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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

祖父江町の「そぶ」は赤茶色の水

2016年07月10日 | 地理・地名
 8日のCBCラジオ「つボイノリオ聞けば聞くほど」で話されていましたが、愛知県稲沢市祖父江町の「祖父(そぶ)」は、赤茶色の水を差しこれが町名の由来との話題がありました。
 それ聞いてハッとしました。地理ヲタとして市町村の変遷は調べていますが、その名称までは深くは調べておらず、祖父江町の名称の由来は調べたことがありませんでした。
 しかし「祖父」の「そぶ」は、酸化鉄を含む赤茶色の水のことだそうで、木曽川の流れが作った土地、この「そぶ」が多い入り江から「そぶえ」と呼ばれ、それに感じがあてはめられて「祖父江」になったとありました。
 たしかこれ、祖父江町内の大字(江戸時代の村落)変遷を調べる過程で、この赤茶色の水の事が記載されていたような記憶が出てきました。

  祖父江は今の稲沢市祖父江町(旧中島郡祖父江町)が全て「祖父江」だったのではなく、元々は、祖父江町の北西の方の「祖父江」地区が元・下祖父江村、下があれば上があり、今の一宮市、合併前は尾西市上祖父江地区が祖父江で、確かに木曽川に近いところで、さらに木曽川の旧流路で取り残された河跡湖(かせきこ)である広口池があります。

マピオンの地図から、祖父江町祖父江地区と一宮市上祖父江地区。


 この下祖父江村が明治維新後の町村制施行により法人格たる村制度が始まった明治22年に、岐阜県から愛知県に編入された三拾町野村と合併した際に、下祖父江村の「下」が取れて「祖父江村」に改称、明治29年に町制施行で祖父江町と改称しております。
 元々は、現在の町エリアの北西部の一部の名称だったのが、やがて大きな自治体の名称になっていく過程です。

 ちなみに、上祖父江と下祖父江は、地図上で北にある方が「上祖父江」というわけではなく、都に近い方を「上」とする律令制度の慣習によるものだろうと思います。
 都というのは当然畿内。律令制度で定める東山道(とうさんどう)を経ると、不破ノ関を経て、上祖父江の方が都に近いです。
 尾張は東海道(とうかいどう)ですが、地理的に、道としての東海道を経るよりも、道としての東山道を経る方が近いからではないかと、これは私の推定です。

 ラジオを聞いたところから、地理ヲタとしてとても気になることでした。
 もう少し、地名の縁にも足を踏み込んだ方が良さそうですね。実際に人から「これどういう意味?」というのも聞かれますし。

英国のEU離脱へ

2016年06月25日 | 地理・地名
 昨日は大きなニュースとなっていました。EU(European Union・欧州連合)の一国である英国がEUにとどまるか離脱するかを決める国民投票があり、僅差で離脱の票が多く、今後英国はEU離脱に向けて動くことになります。
 中日新聞夕刊は、紙面横に抜ける大きな見出しでとてもスキャナが取れなく、web版記事から。
記事:英EU「離脱」 現地報道、国民投票で過半数

 2年前に英国を構成する一つのスコットランドが独立するかどうかで、スコットランド内で住民投票がありましたが、その際は英国にとどまる、という票が多かったことを思い出しました。
 その際は弊ブログでも書きましたが、政治・経済の面ではなく、地理の面から気になり、書いた次第です。
 今回のEU離脱は、EUはあくまで「共同体」で国ではありませんので、英国は英国ですが、EUは域内の経済活動の自由で、国境の行き来を自由にするシェンゲン協定があり、この協定に入ると国境の存在を忘れて自由な移動・交流ができます。

 英国は、このシェンゲン協定には加盟していませんので、国境の移動はどうだったか。
 英仏海峡のトンネルを通るユーロスターに乗った人の話を聞くと、パスポートを見せんかった、ということですが、その辺りはどうなのでしょう。

 地元の報道によれば、EU域に進出で、その足掛かりとして英国に合弁企業や支社を出している会社が多いそうで、英国がEUから離脱すれば、英国に社を置く必然性は少なくなり、経済活動にもおおきな影響がある、ということです。

 この英国のEU離脱で刺激を受ける国が他にもあるのでは、との危惧で、2年まえのスコットランドの英国からの独立が再燃するかも、です。

 しかし、「申酉騒ぐ」という言葉がありますが、2016年は丙申の年。本当に大きな節目の年になりました。これがヨーロッパの瓦解、ひいては世界の瓦解につながらなければいいのですが。どこか、「終わりの始まり」のきっかけのような気がします。


 イギリスは、当然行ったことは無いですが、人々の気質はヨーロッパの各地と違い、どこか島国根性、閉鎖性が強いと伺っています。意外なところで日本と似ているそうで。
 日本はアジアの一員です。しかし文化的にも広く東アジアの雰囲気とは大きく違い、日本国内にもアジアの一部という感じは見受けられないと個人的には感じています。
 なので、推して知るべしで、英国も、ヨーロッパの一員というのは、どこか窮屈な思いがあったのかもしれません。
 すぐ近くの大陸諸国は、大きな市場。
 そことの自由な貿易を目指してEC(European Communities・欧州共同体)、さらにEUに加盟したものの、やはり精神的に無理があった・・・などと想像してみる次第です。

大きい地名小さい地名・千種区で思うこと

2016年05月09日 | 地理・地名
 今日は久しぶりに、新聞ネタではなく、日ごろ思うことからです。
 私、東山植物園へよく行きます。東山植物園は名古屋市の千種区にあります。つまり「千種へ行っている」とも言わるわけで、そんな千種区は名古屋市の建制順では、最初に位置し、統計や報告書の区別では必ず最初に並べられるのが千種区です。
 なぜ千種区が建制順の先頭になるのかよくわかりませんが、この千種区の名称は、名古屋市編入前の愛知郡千種町。大正12年に名古屋市に編入されており、この時代で「町」ということは、千種町はかなり大きな自治体でありました。
 千種区の西部が旧・千種町になるわけで、この千種町もいきなりの町ではなく、いくつかの村が合併して千種町となったものです。
 その「いくつかあった村」の一つが千種村で、この千種という名称が合併された町に引き継がれ、名古屋市編入後は区の名称にも引き継がれました。
 当初は小さな村だったものが、やがて大きな町になり、大都市の区の名称にまで出世?するようなものでしょうか。

 ここでタイトルの大きい地名・小さい地名は、「千種」という名称は元来は愛知郡の小さな村で、そのレベルは「小さな地名」になります。
 小さな地名とは範囲の狭い、一番生活に密着している地名で、都市部では町内ともいわれるもの。あるいは字(あざ)があるところは、その小字名が小さな地名になります。

 千種区の範囲内は、今は普通に千種という地名と言えないこともないですが、単に「千種」と言った場合、どのレベルの千種を指すのかよくわからないこtpがあります。
 今は旧・千種村は無く、現代で「千種」というと、千種駅付近を指すようです。駅名の地名化です。

 今昔マップから、旧千種村の位置です。


 上の図、大体の現代の範囲です。古井ノ坂の北、今池中(学校)のあるところが昔の千種村。


 大きい地名・小さい地名、では、都道府県名と市町村名の関係も同じ。
 以前、弊ブログで、都道府県名と市名が同じ名称を言うときは、それは県を指すのか市を指すのかややこしく紛らわしいので、どっちかはっきりさせたい、ということを書きました。
 例:「岐阜」といった場合、岐阜県なのか岐阜市なのか、はっきり明示させたい。
 都道府県名は大きい地名、市名は比較級で小さい方の地名にもなります。市の名称は厳密には地名ではありませんが。同様に、都道府県名も地名ではありません。

 千種村。地図で出した通り、今の千種駅とは随分離れたところに千種村がありました。
 この千種村の西の人家が並んでいないところに中央本線が通ることになり、村から外れたところに駅ができました。
 最初の駅は、現在の位置ではなく、千種橋のずっと南、貨車が並んでいる貨物扱いホームのあるところに千種駅ができました。
 現在の駅は、地下鉄東山線開通の際に移転したものです。
 旧・千種駅は貨物扱い部分が残り、旅客駅部分は、マンションなどの建物が並んでいます。

滋賀県の県名が今になって揺れてる

2016年03月31日 | 地理・地名
 京都新聞web版記事からです。滋賀県の県名である「滋賀」の名前が全国的には何故か弱い、という指摘があり、地域ブランドにも使われている旧国名の「近江」県など、名前を変えたいという意見が少なからずあるようですが、この「滋賀」という名称、水が潤沢にある意味で7世紀からの名称である、という記事。
記事:「県名変更論も出たが…「シガ」の呼び名は7世紀から」

 滋賀の意味は、正直存じ上げませんが、記事では、琵琶湖を抱え、水が潤沢にある豊かな地、という意味だそうです。
 全国的に共通ですが、大政奉還で明治維新を迎え、版籍奉還でそれぞれの領地が一旦明治新政府に返され、その領地を「藩」として改めて旧大名の諸侯に知藩事として治めさせることとなりました。

 なので、江戸時代には「藩」というものは存在せず、公式には明治維新で初めて用いられたものです。
 これ多くの方が誤解されていますが、江戸時代には「尾張藩」とか「近江藩」という名称も言い方もありませんでした。

 版籍奉還の後、廃藩置県が行われ、旧藩がほぼそのまま県となり、その県名は県庁所在地の名称をとるものとしていました。
 滋賀県は、元々の小さな滋賀県、滋賀郡に県庁が置かれたことから、「滋賀県」という名称になりました。
 全くの偶然で、近江国にいくつか置かれた県の一つ。
 県の統廃合で近江国内の小さな県は、やがて一つの滋賀県にまとまった、というところです。

 おまけな話ですが、今の滋賀県の中に位置するところに犬上県がありました。犬上郡に県の政庁が置かれたから犬上県ですが、犬上県の県内には愛知郡(えちぐん)があります。もしここに県の政庁が置かれたら、「愛知県(えちけん)」になるところでした。(かな?)


 滋賀県の名称が全国的に弱い、という指摘ですが、鳥取県と島根県はどうなるのだろう。結構知名度が低いですし、中国地方の日本海側にある、ということを知っていても、鳥取県と島根県がどちらが東か西か、間違える方は結構いらっしゃいます。
 現状がこうだから、革新の意味で変えよう、という意識はなぜか中の人に働きやすいですが、変えないことも有利になることもあります。
 滋賀県を変えるとすれば、近江県か琵琶湖県だそうですが、近江県は割としっくり来そう。しかし明治新政府は「あえて」令制国名を県名にはしなかったことから、今になって令制国名を付けるのは具合が悪そうです。

 しかし昨年6月、滋賀県内での論調査では82.8%が「県名を変える必要が無い」で、「変えるべき」は僅か6.5%。
 県の意識と住民の意識のずれです。住民の「変える必要は無い」は、自身の住所表記で慣れた滋賀県・・・、というところだと思います。

住居表示の街区符号に「渡辺」の漢字が入る

2016年03月06日 | 地理・地名
 今日のブログネタ、何にしようかと日経関西版記事を見ていたら、住所の番地に漢字の「渡辺」が入る不思議な名称になぜ?という記事がありました。
記事こちら:住所の番地 なぜ「渡辺」?(とことんサーチ) 「渡しの辺り」古い地名に由来 全国の「渡辺さん」のルーツ

 住居表示の表示フォーマットは、普通は「何処其処何丁目-何番-何号」という表記をとります。
例えば、一宮市は中心部は住居表示施行区域なので、市役所の所在地は「本町二丁目5番6号」となります。
これを分解すると「本町二丁目」が町名、「5番」が街区符号、「6号」が住居番号です。

 日経記事は、大阪市の中心部中央区に、この街区符号に「渡辺」が入る不思議な名称、「中央区久太郎町四丁目渡辺」というところがあるという。
 このことは知っておりまして、いつか街区表示板を撮りに行こうと思っていましたが、体調の悪化で、関西方面へ出かけることが無くなってしまいました。

 つまりは、大阪市の旧町名「渡辺町」で、旧東区に在していました。1989年にその東区が南区と統合され、新たに中央区となった際に、町名と町域の整理が行われ、渡辺町は消滅のはずでしたが、全国の渡辺性発祥の地ともされ、町内の坐摩神社の熱心な働きかけで、町の廃止とはなってしまいましたが、旧渡辺町の坐摩神社部分とその周囲に、久太郎町四丁目の街区符号として「渡辺」を付与した、というものです。
 地図ではこちら。画像の中央に坐摩神社があり、そこに「渡辺」という文字が見えます。ここが久太郎町四丁目渡辺です。


 グーグルストリートビューで、街区表示板が見えないか、やってみました。ちょうどここが町界で、左側の建物の表示板に「久太郎町四丁目渡辺」とあります。右側は「北久宝寺町四丁目4」です。


 住居表示は、あくまで建物所在を表すための表示方法であり、土地の場所を示す「地番」は別で、住居表示施行区域も住居表示による住所とは違う表記の地番による番地があります。
 さらに。住居表示の町名は、「何処其処何丁目」までが一つの町名で、「何丁目」を略してはいけません。前述の例に出した一宮市役所を「本町二丁目5番6号」のところ、「本町2-5-6」としてはいけません。
 これ中々知られておらず、普通は解釈され通されてしまいますが、本来は略してはいけないのです。