毎年1月3日は、月一回開催されている名古屋能楽堂定例公演能の正月特別公演があります。今年は久しぶりに券を頂きまして、観てまいりました。能にして能に非ずの翁を久しぶりに拝見いたしたいのもありました。
曲目です。
- 翁(おきな)
翁 久田勘鴎(鴎は正しくは旧字)
三番叟 松田高義(高は正しくは梯子高) - 狂言 素襖落(すおうおとし)
シテ 野村又三郎 - 能 小鍛冶(こかじ)
シテ 武田大志
翁は、これはズバリ神事です。しかも厳粛なるもの。私は単なる能を観る立場だけですのでこれは知り得た話ですが、揚幕の奥の鏡の間(かがみのま)では、翁飾りという祭壇が飾られ、出演者は順に神酒を頂き、そして火打石で切り火を切る、ということを行うそうです。切り火で邪なるものを払い、清めるという意味ですね。
そのため14時始まりでしたが、13時52分までにお調べ(幕の奥で囃子を奏でること)を終え、キンキンと音がしていましたので、そこで切り火を切っていたのでしょう。幕の外、つまり橋がかりにも切り火を切りました。そして幕が上がり、面箱持ちが先頭で順に橋がかりへ。
翁は、とにかく神事であり、物語の進行は一切ありません。白式尉(はくしきじょう)の能面もこれだけに用いられます。能面のあの笑顔が天下泰平と五穀豊穣を産み出す神の力を感じさせるものです。それ故に大変厳粛なもので、翁の登場している約30分は、会場は出入り禁止となっています。お客さんにもこの厳しさを受けて頂く事で、翁の意味がわかることでしょう。
久田勘鴎師の翁。さすがは久田先生です。動きがいい。物理的な言葉で言うと、「加速度変化率」が実に良い!。
ちなみに翁では、千歳(せんざい)の舞の途中で舞台上で面をかけ、そして翁の舞が終了したら舞台上で面を外します。
面を外した翁が退場すると、今度は三番叟(さんばそう)の登場です。こちらは狂言方の担当。まず揉の段(もみのだん)、続いて鈴の段の二段構成。揉の段は大変心地良いリズムの囃子で、舞台上を廻ります。農耕での地ならしを意味しているそうで、農作物が育つ地面を作っていきます。そして黒式尉(こくしきじょう)の面をかけ、鈴の段です。こちらは種蒔きや田植えなど耕作を意味しているそうで、我が日本はなんだかんだ言っても農耕の文化なのです。
三番叟の松田師は、狂言和泉流の野村又三郎家の重鎮。同じ和泉流でも微妙に違いますね。これまでは和泉流の山脇を今に伝える共同社、自称「宗家」とする方の幼少の頃の舞台を観ており、また一度だけ大蔵流の茂山家の三番三(大蔵流ではこう書きます)を拝見しておりまして、微妙な違いが感じられます。約1時間15分。
なお狂言尽くしの会では、翁を省略して三番叟だけを上演する事はよくあり、前述の自称宗家もその会で見たものです。
翁の感想だけで随分長くなりました。次の狂言素襖落。シテの太郎冠者役の野村又三郎師。髪短くしましたな。却って年より多めに見えてしまいました。これまでの姿ですと時折先代の又三郎師を彷彿とする姿を感じましたけど、何だか別人のよう。それだけ当代当主の責任が滲み出ているのでしょうね。野村又三郎の一派は少数派ですけど、実に良い狂言を見せていただけます。
で、素襖落。叔父に伊勢参拝を形の上で誘おうとして使いに出された太郎冠者の失敗談義ですけど、叔父宅で酒を勧められるも、最初は躊躇するもののやがて大胆になるところが愉快です。そして又三郎師の酔った表現が、実にイイ!。約25分。
能の小鍛冶。一条院、早い話都の貴族は三条宗近の打った名剣を所望し、勅旨を宗近に向わせるも、宗近は困りつつ引き受けたものの、心の迷いは晴れぬまま合槌稲荷へ社参すると、一人の少年が昔の話をして力付けた。そして宗近は心穏やかに刀を打つ準備のところへ稲荷明神が現れ、一緒に打って見事に名剣を作り上げたというお話。先ほどの少年は実は明神さまの化身でした。
シテの武田大志師。このブログでは毎度褒めますが、とにかく声がいい。能面を通しては声が篭りがちですけど、それを吹き飛ばしなおかつ、舞台全体が共鳴するような発声をなさいます。これは翁の久田師もそうですけど、名古屋ではここまでの発声をなさいます先生方が少ないんですね。小鍛冶は私の好きな曲ですけど、地謡の声がどうしても弱く、正直な印象なところ、欲求不満が残りました。地謡担当なさった先生に大志師なみに声出せる方はいるのですけど、地謡は地頭に合わせる決まりがありますので、仕方ないでしょう。約1時間。
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今回は頂いた券でしたので、正面指定席に座りました。いつもは中正面席です。翁は正面からの方が好いですしね。正面席って、腰掛けの間隔が広いのですね。
そして気になったこと。記録撮影の方ですけど、カメラのシャッター音が耳に障りました。フィルムを巻くモーターの音ではないので、あれはデジタルカメラですよね。でしたら、シャッター音を消せますので、そうしてほしかった。連続でカシャカシャされると気になって・・・。
小鍛冶を拝見して、今年は是非どこかで京都の舞台を観に行こうと心に決めました。名古屋の声の弱さは何故なのか、他所の地域ももこのぐらいなのか。名古屋観世会で拝見する能では地謡、声豊かに謡っていただけますので、名古屋での技量不足なのかなと思っているのです。
東京では橋岡先生門下に美人の先生がいるそうなので、そちらの舞台も拝見いたしたいな。