


 本当に、びっくりです。


(若かりし小原二郎先生です。木の文化、木の事については世界的権威の大先生です。)



(西暦607年に創設された法隆寺ですが、この国宝の修復工事にかかわられたのが、小原二郎先生です。)




私が、建築の分野で最も尊敬をしている小原二郎先生から、又素晴らしいお手紙と

小原先生の書かれた論文の写しを頂いたのです。


 テーマが何と、『超高層ビルと茅葺の庵』 と言うなんとも興味深いテーマで、私の為に書いて頂いたようなテーマです。


(談笑されている小原二郎先生です。92歳の喜寿を迎えられたとは思えない若さです。)


(1300年経った法隆寺の桧の柱も、小原先生の調査の結果、現在の新しい桧の柱よりまだ強くて硬くなっている驚くべき調査結果がでているのです。)




 私は何時も頭が下がる想いで小原二郎先生からのお手紙を拝見させていただくの

ですが、本当に謙虚な、人間的にも凄い先生だと事ある毎に社員にも語っていま

す。建築を極めに極めぬいた大先生に在っても、尚一層謙虚に、偉ぶる事無く振舞

われているその姿に何時も心打たれる想いで、語らづにはいられないのです。 


(法隆寺金堂です。このような木造建築が1300年経った今でも、新しい木材よりも尚強いと言うのですから、木は本当に凄いものです。)



(金剛力士立像ですが、これも木に見事な彫刻を行っているのですが、本当に凄いものです将に木ならではで、金剛力士も生きていて今にも動きそうです。)



私も何とか頑張って小原先生のような人間になって行くことが、生涯の私の目標と

しているのですよ~。



ところで、その 『超高層ビルと茅葺の庵』 の内容を皆さんにご紹介します。





「2008年2月に戦後の日本の建築界に大きな貢献をされた三名の方を、NHKの特別番

組で紹介した。  それは、塔博士の内藤多仲氏、名建築を多く残された丹下健三

氏、廃墟を超高層ビルに変えた池田武邦氏であった。

 そのテレビを見て、超高層第一号の霞ヶ関ビルを建てた池田さんから色々教えて

いただいた事を思い出し、又テレビのお話の内容が面白かった事や、数年前から、

長崎県の大村湾の岬の先端に茅葺の庵を建てて、囲炉裏を囲む生活をされるように

なった。

 超高層から茅葺の庵へと変身されたことに興味を持ってお手紙を差し上げ

た所、折り返し池田さんからお電話を頂いた。 その内容がいくつかの教訓が含ま

れていたので紹介をさせて頂く事にしたいと思う。

 池田さんは、日本は土地が狭いから土地を有効に使うには建物を高層化するのが

良いと考えてその実現に情熱を燃やしていた。ところがつぎのようなたいけんをし

たことから考え方を改めたと言うのである


(新宿副都心超高層ビル群です。きれいですが、「このような環境の中で暮らすことが、人間にとって本当の幸せに繋がるのだろうか」と池田氏は考えたのです。)




 池田さんのオフィスは新宿の高層ビルの50階にあった。この高さになると曇った

日には霧がかかって、雲の中に浮いているような形になる。冬のある日、仕事が終

わって一階に降りたら、外は雪が積もった銀世界であった。一年中、空調された快

適空間の中で、ワイシャツ姿で仕事をする事に慣れていたため、四季の移り変わり

など忘れていたのである。この閉鎖された快適空間は北極、はたまた赤道直下であ

ろうと関係のない、自然と隔離された環境である。その閉鎖空間の中に住むこと

が、果たして人間にとって幸福を約束するものであるかどうかに、大きな疑問を持

った。まさに目からウロコの落ちる反省であった。」と綴られ、こう締めくくられ

ていました。


「その後色々調べた結果、本当に役立つ空間を作る手本は、江戸時代にあったこと

に気付いた。その後江戸時代の知恵を取り入れ、長崎のハウステンボスを設計し環

境共生に成功したというのである。そのときから自身は、茅葺の庵に、移り住むよ

うになったようです


(茅葺の庵に暮らす中に、人間の本当の幸せを見つけるきっかけになったようです。近代日本の建築界を引っ張ってきた、超高層ビル群を建ててきた巨匠池田氏の言葉だから、非常な重み、説得力があります。)




 茅葺の屋根は雨が降っても表面が濡れるだけで、その下の空気層は、強い断熱力

を持つ。煙はその間を抜けて出ていく。渡り鳥の羽毛は厚さが1センチもないの

に、シベリアから赤道直下まで飛んでも支障はない。人間の知恵は造化の神に及ぶ

べきもないと知るべきだ。囲炉裏を囲んだ生活をしながら、そのことを考えている

と言われて電話を切った。要するに工学的なものさしと生物学的なものさしとは、

メモリが違うと言うのである。池田さんはそのことを教えてくれていたのだと私は

感謝している。」 との話でした。
コメント
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