一燈照隅

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新嘗祭(勤労感謝の日)

2007年11月23日 | 今日は何の日
今日は新嘗祭(勤労感謝の日)です。
農耕民族の日本人にとって、新穀を祝う日は重要な日ですね。


「宮中歳時記」入江相政著より。
新嘗祭

新嘗祭前一日鎮魂の儀
鎮魂祭は、天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下の御魂を鎮め奉り、ご寿命のご安泰と長久とを祈願する祭儀である。十一月二十二日、賢所構内の綾綺殿において行なわれる。天皇陛下の出御はない。

鎮魂祭の起源については、『古語拾遺』に「凡そ鎮魂之儀者、天鈿女命之遺跡」とあり、天岩戸の故事を起源とする。その後、大宝令に「仲冬下ノ卯大嘗祭寅ノ日鎮魂祭」とあり、それから永久の制度と定められた。この日は、新嘗祭(当時は大嘗、新嘗について区別はなかった)前一日にあたる。このように連綿として行なわれたが、中世戦乱の時代に中絶し、ようやく光格天皇の寛政九年(一七九七)に再興され、新嘗祭の前夜、白川神祇伯家において行なわれた。
明治二年には束京神祇官において、同五年からは宮内省または宮殿等で行なわれてきたが、同二十九年からは新造された綾綺殿において行なうと定められて現在にいたっている。

新嘗祭
新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿において、その年に収穫された新穀のお初穂を天照大神をはじめ八百万の神々にお供えになり、また自らも召しあがる行事で、最も古くまた最も大事にされてきた祭儀である。皇太子殿下も神嘉殿にご出席になりご拝礼になる。この祭儀を新嘗祭神嘉殿の儀と称する。

また伊勢神宮にも勅使を差し遣わされ、内宮、外宮に幣物をお供えになる。これを神宮新嘗祭奉幣の儀と称する。また当日午後二時、宮中三殿に神饒、幣物を奉り、天皇陛下のご代拝がある。これを新嘗祭賢所、皇霊殿、神殿の儀と称する。

新嘗祭神嘉殿の儀は、夜中のご祭典であって、「タの儀」(午後六時から八時まで)と「暁の儀」(午後十一時から午前一時まで)からなり、同様な儀式が二回行なわれる。
陛下は、お告文を奏上される。五穀の豊饒を神々に感謝され、国家の繁栄と国民の福祉をご祈願になるのである。お告文が終わると、神々にお供えしたものとまったく同じ米のご飯、粟のご飯、白酒、黒酒などを陛下自らも神々と向かい合って召しあがる。いわゆる「御直会」である。この問、皇太子殿下は南庇の間の中央の拝座に着いてご拝礼になる。庭上の幄舎におつきになっていた各皇族はじめ参列者は、神嘉殿正面木階下に参進し拝礼する。この間神楽歌は絶え問なく演奏され、庭煉は赤々と焚かれている。

この新嘗の祭儀は後土御門天皇が文正元年(一四六六)にご即位の大嘗会を行なわれてから長い間止されていたが、桜町天皇の元文五年(一七四〇)に新嘗祭の旧儀が再興された。光格天皇の寛政三年(一七九一)には神嘉殿を再建され、古代そのままの新嘗祭の祭儀が行なわれ、それ以来毎年の例とされた。明治元年の新嘗祭には、とくに布告してその趣旨を一般に周知せしめられ、同四年十一月十七日には皇屠吹上御苑内に悠紀、主基のご殿を建て、御代一度の大嘗会を行なわれた。この祭儀は古来、十一月下旬の卯の日に行なわれる例であったが、改暦ののちは明治六年に行なわれた新嘗祭の日、十一月二十三日をもって今後の祭日と定められた。宮中の祭儀のうち、神代から続いているもののなかで新嘗祭は最も古いものであり、古来のしきたりが今によく維持されている。


11月23日は「新嘗祭」












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2 コメント

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勤労感謝?? (山本大成)
2007-11-24 08:37:35
 「勤労感謝の日」というと、働くという自らの行為を祝う日のように聞こえますが、元々は大地の恵みやそれによる収穫(いわば物や恵み)を祝う意味で、祝日法の表記に違和感を感じています。
 第2次産業や第3次産業を対象に加えるという考え方は理解できないではないのですが、英文表記ではあくまでも「Thanks Giving Day」(感謝祭)で、「Labor Day」(労働の日)と言うのは、やはりおかしい...。

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Unknown (まさ)
2007-11-25 10:25:46
山本大成さん。
「勤労感謝の日」だと旧ソ連や東欧諸国のような社会主義国とおなじです。

>大地の恵みやそれによる収穫(いわば物や恵み)を祝う意味
まさにその方が祭日としての意義がハッキリしますね。
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