一燈照隅

日本が好きな日本人です

平成元年3月号「諸君」より。

2005年11月07日 | Weblog
「諸君」の平成元年3月号からです。
私にとって昭和天皇はなぜか親しみと畏敬を感じていました。その昭和天皇がお隠れになられたときの「諸君」と「正論」をいまだに捨てられずに保管しています。その中の記事を少し書いてみたいと思います。
私にとって今もあの時のことは記憶に残っています。私は京都御所まで記帳に行きました。その時の多くの人々が踏む玉砂利の音が記憶の中に残っています。


「遺された欺瞞」の中の抜粋
江藤淳


…自分は(福沢諭吉)信仰のない者である。無神論者ではない。ただ習慣に従って自分の家の菩提寺で先祖を祀り、葬式があればその寺で出しているけれども、幼い時から神仏を崇めたことがない。

同じように長じてからも耶蘇教に興味を持ったこともない。したがって宗教に冷淡な人間だから敢えて言うのだけれども、「外教」―海外の教えというものに無批判に順うのは非常によろしくない。こういっている。福澤は山崎闇斉の例をあげています。

闇斉が弟子に、孔子や孟子が日本に侵略してきたらどうするかという問いを発したところ、弟子達はキョトンとしていた。何をボヤボヤしているか、そう言う時には鎧甲に身を固めてこれを生け捕りにするのが真の孔孟の道である。闇斉は、そう叱咤したと言われている。だが闇斉学勝れたりといえども、弟子達がこんなにボンヤリしていたのではまことに困る。孔孟の教えにしたがい外国の教えに心酔すると外国の精神的属国になる精神的属国根性に陥った人間が国会開設のあかつきに党派を成し、外教派と日本党ができてお互いに争っているうちに武闘しはじめたとする。外教派が外国の援助を要請すれば、外国は必ず武力を日本に送ってきて、日本党を討つであろう。そうなれば、日本は侵略されて主権を失うことになるから気を付けなければいけないと、福澤は言っている。

あたかも切支丹禁制の頃のような議論を明治も十四,五年から二十一年の頃に福澤が唱えていたというのは、不思議なようでいて、なかなか含蓄の深いことではないかと思われる。…


今の時代にも当てはまる事だと思います。野党はもとより、与党内の外教派(心中派、眉中派)やマスコミの外教派がまさにそれでしょう。
福沢諭吉が言っていたことが今も起きようとしている。これを我々は防がなければなりません。