車いすで快適な生活を!

車いすで楽しく快適に過ごしたいという子をもつ母日記

きょうだい児

2012-05-18 10:48:45 | 福祉情報
「きょうだい児」という言葉を知ったのは、しょうちんが生まれてすぐに読んだ
「電池が切れるまで」とう本でした。

その時は、きょうだいのことどころではなかったのですが
「きょうだい児」という言葉が衝撃的で忘れられませんでした。
「しょうがい児」や「難病児」のきょうだいのことを「きょうだい児」と呼びます。
そんな言葉やくくりがあったなことさえも知りませんでした。

健常であっても同じだけの支援が必要だと聞いたことがあります。
「どうして?」と思っていたのですが、最近・・・というか
ここ1年ぐらい、その必要性を痛感しています。

しょうちん妹は、いわゆる健康優良児。
お腹をこわすことも熱を出すこともなく、すくすくと成長しています。
今、4歳です。
歩き始めも早く、ベビーカーいらずの体力。。。本当に元気いっぱいで
私の手なくても好きなところも行けるから大丈夫だと勝手に思っていました。

半年ぐらい前から、いろいろなことに自己主張も激しく絶対ゆずりません。
しょうちんゆずりの頑固さ。
それはそれは、すごいもので、元祖のしょうちんがあきらめる状態。
あまりに兄のしょうちんが我慢ばかり、、、
しょうちんが気の毒に思えたりします。

私も大人げないのですが、真剣にイライラしてきます。
動けないしょうちんをまたせての押し問答。
いつも我慢我慢のしょうちん。
学校での我慢の多いしょうちんなのに、家ではもっと我慢。
(また、不登校に戻ってしまったら・・・)

私がイライラして、爆発していても問題は解決しない。
何かを変えなければ・・・。
ふと10年前の本にあった「きょうだい児」の言葉を思い出しました。

しょうちん妹は、もっと我慢していたのかもしれない。
本当は、もっと抱っこしてほしかった。もっと見ていてほしかった。
しょうちんの装具をはめたり、車いすの乗せ降ろしや車いすの行けないところを
サポートする私に伝えられなかった。
小さいから「弱者」であり、守られて当然の時期に
歩けるから「弱者」でなく、必然的に頑張らなければならなかったのかも。



もっとかまってほしかったんだ。
大きい兄のサポートをかまっているように見えたかも。
どうして自分はかまってもらえないの?って思えたのかも。


ごめんね。ほーちゃん(妹)
母が甘えていたね。
今から、間に合うかな?

ふと思い出したのが、しょうちんが不登校になる前の手術。
しょうちんが7歳。妹が2歳。

しょうちんが滋賀県で手術して約1か月住まいを別にしたときは、笑わなくなっていた。
大急ぎで、病院近くのアパートで一緒に住むことにして笑顔が戻るまでに1か月。
どこかで、あなたは「健康」なんだから、「自由」に動けるのだから
私でなくても大丈夫でしょ?
おじいちゃんやおばあちゃんがいるから大丈夫でしょ?
お兄ちゃんは大変な手術があるのだから・・・
という思いがありました。

笑わなくなったときに「これではいけない!」と思ったのに・・・
術後の回復やしょうちんの不登校で、見れていなかった。
本当は、もっと前から信号が出ていたけど、気づかなかっただけかもしれません。

本当に育児は難しいです。
いつも笑顔の母でいたいのに、全然できない自分に自己嫌悪。
そして、反省して、奮起して、、、、
その繰り返しが育児なのかな。

少し特別なしょうちんと妹の組み合わせきょうだいを
自立して過ごせるようすることが大切な親の役割なのだろうなぁ。
と、改めて、生活スタイルを考える母です。

コメント (6)
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