このブログ、二日続けて能のエントリです。本日7月29日は、この時期JR名古屋駅タワーズ恒例となった、名古屋駅薪能があり、途中からですが観てみました。
その前に。薪能、特に名駅薪能はあそこまで人気があるのだろう。まず着席するには整理券を事前に申しこみます。席の数、ざっと見たところ2~3000ぐらいはあるでしょうか。舞台が見え難い場所は当日券の席のようです。
そして名古屋は局所的な雨だったそうなので、午後4時に雨天の場所変更の可能性があるか訪ねてみました。期待を込めて・・・。「多分出来るでしょう」。出来るどころかもう既に数百人以上の方が最後部が見えないぐらい並んでいます。午後6時始まりなのに、午後4時前から凄い列。まだ暑いで~ぇ。太陽も照るし。
これ普段の能楽堂だと、名古屋観世会の能でも満席になる事は少なく、「薪能というイベントだから」という方が多いのでしょう。能を観るよりも、能の持つ雰囲気を楽しまれるのでしょう。私も初めて拝見した能は、今は開催されなくなった、熱田神宮での名古屋薪能でした。能楽堂という堅苦しい場を離れ、御空の下で繰り広げられる能は、気楽に楽しめます。
で、長々と前置きを書きましたけど、今年2012年の名古屋駅薪能、上演曲です。
- 舞囃子 絵馬
- 狂言 六地蔵
- 能 小鍛冶
私は午後6時半頃、絵馬の神舞のところで伺いました。どうせデッキで立ち見ですので、ならばポイントを絞ろうと。始まりは人が多いですが、徐々に減っていくんです。
狂言、六地蔵。六体の地蔵を求めに田舎者が町へ出、詐欺師にまんまと騙されるという内容。その詐欺師(すっぱ)が野村萬斎師。「ややこしや~ややこしや」の萬斎さんです。萬斎を名乗ってからは初めて観るな私。武司さんだった頃は和泉会で数度見ています。私も古い人間だ。
その騙し方がこの狂言のポイント。田舎者は六体の地蔵をお求め。しかし詐欺師は仏像はおろか「楊枝一本削った事がない」というほどの奴さん。そこで仲間3人を集め、地蔵の格好に。しかし求める地蔵は六体。「残りの三体は?」。「別の所に」。急いで移動。「さっきの地蔵を今一度見たい」。急いで移動。それの繰り返しでやがてボロが出るという、実にたあいもない、しかしそこが最高の面白さであり見どころです。
今回の演者、和泉流三派それぞれの芸風が同時に見られました。三宅派の萬斎師に高野師。野村派の野村又三郎師。山脇派の井上靖浩師に佐藤融師。狂言は基本、家単位で上演しますので、こういうのは一寸珍しいです。ちなみに井上師と野村又三郎師は、初めて能を観た名古屋薪能で、間狂言を勤めた小学生でした。もう一人いたけど名前を思い出せない。
能、小鍛冶。帝は勅旨をたて、刀鍛冶の三条宗近に命ずるも、宗近は上手く槌を打てない。そこで稲荷明神にお参りに行き、少年が現われ、願いはやがて成功すると言い東山へ消えます。宗近は戻って槌打つ準備をすると、稲荷明神が現われ、向う槌を打ち(相槌)、刀の完成。その刀を勅旨に渡して帰っていく、という内容。
この少年と稲荷明神の役を、観世流御家元の観世清和師が勤められました。少年の役では少年らしい動き、そして奥に秘める正体の現われ。それぞれの所作が微妙に違い、切れのある動きは、まさに「御能」です。能楽堂で観てたら絶対に酔うところです。
そして三条宗近(三條ノ小鍛冶宗近)はワキ宝生流の名手、森常好師。ワキ宝生は名古屋ではそう観る機会も多くなく、しかもワキ宝生は故宝生弥一師のような太くしっかりした声を出され、観てて惚れ惚れするワキなんです。すいません個人的な感想で。太くしっかりした声、名古屋では少ないんだな。
ちょっとこの声、つまり音について書きます。能楽堂と違って空の下なので、どうしてもマイクとスピーカーのPAを使う事になります。しかしマイクの性能なのかスピーカーの限界なのか、細かい息遣いが伝わらないんですね。特に萬斎さんの発声は聞きづらかった。萬斎さんがいけないのではなく、出される声が奥深く機械の性能が付いていけないのだろうと思うんです。PAはどうしても音の範囲が限定されますね。その幅広い声、しかも強弱緩急込めた声にも対応する、高性能なPA機器を求めたいです。