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mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

大阪都設置の法定協議会設置へ

2017年06月10日 | 地理・地名
 讀賣ONLINE関西発記事からです。大阪市を廃し大阪府と合体し、旧大阪市の区域を複数の特別区に再編する大阪宮構想のあらたな制度案をつくる法定協議会の設置議案が、6月9日、大阪府議会で可決成立したとのことです。既に大阪市議会でも可決しており、27日にも法定協議会の発会合が開かれる見通しとのこと。

記事:大阪都構想法定協、27日にも初会合

 同様の都構想は2015年5月に住民投票が行われ、否決されましたが、新たに都構想の議論が始まることになります。

 この都構想、維新の政策の柱で、私は維新には全く理解しないものですが、この都構想だけは賛成で、何度か弊ブログでも取り上げました。
 改めて整理すると、つまり大阪府という都道府県の自治体に大阪市という大きな政令指定都市があります。東京都と並ぶ二大都市でありながら、府と市の二つの組織があり、それが互いに競合する部分があって、いわゆる二重行政です。
 二重行政ゆえの無駄、無駄だけなら兎も角、機動力の無さから樹民サービスの低下となる、ということから府と市を一体化して、東京都のような都制度に移行し、基礎自治体として特別区を設置しようとするもの。

 なぜ賛成なのか、大阪市の事情は兎も角、東京都と同様の大都市制度に基づく都市が日本の東西にデン!とあってもいいのではないかと考えるところからです。

 政令指定都市の二重行政問題はかねてから言われてきました。地元の愛知県と名古屋市もそうです。県立の何々と市立の何々が併存して互いに競合関係。
 元来は政令指定都市は、都道府県から独立することを目指しておりましたが、都道府県側の抵抗から、戦後一貫して政令指定都市でありながら都道府県の下に位置する形となっています。いろんな制度面では都道府県と肩を並べているのに。

 関係無いけど私、障害者手帳の交付を受けました。おかげで医療費の自己負担は無くなりました。しかしこの医療費自己負担が無いのは、愛知県内の医療機関に限られるもので、さらに名古屋市は除かれます。名古屋市が除外なのは、名古屋市は愛知県と肩を並べる別組織ゆえにだそうです。(尤も、医療機関窓口で一旦支払い、申請により後日還付を受けられますが)

 で、大阪都構想の住民投票は、一度否決されました。一事不再議の原則がありますので、2015年に諮られた都構想の制度設計とは違ったものを目指すことになります。
 市民(大阪市民)の中には、面倒とか今一つ実感が湧かない、とかいう意見はあるようです。止むを得ませんね。直接、人の暮らしにかかわるものではありません。行政組織が変わるだけなので、暮らしには特に影響があるものではありません。馴染んだ市名区名など住所表記が変わるぐらい。

 東京でも以前は府と市に分れていました東京府と東京市。この府と市が一体になったきっけは、戦時体制にあります。1943年(昭和18年)日本の戦局から帝都防衛のため、行政の即効性と一体性勧めることから、半ば強制的に東京府と東京市が合体させられました。
 戦時中という異常な状況ゆえ東京都が誕生したわけですが、結果的に、メトロポリタンに合うような都市制度ができました。
 これを大阪にも適用したい、というのが大阪都構想。

 戦時体制で都制度移行となった東京と違い、住民の意思に基づいて都制度を目指す大阪。
 一地理ヲタとすれば、大阪にもメトロポリタンが置かれてもいいように思います。
 

高知県土佐郡大川村で、村議会を廃し町民総会設置を検討

2017年05月02日 | 地理・地名
 昨日のCBCラジオニュースで報じておりましたが、高知県土佐郡大川村で村議会を廃し、住民総会の設置を検討しているそうです。
 検索したら毎日新聞記事が見つかりました。
記事:高知・大川  村議会を廃止、「町村総会」設置検討を開始

 この大川村は、離島を除くと全国人口最少の村で、2016年10月1日現在の住民基本台帳人口では387人。
 かつての離島を除いた本土で全国最小の村が愛知県にあり、北設楽郡富山(とみやま)村が、村廃止時で約200人ほどいたのと比べると、人口は多いです。

 そもそも議会を廃し、住民総会で村の運営ができるのか、といえば出来ます。
 地方自治法に規定があり、第89条で地方自治体には議会を置く、の規定がある一方、第94条・第95条で議会を置かず、選挙権を有する者による町村総会を置くことができる、という規定があります。

 私が知る限り、かつて伊豆諸島の八丈島からさらに西へ離れた八丈小島にあった宇津木村で、戦後しばらくの間、八丈村に編入されるまで村議会を置かず、村民総会を置いて、これで村の決まり事など運営していたそうです。
 この宇津木村、人口が極めて少なく、八丈村に編入で廃止の時点で100人を超えておらず、90人程度ではなかったか、です。
 このような極めて小さな村では、他の地方公共団体と同じような制度をそのまま当てはめるのは不合理な点があり、そこで村民総会(総代会)による運営も認められています。
 ちなみに宇津木村、江戸時代の村がそのまま明治維新を迎え、地方制度である町村制の対象にならず、名主制度のまま、戦後を迎えました。戦後、島嶼町村制施行により地方公共団体たる宇津木村が発足しましたが、名主制度がそのまま村民総会に移行して、議会が置かれることは一度もありませんでした。

 このような村民総会による村政が平成の御世に登場するとは意外です。
 この大川村、かつてはもっと人口が多かったのですが、渇水時期にニュースでよく登場する、早明浦ダムのある村で、ダム建設により、村の多くが水没することになり、離村などで、人口がここまで少なくなってしまいました。
 愛知県北設楽郡富山村も同じ様にダム建設で、村の多くが湖底に沈むことで人口が大幅に減ってしまったという点でも共通です。

名古屋市中村区黄金通の読みを「こがねどおり」へ

2017年01月11日 | 地理・地名
 いくつかのラジオ番組で話題にしておりましたが、名古屋市中村区の公称町名「黄金通」の読み方は「おうごんどおり」でありますが、これを「こがねどおり」に変更する方針となったそうです。
web上で検索したところ、Gooニュースとして朝日新聞記事がありました。
記事:名古屋の「黄金通」読み変更へ 「誰も口にしなかった」

 黄金通は、通り名称でもありますが、名古屋市中村区の公式な町名です。
 この範囲は、太閤通三丁目の交差点から黄金陸橋までの間。
 地図を用意しました。


 ここの「黄金通」が「おうごんどおり」と読むのは以前から存じておりました。
 大変不思議な思いでしたが、やっぱりこの不思議な感覚は当然だったのですね。
 地元からの町名変更の要望を受け、6月にも「こがねどおり」になる見込みとのこと。

 「黄金」というと、近くの近鉄名古屋線の黄金駅が「こがね」なので、なんとなく「こがね」と呼んでいまし、道路の黄金陸橋が「こがねりっきょう」と称していますので、余計に町名の「おうごんどおり」が不自然になります。
 名古屋市計画局刊行の「なごやの町名」(のコピー)によれば、中村区黄金通は、中村区米野町の一部が町名変更で設置された新町名とのこと。
 由来までは記載がありません。近鉄の黄金駅も、関西急行電鉄の開業時から設置された駅名で、地元に何かあるのでしょう。
 町名変更は昭和14年6月1日施行の区画整理によるもので、この時代には新たに町名を設置する例が幾つかありました。
 それらの中には、旧来の漢字を用いるも、読み方までは踏襲せず、漢字のままの読み方を与えることがありました。
 中区の鶴舞も、旧来からは「つるま」ですが、新たに設置された鶴舞町には「つるまい」と読ませているほか、昭和区の御器所も、旧来は「ごきそ」であるものの、新たな住居表示名の「御器所」には「ごきしょ」という極めて恥ずかしい読み方を与えてしまいました。
 この昭和区御器所は、地元からの要望で「ごきそ」に改称されています。
 黄金通もこの御器所以来の地元要望改称となります。

北名古屋市が名古屋市との合併を検討

2016年09月02日 | 地理・地名
 久しぶりの地元中日新聞からです。気になる記事がありました。
 北名古屋市長が名古屋市との合併を検討しているとのこと。
朝刊記事です。




 1日の議会一般質問で答えたもの。
 その理由として大規模災害や幹線道路などの基盤整備、名古屋市営バスの乗り入れなど、メリットがあるとしています。
 名古屋市長も前向きですが、一方で都市基盤や福祉の面で差があり、これを市内他と平準化するには多額の費用がかかるともあり、一足飛びに合併の流れにはならないのもあるとのこと。

夕刊で、北名古屋市長は合併意向を表明した旨です。

 
 しかし、なぜ今ここにきて合併なのだろう。平成の大合併の時期(今も平成の御代ですが)に、名古屋市と北名古屋市となった旧二町を含む春日井郡町村との合併話はありました。
 結局、名古屋市側が基盤整備や福祉などで差があり、市域化に伴う諸費用の点で、合併の意向にはならなかったです。

 そこで、西春日井郡全体で一市にまとまろうという話もあったものの、結局は西枇杷島町、清洲町、新川町が合併して清須市が発足し、さらに、師勝町、西春町が合併して北名古屋市が発足しました。

 名古屋市は、旧尾張徳川家の城下町として大都市であり、明治22年の市政施行以降は、市域の拡大を進めてきました。
 以下にまとめますと、
 明治29年3月23日 愛知郡御器所村大字前津小林を編入
 明治31年8月22日 愛知郡那古野村と古沢村大字東古渡を編入
 明治40年6月1日 熱田町を編入
 明治41年4月1日 四区制を実施、東区、西区、中区、北区を設置
 大正10年2月20日 愛知郡笠寺村大字笠寺を編入
 大正10年8月22日 愛知郡千種村、東山村、中村、御器所村、愛知町、常盤村、呼続町、小碓村、荒子村、八幡村、西春日井郡清水町、杉村、六郷村、枇杷島町、金城村、笠寺村残余部分を編入
 昭和3年3月15日 愛知郡天白村大字八事を編入
 昭和12年3月1日 愛知郡下之一色町、西春日井郡庄内町、萩野村を編入
 昭和12年10月1日 十区制を実施、千種、東、西、中村、中、昭和、熱田、中川、港、南の各区
 昭和19年2月11日 十三区制を実施、西区・東区から栄区を分離、昭和区から瑞穂区を分離
 昭和20年11月3日 十二区制を実施 栄区を中区に編入
 昭和30年4月5日 愛知郡猪高村、天白村を編入
 昭和30年10月1日 西春日井郡楠村、山田村、海部郡富田町、南陽町を編入
 昭和38年2月15日 守山市を編入、守山区を設置
 昭和38年4月1日 愛知郡鳴海町を編入、緑区を設置
 昭和39年12月1日 知多郡有松町、大高町を編入
 昭和50年2月1日 十六区制を実施。千種区から名東区に分離、昭和区から天白区を分離

 こんな変遷を辿っています。ちなみに明治22年10月1日の市政施行当時の範囲は、旧名古屋城下の範囲そのもので、今の中区、東区、西区の一部です。
 大正10年8月22日と昭和30年の編入が大きく市域拡大したものとして、市のなかでもエポックとして、各種統計で触れられています。

 しかし、合併が実現すると、一宮市は名古屋市の隣接になるのですね。これは面白い!
 尤も、一宮市の北名古屋市(旧西春町)隣接部分は、昭和30年編入エリアですが。

町田市が東京都から離脱して神奈川県へ編入なのか?

2016年07月16日 | 地理・地名
 こんな話を聞きました。東京都町田市は不思議な存在で、東京都なのか神奈川県なのかよく分かんない。なので、英国がEU離脱の国民投票に触発されて、町田市が東京都から離脱するのはどう?、というお話があるのだそうです。
聞いた話ですので、検索したら、こんなニュースがありました。
日テレニュース:EU離脱→次は町田市?ネットで話題に

 ネット上での話題で、「町田市が東京離脱か残留かを住民投票で決めたら、どう」との話題が上がっているそうです。
 この「ネット上」というのは、何だろう。マスコミで言う「ネット上の話題」とは、にちゃんねる、のことだろうと思いますが、最近は全くにちゃんねるを見ておらず、そもそも、バス板とか鉄道板、或いは伝統芸能板しか見たことが無いので、よく言われる「ネット上」とは、にちゃんねるのどこの板なのだろうかと不思議でいました。

 そんなことは兎も角、町田市も東京都に残留か離脱かを住民投票したらどう、ということで、仮に町田市が神奈川県に編入されたら、地図はすっきりする、というもの。
 リンク先にニュース動画がありますが、要点をまとめると、

 ・町田市も東京都からの「離脱・残留」の住民投票を
 ・東京離脱・神奈川県編入で地図がスッキリ

 町田市だけが、東京都の範囲から大きく神奈川県の方に入り込んでいる。
 なので地理的な感覚から、町田は神奈川県であると以前から言われてきた。
 町田市が神奈川県な理由
 ・小田急線で新宿へ至るには、必ず神奈川県を通る。
 ・町田市内の路線バスは、神奈川中央交通(神奈中バス)。
 ・「神奈川県町田市」の宛先で年賀状(すなわち郵便物)が届く。
 ・隣接する、神奈川県相模原市と連携・交流。

 インタネット調査、町田市在住178人に質問。回答は113人。
 ・町田市が神奈川県と間違われた はい68人 いいえ45人
 ・町田市は東京都から離脱すべきか? はい6人 いいえ62人 分からないなど45人。

 離脱反対の理由
 ・何事も東京都が1番
 ・東京在住と言えなくなる
 ・東京ブランドがなくなる

 というわけで、今のところ、英国のEU離脱のような東京都からの離脱はなさそう。

 前々から言われてきました、町田は東京都なのか神奈川県なのか。
 小田急線に新宿駅から乗ると、東京都内の住宅密集地を通り過ぎ、狛江駅から和泉多摩川駅へ左へカーブして多摩川を渡ると神奈川県で、車窓の風景が変わります。
 そして神奈川県をひた走った先に町田市があり、そこはなんと東京都。
 マピオンの地図、東京都インデックスの地図を載せます。


 不自然なくらいに町田市は神奈川県に食い込んでいますね。

 さらに小田急線は多摩川の都県境から何度も都県境を越えます。
 特に鶴川駅付近は、川崎市麻生区の飛び地を通り、一層、都県境を複雑にしています。


 前記の町田市内の路線バスは神奈中バスの件で。市内は他に小田急バスがあります。神奈中バスは、東京都内では他に、多摩市、八王子市などで路線があり、都営バスは一般の乗合路線は有りません。

 この町田市が不自然に東京都である理由。私見です。
 町田市は旧南多摩郡。南多摩郡は明治11年7月22日に多摩郡四分割でできた郡の一つ。
 その旧多摩郡は元々は神奈川県であった。なので、南多摩郡も当初は神奈川県所属。
 旧多摩郡エリアは、明治26年4月1日に東京府に編入された。東京府が水道水の水源とする多摩川上流の水資源管理という理由が表向きですが、多摩地区での政治勢力である自由党の政治勢力を削ぐ、のも目的だったそうです。
 そこで南多摩郡もざくっと東京府に編入され、町田村は、やがて町田町、そして昭和33年2月1日に現在の市域で町田市が成立しました。

 ついでに、旧多摩郡が四分割され、北多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、東多摩郡が出来ましたが、東多摩郡は現在の中野区・杉並区のエリア。明治29年4月1日に南豊島郡と合併して豊多摩郡となり、東多摩郡は消滅です。
 以来、北多摩郡・西多摩郡・南多摩郡で、「三多摩」と呼ばれるようになりました。

 町田市民のアンケートで、神奈川県と間違えらていても、やはり東京都の方がいいという理由は、分かります。
 やっぱり東京ブランドは大きいです。
 東京都練馬区西大泉町1179番地というところがあります。
 練馬区の本体から飛び離れていて、新座市の中にひょこんとある、いわゆる飛び地です。
 しかも新座市の新興住宅地に8戸だけ東京都練馬区に所属している、という不思議なところ。
 その中でも2戸は家が並んでいるところで、両隣が埼玉県なのに戸単位で東京都という、まことにディープなところ。


 そんなところなので、住民サービスは何かと不便です。
 水道は新座市の給水を受けるも、マンホールの蓋が二列並び、一つは東京都下水道だそうで、ごみ収集はこの8戸だけの集積場があり、練馬区本体から収集車がやってくるそうです。

 なので、東京都から切り離し(離脱させ)埼玉県新座市に編入しようとほぼ決まりかけたものの、8戸の住民から猛反対ががあり、そのままになっています。
 住民サービスの不便をおしてでも、東京都練馬区の飛び地であるのは、「東京都のブランド」だそうです。
 「埼玉県新座市に住んでいます」よりは「東京都練馬区に住んでいます」の方が何かと良いとのこと。

 練馬区本体は住居表示が施行されており、住居表示名は「西大泉」。飛び地の方は旧町名のままの「西大泉町」。
 1179番地の番地数字を知っているのは、MBSラジオの周波数1179kHzと同じで、地理好きの間では、有名な飛び地です。

 なので、町田市もそんな感じではないのかな。
 地理ヲタの心をくすぐるネタでした。