本日の中日新聞社会面記事からです。名古屋の中心は栄よりも名駅地区。
そんな意識とのアンケートがあったそうです。
記事スキャナ。
広告会社のアンケート結果でそれによれば、都心は名駅とした回答が多かったのは、若い世代で20~24歳で60%に達したとのこと。
一方で60歳代以上は栄とした回答が59%だったとのこと。
まぁ、あれだけマスコミの東京発の情報では、名駅地区ばかり取り上げられますし、リニア新幹線もやって来ますので、不動産価格の上昇と、栄の立場は薄くなりつつあるようです。
ですが、私の意識としては、どれだけ皆が名古屋の中心は名駅と言われようと、名古屋の中心は断固「栄」だと思います。高齢者に多い栄派でしょうか。
若い世代は、昔の感覚も薄く、しがらみが無いので、ストレートに今の街の姿から感じるものでしょう。
住みたい街のアンケートもあり、星が丘や覚王山の名がでています。
覚王山は、昭和初期に宅地開発された歴史ある住宅地。今も人気ですね。
ただ、お住まいになる方々の代替わりが進み、都心地区と同じように、旧宅を手放しマンションに建て替わるのが多い状況です。web広告でも、覚王山のマンションが多く現れます。
星が丘もそろそろ古典化していますけど、JR東海の快速の人気から、名駅の都心イメージとも相まって、地下鉄で20分の星が丘よりも、JRの快速で10分の尾張一宮のマンションが昨今人気の様で、一頃は、一宮駅周辺マンション建設が盛んでした。
歴史からみても、名駅地区なんて、あそこは昔からの名古屋じゃありません。
最初の名古屋駅は、今の笹島交差点の位置にありました。駅開業当時は、愛知郡広井村。駅構内は昭和12年に高架化で今の位置に移転しています。
大名古屋ビルヂングやミッドランドスクエアの場所は、昔からの名古屋では無く、いわば郡部の広井村でした。
その点栄は老舗の御店(おたな)もあり、尾張徳川家400年の歴史の街を感じる一端もあります。
今は撤去されましたが、少し前に、笹島交差点の南東角にこんなモニュメントがありました。広小路名駅商店街振興組合の設置したもののようで、広小路通の堀川から西は、名古屋駅開業の際に広小路通を延長したものです。
そんな意識とのアンケートがあったそうです。
記事スキャナ。
広告会社のアンケート結果でそれによれば、都心は名駅とした回答が多かったのは、若い世代で20~24歳で60%に達したとのこと。
一方で60歳代以上は栄とした回答が59%だったとのこと。
まぁ、あれだけマスコミの東京発の情報では、名駅地区ばかり取り上げられますし、リニア新幹線もやって来ますので、不動産価格の上昇と、栄の立場は薄くなりつつあるようです。
ですが、私の意識としては、どれだけ皆が名古屋の中心は名駅と言われようと、名古屋の中心は断固「栄」だと思います。高齢者に多い栄派でしょうか。
若い世代は、昔の感覚も薄く、しがらみが無いので、ストレートに今の街の姿から感じるものでしょう。
住みたい街のアンケートもあり、星が丘や覚王山の名がでています。
覚王山は、昭和初期に宅地開発された歴史ある住宅地。今も人気ですね。
ただ、お住まいになる方々の代替わりが進み、都心地区と同じように、旧宅を手放しマンションに建て替わるのが多い状況です。web広告でも、覚王山のマンションが多く現れます。
星が丘もそろそろ古典化していますけど、JR東海の快速の人気から、名駅の都心イメージとも相まって、地下鉄で20分の星が丘よりも、JRの快速で10分の尾張一宮のマンションが昨今人気の様で、一頃は、一宮駅周辺マンション建設が盛んでした。
歴史からみても、名駅地区なんて、あそこは昔からの名古屋じゃありません。
最初の名古屋駅は、今の笹島交差点の位置にありました。駅開業当時は、愛知郡広井村。駅構内は昭和12年に高架化で今の位置に移転しています。
大名古屋ビルヂングやミッドランドスクエアの場所は、昔からの名古屋では無く、いわば郡部の広井村でした。
その点栄は老舗の御店(おたな)もあり、尾張徳川家400年の歴史の街を感じる一端もあります。
今は撤去されましたが、少し前に、笹島交差点の南東角にこんなモニュメントがありました。広小路名駅商店街振興組合の設置したもののようで、広小路通の堀川から西は、名古屋駅開業の際に広小路通を延長したものです。