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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

名古屋能楽堂定例公演・正月特別公演能を観ました

2012年01月04日 | 能楽

Ccf20120104_00000  毎年1月3日は、月一回開催されている名古屋能楽堂定例公演能の正月特別公演があります。今年は久しぶりに券を頂きまして、観てまいりました。能にして能に非ずの翁を久しぶりに拝見いたしたいのもありました。

 曲目です。

  • 翁(おきな)
     翁 久田勘鴎(鴎は正しくは旧字)
     三番叟 松田高義(高は正しくは梯子高)
  • 狂言 素襖落(すおうおとし)
     シテ 野村又三郎
  • 能 小鍛冶(こかじ)
     シテ 武田大志 

 翁は、これはズバリ神事です。しかも厳粛なるもの。私は単なる能を観る立場だけですのでこれは知り得た話ですが、揚幕の奥の鏡の間(かがみのま)では、翁飾りという祭壇が飾られ、出演者は順に神酒を頂き、そして火打石で切り火を切る、ということを行うそうです。切り火で邪なるものを払い、清めるという意味ですね。

 そのため14時始まりでしたが、13時52分までにお調べ(幕の奥で囃子を奏でること)を終え、キンキンと音がしていましたので、そこで切り火を切っていたのでしょう。幕の外、つまり橋がかりにも切り火を切りました。そして幕が上がり、面箱持ちが先頭で順に橋がかりへ。

 翁は、とにかく神事であり、物語の進行は一切ありません。白式尉(はくしきじょう)の能面もこれだけに用いられます。能面のあの笑顔が天下泰平と五穀豊穣を産み出す神の力を感じさせるものです。それ故に大変厳粛なもので、翁の登場している約30分は、会場は出入り禁止となっています。お客さんにもこの厳しさを受けて頂く事で、翁の意味がわかることでしょう。

 久田勘鴎師の翁。さすがは久田先生です。動きがいい。物理的な言葉で言うと、「加速度変化率」が実に良い!。

 ちなみに翁では、千歳(せんざい)の舞の途中で舞台上で面をかけ、そして翁の舞が終了したら舞台上で面を外します。

 面を外した翁が退場すると、今度は三番叟(さんばそう)の登場です。こちらは狂言方の担当。まず揉の段(もみのだん)、続いて鈴の段の二段構成。揉の段は大変心地良いリズムの囃子で、舞台上を廻ります。農耕での地ならしを意味しているそうで、農作物が育つ地面を作っていきます。そして黒式尉(こくしきじょう)の面をかけ、鈴の段です。こちらは種蒔きや田植えなど耕作を意味しているそうで、我が日本はなんだかんだ言っても農耕の文化なのです。

 三番叟の松田師は、狂言和泉流の野村又三郎家の重鎮。同じ和泉流でも微妙に違いますね。これまでは和泉流の山脇を今に伝える共同社、自称「宗家」とする方の幼少の頃の舞台を観ており、また一度だけ大蔵流の茂山家の三番三(大蔵流ではこう書きます)を拝見しておりまして、微妙な違いが感じられます。約1時間15分。

 なお狂言尽くしの会では、翁を省略して三番叟だけを上演する事はよくあり、前述の自称宗家もその会で見たものです。

 翁の感想だけで随分長くなりました。次の狂言素襖落。シテの太郎冠者役の野村又三郎師。髪短くしましたな。却って年より多めに見えてしまいました。これまでの姿ですと時折先代の又三郎師を彷彿とする姿を感じましたけど、何だか別人のよう。それだけ当代当主の責任が滲み出ているのでしょうね。野村又三郎の一派は少数派ですけど、実に良い狂言を見せていただけます。

 で、素襖落。叔父に伊勢参拝を形の上で誘おうとして使いに出された太郎冠者の失敗談義ですけど、叔父宅で酒を勧められるも、最初は躊躇するもののやがて大胆になるところが愉快です。そして又三郎師の酔った表現が、実にイイ!。約25分。

 能の小鍛冶。一条院、早い話都の貴族は三条宗近の打った名剣を所望し、勅旨を宗近に向わせるも、宗近は困りつつ引き受けたものの、心の迷いは晴れぬまま合槌稲荷へ社参すると、一人の少年が昔の話をして力付けた。そして宗近は心穏やかに刀を打つ準備のところへ稲荷明神が現れ、一緒に打って見事に名剣を作り上げたというお話。先ほどの少年は実は明神さまの化身でした。

 シテの武田大志師。このブログでは毎度褒めますが、とにかく声がいい。能面を通しては声が篭りがちですけど、それを吹き飛ばしなおかつ、舞台全体が共鳴するような発声をなさいます。これは翁の久田師もそうですけど、名古屋ではここまでの発声をなさいます先生方が少ないんですね。小鍛冶は私の好きな曲ですけど、地謡の声がどうしても弱く、正直な印象なところ、欲求不満が残りました。地謡担当なさった先生に大志師なみに声出せる方はいるのですけど、地謡は地頭に合わせる決まりがありますので、仕方ないでしょう。約1時間。

   ※   ※   ※

 今回は頂いた券でしたので、正面指定席に座りました。いつもは中正面席です。翁は正面からの方が好いですしね。正面席って、腰掛けの間隔が広いのですね。

 そして気になったこと。記録撮影の方ですけど、カメラのシャッター音が耳に障りました。フィルムを巻くモーターの音ではないので、あれはデジタルカメラですよね。でしたら、シャッター音を消せますので、そうしてほしかった。連続でカシャカシャされると気になって・・・。

 小鍛冶を拝見して、今年は是非どこかで京都の舞台を観に行こうと心に決めました。名古屋の声の弱さは何故なのか、他所の地域ももこのぐらいなのか。名古屋観世会で拝見する能では地謡、声豊かに謡っていただけますので、名古屋での技量不足なのかなと思っているのです。

 東京では橋岡先生門下に美人の先生がいるそうなので、そちらの舞台も拝見いたしたいな。


青陽会の能・野宮と車僧

2011年11月29日 | 能楽

 名古屋の観世流能楽師で構成される青陽会能。11月26日に今年第3回めの能があり、拝見してきました。

 演目は、能・野宮、狂言・仏師、能・車僧、他に仕舞4番。今回は名古屋の重鎮、梅田邦久師がどこにも出られなかったという、一寸めずらしい会でした。

 まず野宮。女流能楽師、星野路子師のシテです。光源氏とかつて仲がよかった六条御息所が、失意で斎宮となる娘と共に、嵯峨野の野宮で過ごした日々の後日談です。

 旅の僧に問われるまま昔語りをし、僧が弔ううちに六条御息所の霊が現れます。源氏との日々を過ごす様子を見せる場面は、さすが女流能楽師らしく、実に生き生きと表現なされていました。そして序ノ舞。ゆったりとした舞は、品格のある六条御息所そのもの。秋の夜、竹林に囲まれ、周囲は真っ暗な野宮を思い出します。

 ただ残念なのは、舞台正先(階段の真ん前)に出された鳥居と小柴垣の作り物で、舞台上空の照明が鳥居の作り物で、能面に影を出してしまったこと。シテが鳥居に向う時にその影が能面上を動き、これは興醒めでした。舞台に照明は欠かす事が出来ないのですが、蛍光灯の直接照明はどうかな。間接照明にしたら今度は能舞台上空の天井が明るくなってしまい、難しいところです。この辺り、舞台としてもう一工夫願いたいです。

 野宮:1時間55分、序ノ舞18分。

 車僧。シテは名古屋の名手、久田勘鴎師で、とても期待できる舞台です(鴎の字は正しくは旧字体)。不思議な事に牛もいない牛車に乗る僧に、天狗がちょっかいを出すも、結局は僧の法力が勝り、天狗は僧に敬意を払うという、ユニークな能です。私の好きな五番目の能で、シテはこの天狗(木の葉天狗)です。

 さすが久田先生ですね。所作や動きが豪快。豪快だけでなく繊細でもあります。しかしこちらも惜しいところがありました。舞台ではなく地謡。声が小さいですね。これは予てから書いていますが、どうも観世流宝生流とも名古屋の方々の幾人かは、謡の声が小さい(弱い)ように感じます。いわゆる「太さ」が足りないのでしょうか。シテは口の開いていない大癋見(おおべしみ)の能面をかけていても、謡は鋭く切れのある発声だけに、その違いは気になりました。というより欲求不満のレベルです。

 車僧:55分。

 今回の青陽会が今年最後の観能になると思います。


名古屋観世九皐会能を拝見いたしました

2011年10月02日 | 能楽

Ccf20111002_00000  昨日、10月1日は名古屋能楽堂において、名古屋観世九皐会(きゅうこうかい)能があり、拝見してきました。観世喜之先生率いる観世流分家の分家、矢来の観世ともいわれる九皐会の名古屋公演能。

 かつては年四回(もっと前は5回の時代もあったらしい)ありましたが、やっぱり今の名古屋地区は余裕が少なくなっているのか、能(謡と仕舞いですね)をお稽古する方が一時より減っており、この名古屋九皐会能は今や10月の頭に開催する年一回。九皐会の謡は一寸独特で、その定期能が年一回なのは、少々寂しいです。が、皆さんのうのう能など名古屋地区でいろんな能の会があったりして、それなりに拝見する機会はあったりします。

 今年の名古屋九皐会能、上演曲です。

  • 能 田村 高橋瞭一
  • 舞囃子 阿漕 観世喜之
  • 狂言 薩摩守(さつまのかみ) 野村又三郎
  • 能 松風 中所宜夫
  • 他仕舞二番

 田村です。京都清水の観音さんの霊験あらたなるありがたさと、坂上田村麻呂の蝦夷での働きぶりを題材にしたものです。シテの高橋先生、どうされたのでしょうか?一寸動きに切れが少なかったように感じます。前々から足が悪いとは伺っていましたが、10月に入って急に冷え込み、そのせいかもしれませんね。

 田村は清水の観音さんと、その裏の地主神社が場面設定。季節は春。地主の桜(じしゅのさくら)をわざわざ見に行きましたし、謡の文句を聴いて、その様子を思い出しました。

 後場(後半)は坂上田村麻呂の霊が登場し、勇壮に舞うところは、高橋先生調子が戻ったのか、勝ち戦らしく舞えていました。ややホッとしたところです。一寸ネガティブなことを書きましたので事のついでに。田村の地頭を勤められた先生、あえて名は伏せますが、地謡の発声で時々、いや発声ではなく声の出だしですね、少し高めに入って本来の調子に戻す僅かな癖があり、それが時々耳について気になります。前々からですけど、大師匠の先生もいらっしゃることですし、これでいいのかもしれませんね。

 狂言薩摩守は、タダで船(川渡しの船)に乗り込もうとする旅の僧、あい言葉を授けられたものの、その言葉を忘れてしまい、船頭に叱られるという狂言。船頭の役を野村又三郎師が勤められました。電車に乗るのにお金を払わないことを「サツマノカミ」といいますが、これはここから来ているものです。(平家の公達、平薩摩守忠度

 そして能の松風。在原行平からの寵愛を受けた姉の松風と妹の村雨。須磨の浦で旅の僧と出会い、姉妹で月光の下、昔語りするという曲です。舞台正先の松の置物(作り物)が特徴で、海岸べりの松林が続く様子が容易にできます。

 シテの中所先生、ツレの喜正先生、やはり深い味わいのある松風と村雨でした。行平と仲のよかったのは昔、今は潮汲み車を引いて潮作りに精を出す日々で、そこへ差し掛かった旅の僧。僧も物珍しさからあれこれ尋ねて、二人の作業小屋、村雨堂で昔語りとなったのだろう。そしてシテの松風、行平の形見の烏帽子をまとい、昔の様子を偲んで舞を舞う。潮騒が聞こえる須磨の浦。空は月が輝く秋の夜空。哀しくも美しい能です。

 ところで舞囃子の阿漕を勤められた会主の喜之先生。5月の会で声がおかしいとは気づいていましたが、まだ回復半ばの様子。お大事になされてください。声が枯れているだけで舞の型は切れ味よく、流石は矢来観世家の当主だけあられるだけに、声の回復を待ち望む限りです。


長良川薪能・2011年の観能記

2011年08月27日 | 能楽

 昨日8月26日は、岐阜市金華山北側の長良川畔で、長良川薪能が開催され行って来ました。久しぶりです。

 この長良川薪能は長良川の河原で開催され、金華山の北に位置し周囲は温泉街という絶好のロケーション。吹く風も気持ち良く、薪の火を鵜飼船の篝火から取るという、全国でもここだけの演出をしております。

 演じられた曲目です。

  • 連吟と小鼓連調 社中の方々
  • 火入れ式
  • 狂言樋の酒
  • 能 鞍馬天狗

 会場はこんな感じ。舞台の直ぐ後ろは、水が流れています。連吟の吉野天人。

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 金華山の上に建つ岐阜城とはこんな位置関係。会場は撮影禁止ですが、このぐらいの風景写真は許してくれるでしょう。

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 火入れ式で、岐阜市長と、もう一人マイクの人、だれやったんかいな?挨拶です。

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 鵜飼船から火を頂き、そして松明から篝火に火が移されます。

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 カメラはここまで。以降は本職の先生方による能です。

 狂言、樋の酒。シテ・野村萬師。いわゆる太郎冠者物で、主人が出かけている間に酒蔵の酒を飲んでしまう、という筋立てで、その飲ませるのにちぃと不都合があり、その不都合さをあれやこれやと工夫して見所(観客席)を笑わせるというもの。

 野村萬師は、かつて熱田の舞台で、狂言和泉流の会としての和泉会があった頃、野村万之丞であられた頃に何度か拝見して以来です。私、普段はあまり観る事のない三宅派の狂言でしかも名手、動きがカチッとしてますね。いや、狂言はどの流派でも流儀でもカチッとしてますけど、それが洗練されています。

 野村萬師、もうかなりの御年だと思いますが、弟の万之介が亡くなられてますし、大変でしょうけどまだまだ舞台を勤めて頂きたいです。

 能、鞍馬天狗。シテは観世喜正師。そして地謡の地頭が片山九郎右衛門師。そして梅田邦久師も座られ、豪華版。と同時に片山の謡いで九皐会の喜正師が舞われるというのも、なんだか不思議。

 鞍馬天狗は、牛若(義経)は父義朝の菩提を弔うべく7歳にして鞍馬寺に入り、名を遮那王と改め、他の稚児と共に花見に出かけたところへ、山伏が花見の場所へ闖入します。そこで稚児たちはその場を離れますが、一人稚児が残り、山伏は勇気あるこの稚児に兵法を伝授すると告げ、やがて本来の天狗の姿となって現れる、というストーリー。

 見どころの一つに、花見の場で稚児、つまり子どもが大勢出ます。普段の能では、能楽師の子どもやお弟子さんの子どもが稚児の役となりますが、今回は一般に公募された方々だそうです。能の鞍馬天狗では稚児は謡ありませんが、火入れ式の前に鞍馬天狗の何処かの部分を連吟で謡われたようです。ちなみに、能楽師の中には、初舞台が3歳ぐらいで鞍馬天狗の稚児、という方が結構いらっしゃいます。

 ・・・という鞍馬天狗ですが、実はこの鞍馬天狗を観るのは相当久しぶり。熱田の舞台以来です。名古屋では稚児の役を集めるのが難しいのかな。

 さて順序は逆ですが、会場入り口で渡されたうちわ。実はこれが番組表だったのです。

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 これはこれでいいのですが、事前のチラシにも番組を載せて頂きたいな。シテのお名前は載りますが、地頭のお名前も大切なんです。

***画像一枚追加
 河原に設けられた能舞台。終了後、お客さんも大体退かれ、片づけの様子を写しました。能舞台、水の上に設けたのではないですね。以前は舞台の前も水があり、鵜舟が舞台前に回り込んで、そして篝火の火を移していました。右が正面。ちなみに篝火は薪ではなくガスのようですね。管が見えますので・・・。

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   ◇   ◇   ◇

 ところで毎年やっている長良川薪能ですけど、このブログで書くのは初めてだな。昨年は足が悪くて、河原の石ころが転がるたった100mほどが歩けなく、断念。2009年は日付を失念してた、2008年は雨で中止・・・ではなく市民会館での代替である事知らなかった、ということでした。

 以前は8月の第一週に開催されていたのですが、今はなぜか月末に。大体この時期は夜は寒くなりますし、このところの天候の様に大雨で増水したりします。実際8月下旬に移ってからは私、観られなかったこと多いです。

 開催時期を以前の8月上旬に戻される事を願います。


青陽会定式能の今年二回目を観ました

2011年07月31日 | 能楽

 名古屋の観世流能楽師で行う、青陽会能。昨日私の誕生日である7月30日に今年第二回めの能があり、拝見いたしました。

 演目は、能・清経、狂言・子盗人、能・殺生石。他に仕舞が五曲。

 清経、シテは京都在住の武田大志師。名古屋の観世流の先生方は、名古屋と京都若しくは神戸かけもちで活動されている方が結構多く、大志先生もその一人。先生の先生、職分の先生がそちらの方なので、いろんな所でお見かけするわけでして。

 清経。戦ものの能の一つで、平清経が戦の場へ向ったものの、討ち死にではなく入水自殺を図ったと留守を預かる妻は聞かされ、形見の品を受け取るも、悲しみのあまりに床に伏したところへダンナ、つまり清経の亡霊が現れ、最後の戦の模様を語り、入水した様子を舞を舞いながら語るも、十徳の法力により成仏できた・・・、というあらすじ。

 この清経を武田大志師が演じたのですが、京都の地で鍛えられているのか、声の張りは素晴らしい。このブログで何度も書いていますけど、名古屋の能楽師は他流を含めてどうも声が小さい(弱い)方が多いような気がしています。しかし大志師は面をかけていても(能面を着けていること)、まるで生身の人間が話しているかのよう。実際、清経を観ていても一瞬、中将の面が人間の顔に見える時が何度もありました。

 よく無表情のことを「能面のよう」といいますけど、実際の能面は、気持ちがギュッと凝縮したもので、演ずる中の人の芸次第で、生きた顔になってくるものなのです。それを若手の若手である大志師で観え、ドキッとしました。

 狂言の子盗人は、盗みに入った家で物色の途中、良い着物がみつかり剥いだところ、そこには赤子が。その赤子をあやしているうちに家人が戻り、ハチャメチャとなる狂言。

 この家の主人に、大野弘之師が演じていました。久しぶりです。いや、狂言尽くしの会では出ていらっしゃるかもしれませんが、以前に体調が宜しくないともうかがい、気になっていました。私が能を観始めた頃、名古屋の和泉流狂言で、佐藤友彦師匠と共に活躍されていた方で、釣狐の披きも拝見いたしております。僅か3分程の出番でしたけど、久しぶりに拝見でき、また元気そうで良かったです。

 殺生石。下野国那須野に、上を飛ぶと鳥も落ちるほど近づく生き物を殺す不思議な石。それは都にいた玉藻の前という宮廷の女が、狐の化け物であることを見破られこの地まで逃げたものの、追っ手に討たれてしまい、その怨念が石に取り憑いたというもの。

 能のカテゴリで「五番目の能」に分類されるこの曲、生き物が死んでしまうという程の強い力の石が、大きな存在感を出しています。訪れた高僧と里の女、実は殺生石そのものとの問答に怪しい雰囲気を醸し出します。そして女は石の中に隠れ、高僧の力で石をかち割り、中から鬼神が現れます。この怪しい雰囲気と石が割れる直前の緊迫した空気が五番目の能の良さで、私は好きだな。

 シテの鬼神を演じた吉沢旭師、つつがなくまとめたと言う感じでした。声の張りもありましたし、安心して拝見できました。そして地謡末席の角田尚香師、一番の若手ですね。頑張ってくださいね。