一燈照隅

日本が好きな日本人です

野口健氏と靖国神社

2007年11月25日 | Weblog
「死の世界」と慰霊と
先日、靖国神社に行ってきた。靖国神社の参拝については、さまざまな意見があるのは当然だが、私はヒマラヤ遠征の前には必ず、先の大戦で亡くなられた方々に祈りをささげに訪れる。両手を合わせて目を閉じると、さまざまな思いが去来する。

以前、チョモランマに挑戦したとき、アタック前に悪天候のため上部キャンプで足止めされた。夢破れた登山家の遺体があちらこちらにある「死」の世界。テントを吹き飛ばさんばかりの強風にさらされる恐怖の中、紙切れやマットに遺言を書いたことは前回紹介したが、死を受け入れる心の準備をするのはいつも孤独な作業だ。

死は覚悟の上で、ヒマラヤにきているというのに、「たとえ亡きがらになっても日本に帰りたい」と心の中で叫んでいる自分がいた。その経験から、チョモランマでの清掃活動のときは、可能な限り、遺体の収容も行っている。彼らもきっと故国に帰りたかったはずだからだ。

テントの中で死の恐怖と闘いながら、ふと戦争で亡くなった方々のことが頭をよぎった。私は自らの意志でヒマラヤに挑んでいる。しかし、彼らは日本のため、国民のため、愛する家族のために、自分の意志にはかかわらず戦地へ向かった。中には飢えや病気、ケガなどにより、徐々に死を迎えた方も多かったに違いない。薄れゆく意識の中で一体、何を思ったのだろうか。

帰国後、先の大戦に関する資料を調べ、いまだに放置されたままの遺骨が数多くあると知った。
ジャングルや洞窟(どうくつ)の中などにひっそりと取り残されている遺骨は、残酷な現実をつきつける。
白骨化した英霊は「おれらを忘れないでくれよ」と訴えかけているようだった。こうした事実を知らずにいた自分を強く恥じた。
以来私は、靖国神社の参拝も大事だが、それ以前に戦争で日本のために亡くなられた方々の遺骨を収集し、弔うことが必要だと強く感じた。
来年の三月、最も多くの遺骨が放置されているというフィリピンのセブ・レイテ方面に、遺骨の収集に行く予定だ。今ある日本の平和や繁栄は、戦争で亡くなった方々のおかげであるということを忘れずにいたい。
11月24日日経新聞夕刊



日経新聞土曜日夕刊に「野口健のガイア礼賛」と言う連載があります。昨日の夕刊に掲載されていたのが上のコラムです。
実は連載されていることを知らなくて、たまたま靖国神社に参拝している写真が目に付いたので何だろうと思い読んでみました。
野口健さんは登山家でヒマラヤなど、清掃のため登山にも行かれていることでも有名ですね。
その野口さんがヒマラヤに行く前に必ず靖国神社に参拝している事を始めて知りました。
最近テレビに良く出ていてヒマラヤ登山の話をされますが、ヒマラヤ登山は死と隣り合わせでいつ死んでも不思議ではないようです。
登山は登るのも大事ですが、無事に帰ってくることはもっと大事なことです。
まさに戦場で戦った兵士と通ずる物を感じるのだと思います。



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1 コメント

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こちらこそ。 (あすなろおじさん)
2007-11-28 00:17:48
 わざわざコメントを下さり有難うございます。

 時たまお断りもなくお邪魔させていただいております。また、ご承諾もいただかないまま勝手に拙ブログのリンクに加えさせていただいております。何卒ご寛容の程宜しくお願いいたします。

 本当に「一燈照隅」、素晴らしいタイトルですね。それから「日本には日本人にしかわからぬ過去があり、人生経験があり、美しい思い出がある。」の文章が好きです。

 お互いに「わからぬ過去(歴史)」があることを全ての人たちに理解してもらいたいですね。そして「思いやり」をもって「わからい過去(歴史)」を認め合う。このような「やさしさ」があれば世の中から争いはなくなると思うのですが…。

 勿論「誤解」は解(説)かなければなりませんが、現実は難しいですね。

 今後も度々お邪魔させていただきます。管理人さんのさらなるご活躍、ご健勝をお祈りいたしております。

「日本が好きな日本人」の“あすなろおじさん”より
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