今日は2012年7月30日です。我が国近代化への礎を導いた明治帝(明治天皇)の崩御100年目。そして元号が「大正」になって100年目の日です。(つまり大正101年)
この地区(名古屋圏)ではあまり話題になっていませんが、暫く前から明治天皇を御祭神としている明治神宮では、明治天皇100周年の記念展示が行われ、また今日は「明治天皇百年祭」が開催されたそうです。
平成の御世となった今日(こんにち)でも、ものの価値観、事の規範意識の原点は、明治時代に端を発するものが結構あります。それは良き事も悪しき事も。現在の宮中で行われる儀式は基本、洋式で行われます。そして洋装で陛下・親王・内親王は臨まれます。ここは日本なのに・・・と思いますけど、それを定めたのが明治天皇。西洋諸国と対等に付き合うには、自らが西洋風の習慣を得るべきと御考えだそうです。
その一方で日本の伝統を重く尊ぶのにも尽力されたそうです。教育勅語の精神は、太平洋戦争後のGHQにより停止されましたが、これは明治天皇の御考えとは非ず後に臣下の連中が精神を捻じ曲げてしまったことでしょう。もう少し教育勅語の本来持つ精神は評価すべきだと思います。
そしてここ、強調しておかねばなりません。明治天皇は「能」が大好きだったそうで。しかし時代は能・狂言を行う流儀が幕臣たちの庇護が無くなり、流浪の状態だったようです。
そんな明治天皇、100年前の1912年(明治45年)7月30日に崩御(亡くなられ)されました。糖尿病により併発した尿毒症だそうです。60歳を目の前にした59歳。ん、若い。学校の歴史の時間で明治時代で明治天皇のお写真を拝見し、若い天皇に若い政府の人たちで新たな日本を創った、ということを覚えていますが、亡くなられた時点で59歳。明治は45年。ということは即位された頃はまだ10代だったのですね。これは今回の記事を書くにあたって初めて知りました。
1852年11月3日の生まれ。当時の暦では嘉永5年9月22日。ペリーの黒船来航1年前です。幕末動乱が始まる僅かに前の御生まれなのですね。慶応2年12月25日(グレゴリオ暦1867年1月30日)孝明天皇が崩御され、慶応3年1月9日(グレゴリオ暦1867年2月13日)に満14歳で皇位に就かれます。今に置き換えると、中学三年生が皇位に就くようなもの。そして明治の改元を慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日)。この時明治天皇は満年齢では16歳を目前とした15歳だったのですね。
そして崩御の日時ですが、Wikipediaの明治天皇では、実際には7月29日22時43分とあります。大正天皇の践祚が間に合わないため崩御時間を2時間遅らせたとあり、その根拠となる出典資料が明記されています。本当にそうなのかは分りませんが、昔の事で、今でも縁起を担いで出産・死亡の時期を意図的に変えることが少なからずあるそうなので、そうかもしれませんね。
そんな明治天皇が崩御され、100周年の今日でした。
そして今日はもう一つ、このブログの作者が生まれた日でもあります。
陛下の生まれ変わりだったりして。
お誕生日、おめでとうございます。
暑い中、ご苦労様です・・・。
>テルテルさん
御祝いの言葉、有り難う御座います。
正直に、誕生日であること書けばいいのにね。
誕生日と大正が始まった日であることを知ったのは、一寸驚きでした。
でも大正が始まるという事は、明治天皇の崩御とセットなんですね。
それから100年。
明治天皇の生まれ変わりである可能性は、多分0だと思いますよん。
> パレット・ブルーさん
御祝いの言葉、有り難う御座います。
暑いが理由では、さして苦労はしていませんが、このところのブログ更新怠りは、暑さのせいかもしれません。
実はこの誕生日前から、原因不明で体調を崩していました。
やっぱり暑さにやられたのだろうか。