一燈照隅

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リンカーン大統領、戦死者慰霊演説

2007年11月06日 | 朝聞暮改
米国最初の共和党所属大統領になったリンカーンの有名な言葉で「人民の、人民による、人民のための政治」が有ります。
この言葉は日本でも必ずと言っていいくらい教えられます。
世界史の先生によっては、これこそが民主主義の基本ですと教える人もいるくらいです。
ところが、このリンカーンのこの言葉、この部分は知っていても、全文を教えている先生は居るでしょうか。
「人民の~」だけを都合よく抜き取って言うと正しくないことを教えてしまいます。
このリンカーン大統領の演説はけっして民主主義の理想だけを述べたのではありません。

この言葉が言われたのは、南北戦争当時の激戦地ゲティスバーグで戦死者慰霊の演説の中で言われた言葉です。
全文を読めば戦死者の慰霊と、後に生きている者は戦死者の死を無駄にしないために、意志を継いで行く決意を述べた内容です。


ゲティスバーグ國有墓地の奉献式場で述べた演説

八十七年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てました。
現在われわれは一大国内戦争のさなかにあり、これによりこの国家が、あるいはまた、このような精神にはぐくまれ、このように献げられたあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けているわけであります。
われわれはこの戦争の一大激戦の地で相い会しています。われわれはこの国家が永らえるようにと、ここでその生命を投げ出した人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部を献げるために来たのであります。われわれがこのことをするのはまことに適切であり適当であります。
しかし、更に大きな意味において、われわれはこの土地を献げることはできません ― 聖め献げることができません ― 聖別することができません。生き残っている者と戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々こそ、この場所を聖め献げたのでありまして、われわれの微力をもってしては、それに寸毫の増減も企てがたいのであります。われわれがここで述べることは、世界はさして注意を払わないでありましょう、また永く記憶することもないでしょう。しかし彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。ここで戦った人々が、これまでかくも立派にすすめて来た未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自信であります。われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身であります - それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽くして身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、これら戦死者の死をむだに終らしめないように、われわれがここで堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。

1863年11月19日

エイブラハム リンカーン
(高木八尺・斉藤光訳 岩波文庫)


この演説を日本で喩えるなら、首相が靖国神社で述べるようなものではないでしょうか。