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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

片山幽雪師、去られる

2015年01月14日 | 能楽
 このブログでは、三人目の訃報追悼記事です。

 今朝、いつもの通りライブカメラで御嶽の御山にご挨拶すべく、PCに電源を入れて、Yahooトピックで、びっくりしました。
 能楽シテ方観世流の重鎮、人間国宝で京都の片山幽雪師が昨日(1月13日)亡くなられたとのこと。
 1930年8月26日生まれで、享年84歳。敗血症で亡くなられたとのことです。

 朝の更新ではありませんが、Yahoo記事。こちら

 「片山幽雪」は隠居名。前名は九世片山九郎右衛門。さらに前名は本名の片山博太郎。
 私の母の師匠筋の先生ですので、私が能に接したころからの先生。

 片山博太郎師の名では何度か能を拝見しました。まだ能を観始めたころ、素人社中発表会で、博太郎師と弟君の慶次郎師との舞囃子、三笑が初めて拝見した舞台でした。その前にも後見で出られておりましたが、立方としては舞囃子三笑が初めて。
 惹き込まれましたね。

 その慶次郎氏は5年前に亡くなられ、幽雪師もさぞ寂しかったことと思います。

 また、まだ元号が昭和だった頃ですけど、11月の名古屋観世会定式能で、定家(ていか)のシテを舞われました。
 2時間を優に超える大曲。女性のせつせつとした想いを、十二分に表現され、一曲が終わり休憩がてら外へ出て時計を見たら、一時間違っていました。
 つまりそれだけ曲に引きこむ魅力がありまして、2時間超えていましたけど、腰掛の背もたれの固さを忘れさせるほどに1時間ちょっとぐらいの感覚。
 これが博太郎先生への魅力を大きく感じたきっかけでした。

 とても気さくなお人柄で、重鎮の先生は能楽堂のロビーになかなか出てこられないのですが、九郎右衛門先生(幽雪)先生はよく出てこられ、名古屋能楽堂では、ロビーから通路に能楽のパネル写真が掲示されており、それを眺められていた様子を思い出されます。通るお客さんが次々と会釈。

 さらに溯る事、もう3年前になるかな。岐阜市の長良川薪能で、その年は長良川増水で、現地の薪能は中止。代替で、岐阜市民会館での能。客席に幽雪師のお姿が見え、家族の方々と来られていたようです。
その日は、当代九郎右衛門師が出演されていたので、それを見に来られたのでしょうか。
会釈すると、先生もにっこりと会釈。とても気さくな先生でした。

哀悼の意を表します。

名古屋大学観世会の能を観てまいりました

2014年12月07日 | 能楽
 昨日の平山晶子さん演奏会に続き、名古屋大学で名古屋大学観世会創部50周年記念大会能があり、観てまいりました。

 能楽つながりで名大勤務の方から「あるよ」とお話を頂きましたが、平山晶子さん演奏会と重なり、どうしようかと思いましたが、終了時間が演奏会の方が早く、それからでも十分間に合うので、行ってまいりました。


 名古屋大学観世会というのは、早い話が名古屋大学内の能楽観世流愛好サークルで、街の中の能楽教室とまぁ同じようなことをしています。
 普段の稽古の他に、年一回の自演能開催が目標だったそうですが、近年は人が少なく、自演能はおろか、6月の名大祭でも仕舞・謡の発表会が行えない状況だったとのこと。
 今年は、久しぶりに一年生が新しく入ってこられ、これを機に、OBOGを交えて、創部50周年大会となったものだそうです。

 地獄の細道での勧誘が足りなかったのかな。
 他大学での能楽愛好部の話を伺うと、ほぼ全員が能は0からのスタートで、勧誘でつい入ってしまい、能楽の面白さ・楽しさ・奥深さが分かったという方が多いです。

 50周年記念大会ですが、要するに社中の発表会と同じような形式で、仕舞と舞囃子が中心の番組で、入退場自由です。
 社中の発表会と大きく違うのは、素謡は無いことと、舞囃子と能の囃子方も、ワキ方も名大生またはそのOBの方が演じられること。
 狂言も同じくです。

 能は経正(つねまさ)です。西海の合戦で亡くなった平経正を弔う管絃講を催しているところへ、経正の霊が登場し、懐かしげに琵琶を弾くが、修羅道の苦しみを現し、そんな姿を見られるのを恥とし、やがて消え失せる、という筋書き。

 以前に弊ブログ記事で名大観世会能の記事を書きましたが、その時に書いたことと同じ文章になりますけど、やはり名大生は物覚えが良いのか、謡の回しは正確なうえ、舞の型もきちっとされていました。
 前に気になった、上げ下ろしの極端な謡は聞かれなくなりました。以前のメンバーは卒業なさり、さらに、師匠から注意が入ったのでしょうか。

 一つ感想として、これを書いちゃ、男女差別と怒られそうですが、ワキの役はぜひ男性の方に演じてほしかったです。
 ワキの役は、面(能面)を着けない、必ず現実の男性の役ですので。

大相撲八百長裁判・蒼国来復帰へ・協会控訴断念

2013年04月03日 | 能楽

 先週初め気になった三つの裁判の二つ目。3年前に発覚した大相撲八百長と思われる無気力相撲。調査委員会を設けてあれやこれやと報道がありましたが、2年前の今頃に急転直下で、関与した「とみられる」力士・年寄の引退勧告で、八百長問題には一応のけりを付けました。

 しかしあくまで「関与したとみられる」だけで、幾人かは確たる証拠が無く、そこで引退勧告に従わなかった者に対して、日本相撲協会からの「解雇」が告げられ、今回裁判になった蒼国来もその一人。

 あの2年前の解決はなんだかしっくりきません。少し前まで調査難航などと伝えられながら、何故急に調査終了できたのか。どこかで適当に線引きを行ったのか。

 そこであくまで八百長若しくは無気力相撲などやっていないと主張している蒼国来他数人は、裁判にかけてまで、地位の確認を求めており、蒼国来の求めた裁判の判決が3月25日に出ております。

 結局、裁判で明らかになったのは、見ごとに関与した証拠がなかったこと。また証言も得られず、裁判は蒼国来側有利のまま進められていたそうです。当然新たな証拠も無く、判決後から協会としては控訴は無理との声もでていたそうで、それが本日の理事会で控訴を行わないと決定し、蒼国来の土俵復帰と、この間の給料支払いとなりました。

 蒼国来の身は、既に五月場所(夏場所)の番付は決まっているので、今から変更することは出来ません。そのため幕内付け出し(最下位)の地位で始まるそうですが、どうも報道によって様々で、五月場所からなのか、七月場所から出場できるのか、どうもハッキリしていません。

 

 しかしあんな程度の(八百長)資料で引退勧告とは酷いものですね。その辺りは弊ブログでも「相撲社会の粋がない」と批判しました。決して八百長がいいと言っているのではなく、八百長をやろうと思えばやれるけど、そこを「あえてやらない」のが粋な社会ではないか。

 相撲の社会から粋を取れば、単なる格闘技です。スポーツ苦手な私はさっさと興味が失せてしまいます。相撲は、スポーツであると同時に、文化でもあるんです。粋が生きる文化。そこに私は興味をひかれるものがあったんです。

 蒼国来の復帰で、大きな心配は、勝負勘がどうだろうか。解雇後も暫くは部屋でトレーニングをしていたそうですが、最近はスポーツジムで体力づくりをしていた程度だそうです。体力は温存できていても、肝心の勝負勘はどうなのだろう。

 相撲に興味がある方はお分かりでしょうけど、相撲は単に力があるだけでは勝てません。立会いの呼吸。そしてこの呼吸の間(ま)。立った後の動き。こういったものは実際に土俵で相撲を取らないと、勘所ができないんです。

 約2年間。蒼国来は土俵を去っていました。そこが心配ですが、折角のチャンス、この先も相撲を取り続けて欲しいです。


名古屋観世九皐会能を拝見しました・2013/1/20

2013年01月20日 | 能楽

Ccf20130120_00000  本日、名古屋能楽堂において、名古屋観世九皐会(きゅうこうかい)新春能があり、拝見してきました。観世喜之先生率いる観世流分家の分家、矢来の観世ともいわれる九皐会の名古屋公演能です。

 この名古屋公演は毎年10月に開催されますが、今回は「翁」を上演するため、昨年10月は開催せず、この1月での開催と伺いました。今年の九皐会予定表を戴きましたけど、10月に名古屋開催が入っておらず、次回はまたお正月の開催かもしれません。

 上演曲です。


  •  翁  中所宜夫
     三番叟 佐藤融
  • 狂言 昆布売
     シテ 大野弘之
  • 望月
     シテ 観世喜正

 翁は、「能にして能に非ず」、ズバリ神事です。しかも厳粛なるもの。このためにシテの翁を演ずる方は、かつては別火をし、精進潔斎しなければならないとされています。今は多少は緩くなってはいますが、それでも三日前からはこの精神で魚肉などは頂かないようにしているそうです。

 そして揚幕の奥の鏡の間では翁飾りとよばれる祭壇が設えられ、今回もそうだったでしょう。開演前のお調べを演奏した後、出演者は順に神酒を頂き、そして火打石で切り火を切って、面箱持ちを先頭に、次が翁の順に舞台に登場します。

 翁は、とにかく神事であり、物語の進行は一切ありません。翁がつける白式尉(はくしきじょう)の能面もこれだけに用いられます。能面のあの笑顔が天下泰平と五穀豊穣を産み出す神の力を感じさせるものです。それ故に大変厳粛なもので、翁の登場している約30分は、会場は出入り禁止となっています。

 中所師による翁は初めて拝見しました。初めてもそのはず、披キだそうです。「披キ」とは、初めて演ずる能のシテでも、重く扱われる曲の初演のことを、特にこう言うんです。動きに余裕がありますね。何処からとなく安心感というものが出てきます。この安心な気持ちを抱かせるのが、天下泰平の祈願の原点ですよね。

 その前の千歳(せんざい)の舞、言い忘れていましたが、翁の曲の小鼓は三丁(三人)で、千歳の囃子は、この三丁の小鼓がとても気持ちよいリズムで囃します。それに乗って千歳の小島英明師、勇壮に舞われました。

 千歳と翁の舞が終了すると、次は三番叟。翁が天下泰平五穀豊穣を祈願する神事に対して、この三番叟は農耕の祈願をする要素があるものです。まず揉の段(もみのだん)、続いて黒式尉の面をかけ鈴の段。揉の段は地ならし、鈴の段は種まきや田植えなどを表しています。

 この三番叟を舞われた佐藤融師、う~んもう少し伸びやかに舞ってほしかったな。佐藤師の持ち味は出ていたと思いますが、強弱と緩急、それに舞自体を大きめになされるとより良かったと思います。

 

 狂言の昆布売。道行く大名が昆布商いに、無理強いをして逆にやり込められる、コミカルな狂言。シテ大名の大野弘之師、アド昆布売の佐藤友彦師、いずれも私が能を観始めた頃は、次の世代を担う立場だった方。今、こうしてその二人の舞台を拝見し、その当時を思いだして円熟味というものに気付きました。このお二人の先生、ともに釣狐の披きを拝見しております。私も結構長いということですね。

 

 能の望月。これ初めて拝見しました。いや正直言うと、詳しい内容を予習せぬまま舞台に臨みました。要するにかたき討ちの物語。非業の死となった主人の元家臣が街道で宿屋を開いていると、主人の夫人とその子が宿屋に泊まり、主筋との再会を果たすこととなった。そこで主人を討ったとする望月が宿へ来て、なんという偶然か、この望月を果たすこととなり、うまいこと騙して最後は討ってしまう。そんな内容の曲。

 見どころは、主人の子は実際の子供を使う子方で、討つべき望月を騙す方法の一つとして、舞を見せます。本物の子供が舞うので、見所(客席)は和みます。そしてシテの元家臣が獅子舞を見せます。この獅子舞の囃子は、石橋(しゃっきょう)の獅子と同じ旋律で、話には伺っていましたが、こういう形で獅子の囃子がされたのだと思いました。そういえば昨日、美人の先生が故郷茨城で、石橋を舞われたそうです。観に行きたかったな。

 そうして目指す仇の望月が気を抜いている所で、見事仇討ち成功。能ではそんな仇討ちをそのまま演ずることはなく、仇討ちの場面直前に望月を演じたワキが舞台右奥の切戸口から退出します。シテでもワキでも、舞台上で死を遂げた後は、幕へ戻らずに切戸口から退出することになっています。

 曲名の望月(もちづき)、これは仇と狙われるワキの人物名です。能の曲名がそのまま主役であるシテの名前となるのは案外少ないのは、能の構成上の特長です。


大倉流小鼓の松月会による能・囃子を拝見しました

2012年12月17日 | 能楽

 昨日、名古屋能楽堂において、能楽大倉流小鼓方の久田舜一郎先生社中による松月会の、能と囃子を拝見しました。

 いわゆる小鼓を稽古なさっている社中の皆さんの発表会。小鼓の稽古発表では、皆で、あるいは一人で中ノ舞を演奏したり、それか謡を入れて一部を謡う「居囃子」の形で上演したり、シテの舞を入れた舞囃子で上演するのが多いようです。

 しかし今回の松月会は、なんと能が三番も。そしてそれも小鼓方だけが稽古されているお素人さんで、あとはすべて本職。番組表では地謡と後見の名が省略されていますが、シテやワキの御名を拝見してビ、ビックリ。

 上演された能は次の通り。他に舞囃子と一調、独鼓がありますがそれらは省略です。

  • 吉野天人 シテ:寺澤幸祐
  • 葵上 シテ:観世喜正
  • 土蜘蛛 シテ:梅田邦久 頼光:久田勘鴎(正式には旧字)

 前記の通り小鼓だけがお素人さん。笛、大鼓、太鼓も東西の名手が勤められました。やっぱり番数が多いからなのかな。名古屋の舞台ではあまり見られない、聞けない流儀があり、とても新鮮でした。

 笛の森田流、ちょっと変わった奏法ですね。東京では普通でしょうし、Youtubeで聞ける囃子は森田流のが多いです。これ生で聴いたのは今回が初めてでしょうか。普段耳にする藤田流と、唱歌はほぼ共通でしょうけど、メロディがずいぶん違った感じがします。中ノ舞でも随分違う感じを受けます。

 それと大鼓の高安流。印象深かったのは安福光雄先生。鋭い音を奏でます。あれ、カンカン(それかキンキン)に焙じたのでしょうね。それと右手で鼓を打つ時の角度が随分上前から打ち下ろすような打ち方。

 やっぱり私、名古屋の舞台ばかり観ていては駄目ですね。ちょっと世界が狭かったことを思い知らされました。

 

 ・・・とこんなこと書いていますが、今回の主役は稽古発表のお素人さん。でも事前のPRが利いたのか、能を目当ての方が多く、見所(客席)の正面席は8割方埋まりましたね。能が終わると、さーっと引き、また能が近づくと人が増える、の繰り返しでした。

 私も当然、能がお目当て。でも番組表での舞囃子も捨てがたい。結局始めのほうと最後の方を除いてほぼ拝見でした。名古屋能楽堂ができて一番長い滞在時間だったかな。10時40分頃に到着し、19時過ぎに出るまで8時間以上でした。

 なにか取り留めの無い記事になってしまいました。いやそれだけ充実し、かつ中身の濃い舞台でした。「そんな小鼓が素人で良いの?」って心配がありますけど、小鼓(さらに大鼓と太鼓も)は音を出すのが目的ではなく、間を確実に刻むのが目的です。なので音が出ていない時が「音楽」なんです。この間を正確に打っていただければ(それと掛け声も)、しっかりした舞台が期待できます。

 なので、今回の能、そして舞囃子など、小鼓がお素人さんであることを忘れて舞台を堪能できました。尤もいささか不安な小鼓の方もいましたし、背後霊のように久田先生が立ち膝で後ろに着いておられた方もいましたし、華やかで和気藹々とした会でした。

 

 土蜘蛛のシテを勤められた梅田先生、蜘蛛が退治される場面で後ろには倒れませんでしたね。やっぱり危ないからだな。

 それと土蜘蛛は蜘蛛の糸をサーッと投げるのが名物。ところが今回、ラーメンの縮れ麺のように縮まって、あまり飛びませんでした。「梅田先生、歳とりはったのか」と思いましたけど、後見が投げたのも同じく縮れで、こういう糸もあるんですね。見所まで飛ぶのを期待していましたけど、そうは行きませんでした。このあとも舞囃子などが上演されるからでしょうか。