一燈照隅

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「よわき心」 昭憲皇太后

2005年11月10日 | 日本の文化
ジェンダーフリーや男女共同参画を言う人は昭憲皇太后のお歌をよくかみ締めて頭を冷やすべきです。

「松が枝にたちならびてもさく花のよわきこころは見ゆるべきものを」                                        昭憲皇太后

松の枝にならんで咲きほこる花の美しさ、それはそれとして美しいながめだが、やはり花には花の、「よわき心」がある。その心を失ってほしくはない、誰の目にも女性らしい「よわき心」が映るようであってほしいというお気持ちだろう。同じ人間として、男女の持つ権利に差があってはならない。それはいわれている通りだろう。
しかしそのことと、花だけがもっている「よわき心」を失うこととは本質的にちがう。
平成の世の人は「よわき」と言っただけで男女の差別と目くじらを立てる者もありそうだが、そんな解釈はとんでもない誤解であって、その「よわさ」は「やわらかさ」といってもいい。
積極的に打ってでる男性的な「つよさ」を補い、控えめでありながら、いつしか相手を自らの懐にいだきとっていく柔らかさなのだろう。男性の世界を補いながら、この世に美しい秩序をもたらす女性の役割、それがこの「よわき心」なのだろう。

この弱さの中に独自の積極的な意味を見出したのが、広くいえば東洋の文化であった。人間としての尊厳において男女の間に差別があるはずはない。
しかし、そのこと男女がこの世で果たすべき役割のちがいを無視することとはまったく違う。「男女同権」という言葉が孕む、ともすれば男女の区別を頭から無視してしまうような粗雑な論理を、それこそ「よわき心」  
柔らかな言葉でたしなめ給うた一首であった。  


『教室から消えた「物を見る目」「歴史を見る目」』小柳陽太朗著