goo blog サービス終了のお知らせ 

mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

西暦⇔元号年変換はお得意です

2012年02月08日 | うんちく・小ネタ

 私の行く某所で、このほど個人認証システムが入りました。認証カードを使ってやり取りするわけですが、カードを持っていない、或いはカード忘れでは、氏名とともに生年月日を入力して先に進みます。

 その生年月日とは、西暦表記で“YYYYMMDD”による八ケタの数値。コンピュータシステムでよくあるもの。しかしそれはオペレータなら兎も角、一般の方は至極困難、西暦年入れる時に「あれ昭和何年は何年だや?」の声が聞こえて来ます。

 私、この西暦と元号の数字変換は、自分で言うのもナンですがとても得意。少し前からソフト開発で日付データとして用い、変換をその時に会得し、今なら市町村の変遷調べで、西暦と元号の変換で完全にマスターできました。

 但し、この変換は明治以降だけなのが難点と言えば難点。

 私のやり方は、明治・大正・昭和・平成の元年を完全に覚えました。

  • 明治元年 1868年
  • 大正元年 1912年
  • 昭和元年 1926年
  • 平成元年 1989年

 そして元号の年数から1を引き、それを元年の年数に足すもの。・・・と文章に書けばそうなりますが、これを無意識にやってしまうほか、昭和に至っては、元号⇔西暦対照表みたいなものが頭に出来ているらしく、ほぼ0.0秒で返します。なんでも昭和は、昭和の数字に25を足すと西暦だそうですが、むしろそちらの方が覚えられません。

 ここでQ&A。

  • 日本で地方自治が始まった明治22年は?
    →1889年
  • 日本国有鉄道が発足した昭和24年は?
    →1949年
  • 明治新政府の廃藩置県が断行された明治4年は?
    →1871年
  • 京都議定書が採択された平成9年は?
    →1997年
  • 今年平成24年は?
    →2012年

 こうなったら明治の前、慶応以前も覚えようと思いましたが、江戸時代までの元号は政情でよく変わっていますし、そもそも明治5年までは旧暦を用いていましたので、西暦と元号で一番大きい時で約50日違うことになります。それに慶応以前の元号自体を覚えきれていませんしね。

 世の中はいろんな方がいまして、歴代の天皇の名前、元号の名前を覚えている方がいます。私も江戸時代以前の元号覚えていたら、もう少し歴史に強くなっていただろうな。


仕事納めの始まり・明治の太政官布告

2011年12月28日 | うんちく・小ネタ

 今日は12月28日。お役所では御用納めの日ですね。ただ中央の省庁では、予算編成でそれどころではない部局もありますけど。そこで今朝のCBCラジオ、多田さんの番組で話していたことからヒントに今日のブログ記事。

 官公庁では法律で休庁日としている日が定められており、「12月29日から翌年の1月3日までの日」を日付を挙げて指定しております。そして12月28日は御用納め、1月4日は御用始めとして、半日だけの出勤ですね。いや夕方までのフルタイム出勤もあるでしょうけど。それはいつから始まったのか。

 遠く遡る、1873年(明治6年)の太政官布告がその始まりです。当時は内閣は無く、太政官と呼ばれる、今でいう三権(司法・行政・立法)の全てを司る官職がありました。その決定事項を伝える文書が「太政官布告」で、その明治6年1月7日に出されたものの一つが、「明治六年一月七日太政官布告第二号」です。

  • 明治六年一月七日太政官布告第二号
     休暇日ヲ定ム
     自今休暇左ノ通被定候事
     一月一日ヨリ三日迄 六月二十八日ヨリ三十日迄 十二月二十九日ヨリ三十一日迄

 6月の末日三日間の休みは何故だったのだろう。布告が出された同じ明治6年6月23日に、この休みが始まる前にこんな布告が出されました。

  • 明治六年六月二十三日太政官布告第二百二十一号
     第二号布告中六月二十八日ヨリ三十日迄ノ休暇取消

 これでこの三日間の休みを取り消すとされ、6月の三日間の休みは実現されませんでした。暦の上でこの時期は特に休むべき事も無さそうで、実現されなかったとはいえ何故規定されたのか、不思議です。単に年末年始休みの真中だったからなのだろうか。

 ちなみにその頃の官公庁は、毎月1と6のつく日が休庁日でした。それが改められ現在の様に日曜日休みとなったのが、1876年(明治9年)4月1日から。

 その後、伝統を守る商家でも会社でも、官公庁の年末年始休みに倣って、この時期を休みにするところが現れ、故郷から都会へ出てきた方々が年末に故郷へ帰り、年始に都会へ戻る、そんな現象が見られるようになりました。鉄道の発達も影響しているところですね。

 兎にも角にも、1873年(明治6年)から続く年末年始の休みが明日からです。この弊ブログ、昨日からアクセスが急に減り、今日になって更に下がっています。このまま極端にアクセスが少ないようなら、ブログ開始以来初めての年末年始休みにしようかな・・・、なんてこと思っていますけど、心が迷っているのは正直なところです。


12月は第10の月です

2011年12月01日 | うんちく・小ネタ

 今日から一年最後の12月ですね。師匠も走る「師走」とか。巡回先のブログでも師走12月にまつわる記事が多いです。そこで私のブログでもちょいと小ネタ。

 12月は英語では「december」です。これ直訳すると、「第10の月」。平たく言えば10月です。ですので表題は「12月は第10の月です」になります。

 実は9月の「september」から12月までは2ヶ月前の月の数字を表しており、9月の「september」は「第7の月」、10月の「october」は「第8の月」、そして・・・お分かりですね、11月は「第9の月」で「november」です。「october」のオクトは、海の蛸のオクトパス(octopus)と同じ8の意味のオクトで、こうやって書くと納得してもらえるでしょう。

 それは昔も昔、紀元前8世紀から紀元前2世紀まで続いた暦に理由があります。それ以前は一年は12ヶ月という概念はありました。しかし真冬の今でいうところの1月と2月は活動できない、つまり「冬篭り」の期間で、あえて暦を制定する必要が無かった。そして春になり暖かさが戻り活動できる季節になって、そこで初めて暦ができました。今の3月が一年最初の月となり、そこに神話に出てくる月の神「マルス(mars)」から順に名付け、四つ目の月(今の6月)までは神話に出てくる神の名から付けてます。そして五つ目から十番目までは単に数字で月数を与え、第5の月から第10の月となりました。

 しかし文明の進みと共に、やっぱり空白の2ヶ月が無いのはおかしいということで、ヌマ暦では第10の月の後に11番目と12番目の月を挿入し、というより新たに神話から名付け、それぞれ「ヤヌス」「フェブルス」と言いました。

 しかしこの「ヤヌス」は門番の神と言う意味で、門番が年間の途中にあるというのはおかしい!ってことで、一年の始まりを「マルス(mars)」から「ヤヌス(janus)」に二ヶ月繰り上げ、そこで現在の9月の英語名直訳が「第7の月」となり、以降12月まで2ヶ月のずれが出来ました。

 本題を外れ余談ですけど、今の7月は英語名「july」、8月は「august」ですが、これは後年、時の権力者に変えられたもので、元は7月は「Quīntīlis(クインティリス)」で5つ目の意味、8月は「sextīlis(セクスティリス)」で6つ目の意味でした。

 ユリウス暦の名前の元となったユリウス・カエサルが自身の名前を7月に付け、ローマ皇帝アウグストゥスが暦の誤りを訂正させたことから名前を残そうとして、8月に自身の名前を付け、同時に8月を31日にし、足りない分は2月から削りました。


京都の「町」は「ちょう」か「まち」か

2011年10月17日 | うんちく・小ネタ

 一寸だけ小ネタ。先日KBS京都ラジオ聴いていたら(妹尾さんと奈美ちゃんの番組)、お便りのあて先「京都市上京区烏丸上長者町」。 昔からこの宛名で耳にしていますけど、このところ事情があって京都の町名について調べており、ちょっと耳に残りました。

 あ、京都と言うのは、京都市のことですからね。しかも昔からの上京・下京の町についての考察。

 この“京都市上京区烏丸上長者町”は、「きょうとし かみぎょうく からすまかみちょうじゃまち」と読みます。ちなみに上京区には烏丸上長者町という町は存在しません。烏丸通と上長者町通の交差点に位置するからなのですが、上長者町通の読み方は「かみちょうじゃまちどおり」。で、通(とおり)を省いて「からすまかみちょうじゃまち」になります。(本当は烏丸通上長者町下ルになります)

 さてKBS京都の所在地は「京都市上京区烏丸通り一条下ル龍前町600番地の1」です(京都放送の会社概要より)。「龍前町」という町名がありますけどこの龍前町、読み方は「たつまえちょう」。「ちょう」と「まち」が混在していますね。

 これ実は京都市内の町は原則「ちょう」と読みます。一方で通り名で町がつくのは「まち」と読むのが多いです。今回は通り名の方はご退場いただき、町名について。

 前記の通り京都の町についてごちゃごちゃ調べているのですが、そこで最近気が付いたことに、実は京都の町名には「~まち」という名もあることを知りました。これ意外です。いや東山区の本町のように例外もあるとは思っていましたけど、結構見つかったんです。全部載せるわけにはいかないですが、そのいくつか。( )内は元学区です。

  • 上京区 (成逸)天神北町 てんじんきたまち
  • 同 (室町)宝鏡院東町 ほうきょういんひがしまち
  • 同 (正親)高台院竪町 こうだいいんたてまち
  • 中京区 (初音)東片町 ひがしかたまち
  • 東山区 (清水)八坂上町 やさかかみまち
  • 同 (修道)慈法院庵町 じほういんあんまち
  • 下京区 (皆山)亀町  かめまち

 これ見てて、やっぱりある種の法則がありました。何々北町とか、何々竪町のように方向性や位置の従属性を表す文字が付くと、その後の町は「まち」になるみたい。もちろん「西五辻北町(上京区乾隆元学区)」のように「ちょう」読みするところもあり、やっぱりマチマチです。ちなみに「竪町」は縦の意味。対義語は「横町」。「片町」は通りの片方の意味。

 そうして方向性の意味を持たずに「まち」なのが、東山区の慈法院庵町、下京区の亀町ぐらいなもので、やっぱり町は「ちょう」で中世から続いてきたようです。

 

 ところで、KBS京都の所在地、「烏丸通り一条下ル」とはえらいところから下がってきたものですね。龍前町は6通りの上ル下ルで示される表記があるうちの一つですけど、一条からは下がり過ぎ。通称と同じ上長者町ではいけないのだろうか。


10月10日は必ずしも晴れの特異日にあらず

2011年10月10日 | うんちく・小ネタ

 今日は10月10日で体育の日ですね。いや正しくは日付ではなく、10月第二月曜日で体育の日ですが、ハッピーマンディー否定派の私としてはここは、10月10日で体育の日にしておいてほしいです。

 10月10日が体育の日となったのは御存知の通り、1964年のこの日に東京オリンピック開会式が行われたからですね。では何故、オリンピック開会式をこの日に選んだのか。

 よく10月10日は東京地方で晴れの特異日であるとされ、だからこの日を選んだと一般に言われ、今朝の渋谷局ラジオでもそんなこと話していました。確かにオリンピック後の10月10日は晴れの日が多くなり、実際晴れの特異日に準ずるとされた時代もあります。

 でも本当のところ、10月10日を選んだのは、「特に理由がない」だそうだ。強いて言えばこの日が土曜日であった事かな。

 元々の計画では東京オリンピックは、10月11日開会式、翌日一日休んで10月13日から各競技とされていたものだそうです。そしてオリンピックの2年前、1962年6月のモスクワ(当時ソビエト連邦だった)でのIOC総会に出された計画では、2日前倒しの10月9日開会式、翌日一日休んで10月11日から各競技というものでした。しかし会議の結果、「やっぱり開会式翌日のお休みはいらんやろ・・・」、ということで各競技を始める10月11日の前日、つまり10月10日が開会式となった、ものなのだそうです。

 ですので晴れの特異日でこの日を選んだというのは誤りで、ただこれ以降晴れが多くなったのと、開会式前日の10月9日がかなり荒れた天気だったそうで、それが朝起きたらカラッと晴れていた・・・。それでこんな俗説が出てきたのですね。

 

 さて、本日の愛知県尾張地方、風弱く天気晴れです。