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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

能面の表情・照リ曇リを科学的に解明

2012年11月24日 | 能楽

 よく顔の無表情を「能面のような顔」とか言いますけど、能面はそれ自体は何の変哲もない人間の顔形したお面を一度能役者がかけると、とても表情豊かなものになります。

 先ず基本的なおさらい。能で用いられる面だから能面ですが、登場する人が全て面をかける(能面をつける事を「かける」と言う)わけではありません。能は登場する人物でシテ方とワキ方に分けられます。そのうちのシテ方のうち、現代人(この世の人の意味)の青壮年以外の役の時に能面をかけます。

 能は主役であるシテ中心主義で作られており、シテの表情を役者の技量で表現します。喜び、悲しみ、怒り、などなど心のありかを表現し、その中でも顔に関わる表情を能面の傾け方で表現します。喜びは僅かに上向きとする「照り」、悲しみを僅かに下向きとする「曇り」、怒りは面を斜めに急に動かす「切る」、といった形で表現します。

 これは舞台上で能面をかけている姿だけでなく、能面だけを傾けてもそう見えるもので、これを名古屋大学大学院の情報科学の研究グループが迫ったのだそうです。

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 詳しくはこの新聞スキャナを見て戴く事にして(クリックで拡大)、見る角度の違いで表情の違いを表す例えを、レオナルド・ダ・ビンチの絵画「モナリザの微笑」を引き合いに出しているところが学者先生なんですね。モナリザも見る角度の僅かな違いでいろんな表情に見えるそうで。私は実物を見た事がないのでなんとも言えませんが。

 新聞記事の挿絵によれば、上向きの「照り」の時、悲しみの要素が2つ、喜びの要素が1つとなるのは、能らしい逆説的な表現ですね。いい文章が思い付きませんけど、普段から能を見ている理由もありますが、分かるような気がします。

 逆説的な話では、能面の多くは目の部分を四角く切ってあります。名古屋能楽堂の資料展示室では体験用の能面がありますので、機会があればひっくり返して裏を見ていただければと思います。目のところが四角いはずです。(体験用なので違ってたらすいません)。四角い目の孔が、不思議と丸く見えるんです。

 そして能面には盲人用の面があります。弱法師(よろぼし)という曲のみ使われる、同名の能面。役柄は目が見えない人なのですが、能面の弱法師は、目が細く横に長く切ってあり、能面をかけた時は一番よく見えるものなのです。目の見えない役の役者が却って一番よく見えるのは、まさに逆説的ですね。そうした中に能の美が潜んでいるように感じているんです。


11月11日・名古屋観世会定例公演能を拝見しました

2012年11月12日 | 能楽

Ccf20121112_00001  昨日11月11日の電池の日は、名古屋能楽堂において名古屋観世会定例能を拝見しました。なかなかチケットが来ず(高いので自腹は困難)観世会能は1年半ぶり。観世流の重鎮が出演される名古屋観世会、今回は観世喜之師が舞われます。

 上演曲目

  • 能 井筒 観世喜之
  • 狂言 佐渡狐
  • 仕舞三番
  • 能 天鼓 (小書)弄鼓之舞 武田邦弘

 井筒は三番物を代表するかの曲ですね。諸国一見の僧が在原寺で井戸の水を汲む里の女と出会い、その女は実は在原業平と深い縁にあった紀有常の娘であり、やがて僧は眠りに入り、夢の中で娘が業平の格好で昔語りで懐かしむも、やがて夜が明け業平の姿は消え、僧も夢から覚める、という内容の能。 

 シテの観世喜之先生。一頃より声は出るようになられましたが、まだ掠れ掠れですね。昨年5月にある社中の会で声が掠れておられ、伺った話ではよく分からないとのこと。なにかあったのでしょうが、声が出ないだけで舞の動きや足の運びは悠然としておられ、昔語りに懐かしむ有常の娘の姿が十分に伝わりました。

 しかし声が惜しい以上に、座った場所が中正面。考えたのですが、思ったより作り物の井戸が舞台中央に近めで、井戸を覗き、水面に映る業平の姿を見つめる、井筒での最高の見せ場(上のチラシ画像)が、目付柱で見えにくかったのはとても残念でした。

 喜之先生、無事に声の回復を祈ります。

 

 狂言佐渡狐。役人は賄賂を受け取ってしまう、人間の心のはかなさを面白おかしく揶揄した内容。年貢を納めるために越後と佐渡から百姓が出て、二人は同行することとなった。佐渡には狐はいないのに佐渡の百姓はいるといいはる。そこで奏者(役人)に審判を頼むも、佐渡の百姓が先に回りこんで賄賂を受けてしまい、その代わりに狐の特徴を教えるも、所詮は付け焼刃みたいな知識はすぐばれてしまい、越後の百姓にとっちめられてしまうという狂言。

 番組表では佐渡の百姓役がシテなのですね。松田高義師。松田先生のお声は、ますます先代の野村又三郎先生に似てきました。ふと先代の姿を思いだします。奏者は野村又三郎師。風貌が先代又三郎先生に似てます。親子だもの。

 

 天鼓。鼓の名手、天鼓という名の少年は帝より鼓の献上を命ぜられるもののこれを拒否し、天鼓は水に沈められてしまう。鼓は宮中に運ばれても音が出ない。そこで召し出した天鼓の老父がこれを打つと妙なる音が出る。それは亡き天鼓を想ってのもの。帝は哀れを感じて老父に宝を授与し、天鼓の追善で管絃講を行うと天鼓が現れ、喜びを表す舞を舞う、という内容。

 前シテの老父、後シテの天鼓の役を武田邦弘師。こちらは安定感抜群。前シテは老父で体を小さく見せ、後シテは天鼓の舞を体以上に大きく舞うところは、さすがだと感じました。小書に「弄鼓之舞」とあり、どこがどう変化したのかよく分かりませんが、舞自体に色鮮やかさが見えました。

   ◇   ◇   ◇

 さてこの名古屋観世会、来年は年間の能が1回減り、年4回になります。やっぱり名古屋地区の能楽愛好者人口が減っているのでしょうか。愛好者の数は分かりませんが、社中の能楽発表会は確実に減っています。社中発表会は無料なので結構好んで拝見させてもらっていますが、熱田の時代と比べると見事に減っていますね。

 この社中に属している人と、単に私みたいな愛好者の数とは一致しませんが、私が最初に能に触れた時代を想うと、先細り感はします。東京や京都では盛況だと伺いますけど、この名古屋地区の能の冬の時代はどうしたらいいのでしょうか。


第26回長良川薪能観能記・雨で会場変更

2012年09月01日 | 能楽

 8月31日は、岐阜市の長良川畔で行われる、毎年恒例の薪能。金華山の北側、長良川グランドホテル前の、長良川右岸で結構幅のある河原で開催される薪能。薪能なので篝火を焚きまして、その火を鵜飼の鵜舟から採るという、粋な演出。そして河原の吹く風爽やかで最高のロケーションとなる薪能・・・。

  ・・・となるはずでした。しかし昼過ぎ、いや3時近くなってからかな、岐阜市周辺はもの凄い雨。このところの不安定な気象がもたらしたもので、会場はビシャビシャだったらしく、予め予定されていた、岐阜市民会館に会場変更となりました。

 つまり、「薪能」ではなく、普通に能を観た記になってしまいました。

 曲目

  • 公募の子供たちによる連吟 吉野天人
  • 岐阜JCのみなもと会による素謡 経正
  • 小鼓の桂会による連調 大仏供養
  • 火入れ式(本来は)
  • 仕舞 頼政
  • 狂言 禰宜山伏
  • 半能 鵺

 公募の子供たちというのは、昨年、鞍馬天狗が演じられた際、稚児の役を能楽師子弟ではなく、一般公募したものを今年も実施したものでしょう。年齢一ケタですので、場内から「可愛い」。

 みなもと会の素謡経正。まさかここで一曲の番謡するとは思いませんでした。大抵は連吟ですので。技量のある方を揃え、聴き応えはありました。

 連調は、小鼓だけで20丁はあったかな。アレだけ集まると壮観です。後藤先生、一番前に座られました。

 火入れ式は当然中止。この時間でこの薪能の実行委員長を勤められている方に、長年の尽力を称えるための、岐阜市長からの表彰式の場となりました。

 仕舞頼政はシテ、九皐会の観世喜正師。いつもながらのキリッとそして風雅な舞は、矢来の観世の流儀です。ただ喜正師、舞は天下一品ですが、発声に少々クセがあるようで、特に地謡の際にそのクセが耳に付いてしまいます。今回もシテで最初の発声が気になってしまいました。

 狂言禰宜山伏.いわゆる山伏狂言で、山伏を皮肉る狂言。禰宜(神官)が茶屋で休息中、現われた山伏がその法力を持つ身である故の横柄な態度。そこで茶屋の亭主が秘蔵の大黒天を出し、どちらが真っ当なのかを判断するという内容。

 山伏が井上靖浩師。そして大黒天が子息の蒼大君。その判定は、禰宜が囃すと大黒天もいっしょに動き出し、山伏が祈り込むと大黒天の持つ小槌で山伏をゴツン。何度やってもその結果です。コミカルな内容で、会場から何度も笑いが起きました。

 半能鵺。半能とは半分の能で、シテ中入りの前半部分を省略するやりかた。元々は祝言能で用いられましたが、今では見せ所だけにポイントを絞った上演で、時間も短くなりよく用いられます。それどころか石橋(しゃっきょう)は、殆どが半能ではないかな。

 鵺とは想像上の生き物で、夜、不吉に鳴く鳥の事を指し、人の心の在り様を象徴的に示しているものです。鵺が源頼政に退治されてしまい、その苦しみから逃れたいと旅僧の前に現われ、帝を苦しめていた鵺の様子を見せるのが、今回の半能での場面。

 シテは片山家当主の九郎右衛門師。小書きで白頭が付いています。後見は観世喜正師。右衛門師の舞は、私が始めて能を観た梅田先生の師匠筋に当たられる方で、私の中でも片山家は一番の源流だったりします。能に酔ってはいけませんが、舞の頃合がとても微妙で、心穏やかにさせてくれました。

 

 表彰式が始まる少し前、見覚えのある片山九郎右衛門師とご婦人方が、係の方に付き添われて、私の数列前に座られました。私「あれれ、鵺を勤めるのでは?装束付まで観能かな」と思っていました。

 そして禰宜山伏でもまだいらっしゃいます。「あれれのれ?」。そこで思い出しました。九郎右衛門先生、先年代替わりされ、数列前の方は先代九郎右衛門先生、現・片山幽雪師でした。私の頭の中、なかなか切り替わりが出来ない悪い頭です。鵺が終り、幽雪師一行も席を立たれました。私のそばを通りがかられ、会釈したら、先生もニッコリと返して頂けました。


薪能は人気だな・名古屋駅薪能観能記

2012年07月29日 | 能楽

 このブログ、二日続けて能のエントリです。本日7月29日は、この時期JR名古屋駅タワーズ恒例となった、名古屋駅薪能があり、途中からですが観てみました。

 その前に。薪能、特に名駅薪能はあそこまで人気があるのだろう。まず着席するには整理券を事前に申しこみます。席の数、ざっと見たところ2~3000ぐらいはあるでしょうか。舞台が見え難い場所は当日券の席のようです。

 そして名古屋は局所的な雨だったそうなので、午後4時に雨天の場所変更の可能性があるか訪ねてみました。期待を込めて・・・。「多分出来るでしょう」。出来るどころかもう既に数百人以上の方が最後部が見えないぐらい並んでいます。午後6時始まりなのに、午後4時前から凄い列。まだ暑いで~ぇ。太陽も照るし。

 これ普段の能楽堂だと、名古屋観世会の能でも満席になる事は少なく、「薪能というイベントだから」という方が多いのでしょう。能を観るよりも、能の持つ雰囲気を楽しまれるのでしょう。私も初めて拝見した能は、今は開催されなくなった、熱田神宮での名古屋薪能でした。能楽堂という堅苦しい場を離れ、御空の下で繰り広げられる能は、気楽に楽しめます。

 
 で、長々と前置きを書きましたけど、今年2012年の名古屋駅薪能、上演曲です。

  • 舞囃子 絵馬
  • 狂言 六地蔵
  • 能 小鍛冶

 私は午後6時半頃、絵馬の神舞のところで伺いました。どうせデッキで立ち見ですので、ならばポイントを絞ろうと。始まりは人が多いですが、徐々に減っていくんです。

 狂言、六地蔵。六体の地蔵を求めに田舎者が町へ出、詐欺師にまんまと騙されるという内容。その詐欺師(すっぱ)が野村萬斎師。「ややこしや~ややこしや」の萬斎さんです。萬斎を名乗ってからは初めて観るな私。武司さんだった頃は和泉会で数度見ています。私も古い人間だ。

 その騙し方がこの狂言のポイント。田舎者は六体の地蔵をお求め。しかし詐欺師は仏像はおろか「楊枝一本削った事がない」というほどの奴さん。そこで仲間3人を集め、地蔵の格好に。しかし求める地蔵は六体。「残りの三体は?」。「別の所に」。急いで移動。「さっきの地蔵を今一度見たい」。急いで移動。それの繰り返しでやがてボロが出るという、実にたあいもない、しかしそこが最高の面白さであり見どころです。

 今回の演者、和泉流三派それぞれの芸風が同時に見られました。三宅派の萬斎師に高野師。野村派の野村又三郎師。山脇派の井上靖浩師に佐藤融師。狂言は基本、家単位で上演しますので、こういうのは一寸珍しいです。ちなみに井上師と野村又三郎師は、初めて能を観た名古屋薪能で、間狂言を勤めた小学生でした。もう一人いたけど名前を思い出せない。

 
 能、小鍛冶。帝は勅旨をたて、刀鍛冶の三条宗近に命ずるも、宗近は上手く槌を打てない。そこで稲荷明神にお参りに行き、少年が現われ、願いはやがて成功すると言い東山へ消えます。宗近は戻って槌打つ準備をすると、稲荷明神が現われ、向う槌を打ち(相槌)、刀の完成。その刀を勅旨に渡して帰っていく、という内容。

 この少年と稲荷明神の役を、観世流御家元の観世清和師が勤められました。少年の役では少年らしい動き、そして奥に秘める正体の現われ。それぞれの所作が微妙に違い、切れのある動きは、まさに「御能」です。能楽堂で観てたら絶対に酔うところです。

 そして三条宗近(三條ノ小鍛冶宗近)はワキ宝生流の名手、森常好師。ワキ宝生は名古屋ではそう観る機会も多くなく、しかもワキ宝生は故宝生弥一師のような太くしっかりした声を出され、観てて惚れ惚れするワキなんです。すいません個人的な感想で。太くしっかりした声、名古屋では少ないんだな。

 

 ちょっとこの声、つまり音について書きます。能楽堂と違って空の下なので、どうしてもマイクとスピーカーのPAを使う事になります。しかしマイクの性能なのかスピーカーの限界なのか、細かい息遣いが伝わらないんですね。特に萬斎さんの発声は聞きづらかった。萬斎さんがいけないのではなく、出される声が奥深く機械の性能が付いていけないのだろうと思うんです。PAはどうしても音の範囲が限定されますね。その幅広い声、しかも強弱緩急込めた声にも対応する、高性能なPA機器を求めたいです。


第六回西村同門会研究能を拝見しました・稀曲な藍染川

2012年07月28日 | 能楽

 今週頭、2012年7月22日は、能ワキ方高安流の飯富先生主催の研究能である「西村同門会」の能が名古屋能楽堂であり、拝見いたしました。

 先ずは演奏曲目

  • 能(金春) 藍染川「小書・追善留」
  • 学生による仕舞・舞囃子
  • ワキ仕舞 春栄
          和布刈
          羅生門
  • 狂言(和泉) しびり(漢字出せない)
  • 能(喜多) 葵上

 高安流は、明治維新後の能楽界混乱で、一度流儀が途絶えました。しかし一門にある西村家で流儀再興の動きで、平成5年(だったかな?)に亡くなられた故西村欽也師が宗家を再興なされ、その西村の同門会だそうです。

 能のワキ方はどうしても“脇”方であり、なかなか正面に出るものではありませんし、舞台ではそうあるべきです。しかし能はシテ方だけで出来得るものではなく、ワキ方、囃子方、狂言方、それぞれで研鑚を積み、そして舞台に上がります。その研鑚には「習い物」と呼ばれる、ある程度の技量がないと許されない曲があります。

 そういった曲は「重き扱い」とされ、上演回数も少なくなります。22日の西村同門会で演奏された「藍染川」はまさにそれで、高安流ではワキの習い物、そして高安流としては流儀再興後、2度目の演奏で、1度目は6月に奈良で金春円満井会で演じられたもの。それほどの稀な曲で「稀曲」とされています。

 さて藍染川。大宰府の神主が上京し、滞在中に女をこさえ、そして子どもまでもうけてしまった。その女(シテ)と子(子方)が神主を訪ね大宰府まで出かけ、その地の左近尉(ワキツレ)の元で宿をとり、女は左近尉に情夫の神主へ手紙を届けるように頼みます。しかし神主は不在。そして事もあろうにその手紙を神主の妻(アイ)が目にする事となり、妻は当然激怒。そして「神主は女には会わない」との偽手紙をしたため左近尉に渡し、それを受け取った女は世をはかなみ藍染川に身を投げます。ここで中入り。

 そして子どもも身を投げようとするも左近尉に止められ、母の残した手紙を目にします。そこへ神主(ワキ)が現われ左近尉の話を聞き嘆き悲しみ、そしてその子は我が息子であることを知り、子を立世させることを約束して、母(つまり女)の追善をします。さらに話は続きますが、小書追善留ではここまでで、最後のワキが追善する模様がとても大きな印象の演出。

 曲目解説では前半のみの演奏とのことですが、前場だけで終わるのは不自然と思いながらも拝見すると、要するに後シテの場面がすっかり省略なのですね。曲の話では追善を行い神力に助けられ、やがて身を投じた母もあの世で助けられるという流れだそうです。

 ワキの追善の部分が重き習い物だそうで、舞台正先で行う飯富先生の姿は、なにかしらの強いものを感じました。また母が身を投じた後の遺骸を、正先に置かれた小袖で表すのは、後で出る葵上と同じです。

 左近尉役のワキツレ、 神主役のワキ、それぞれが大きい曲で、「ワキの能」という印象でした。

 
 
 学生による仕舞と舞囃子は省略。ですが一つだけ。仕舞、巻絹を舞われた方、個人的に深く印象に残っています。

 そしてワキ方の仕舞三番。中でも有松遼一師、京都の方だそうですが、声がとてもしっかりし、流儀は違うものの、宝生弥一師を思い出すほどでした。名古屋の先生方、観世も含め、どうも声が若干小さめな方が多いようで、一寸欲求不満になっているんです。

 狂言しびりは、太郎冠者、和泉の堺へ言い付けを命じられたにも、突然の「しびれ」が起きたといって出かけません。その習性をしる主は、馳走の誘いがあると騙して、結局はしびれが嘘である事が判明する、という筋書き。この主を井上靖浩師、シテの太郎冠者を子、蒼大君が演じました。親子共演は何度か拝見し、観る度に成長する蒼大君の今後が楽しみです。

 

 能、葵上。私は筋書きをよ~く存じている曲です。なので筋書きは省略(文も長くなってますし)。ただ観世以外では一度宝生のを見ただけで、今回は喜多流。シテを長田先生がなさいました。円熟味の優れた所作や舞で、観世とは一味違う味ですね。前シテの御息所の霊が病臥の葵上を襲おうとするところ、観世のような激しさは見せない所に、内面の激しい心を感じるのは、私の考え過ぎでしょうか。

 ただ・・・、名古屋の喜多流の人材不足なのか、前列地謡の方はお素人さんでしょうか。私は切戸口を開け、そこから歩を進める様子でその方の技量が分ります。一寸あの歩み方ではねぇ。。。無料の会なのでそんな要求をしてはいけないでしょうか。切戸口から地謡座へ座着くまでも一つの型としての作法と心得ている私は、とても気になってしまいました。

 最後は一寸厳しいことを書いてしまいました。もし私の思い違いがあればご指摘下さい。