RCサクセションというバンドに出逢ったのは高校時代。
最後の作品『Baby a Go Go』が発表されたのもこの頃。
そんな時、初めて参加させてもらったバンドの練習曲。これもたまたま、誰かが決めたRCの「雨上がりの夜空に」だった。
そのバンドはお遊びで、にクラスのメンバーで集まってわいわいやってたもの。ヘタっぴながらみんなで演奏する楽しさみたいなものを少し感じることが出来た。
だけど、RCはもっと個人的に、一人で接するものだという想いを持っていた。
一人で対話して一人で噛み締めて一人で興奮するものだとどこかで思っていた。
当時の私にとってとても大きな存在だったのがブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利だったのだけど、その2人の元の大親分みたいに、キヨシローのことを勝手に捉えていた。キヨシローは彼らよりもっとラディカルでクールで容赦なかった。だけどいっつもサインの横に書くうさぎの目がハートのイラストだとか、『十年ゴム消し』みたいな本の中のキヨシローはとてもとても人間臭く、でも嘘がなくって惹かれた。残酷であることを厭わない、自分をよく見せようと大事なとこで取り繕わない正直さ。信頼出来る大人だと思った。
その後、ふらふらしていた私が出逢ったのが忌野清志郎のソロ・アルバム『Memphis』だった。その中に収録されている「世間知らず」という曲が決定的だった。自分のことを歌ってくれていると思った。そのとき、必要だったもの全てを歌ってくれた。そんな人は誰もいなかった。大人なのに、もう成功しているハズの人が歌える歌ではなかった。だけどキヨシローは歌って、しかもそこに嘘はなかった。すごいことだと思った。そのことにどれほど勇気をもらったことか。
もっと後、相変わらずふらふらしていた私は、RCの熱狂的ファンの人とともだちになった。
彼はアナログとCDの音の違いを熱心に教えてくれ「昔の音源は絶対アナログを買った方がいい!」といつも熱弁して教えてくれたのだけど、私はちっとも分からなかった。でも今、ホントに最近「アナログの音はいい」と感じ始めている。分かるまでに10年かかった。私が鈍感なのを抜きにしてもすごく耳がいい人で、他のことは何もせず音楽や美術のみに神経を集中させていた。私よりももっと生き方のバランスが悪い人だった。色々忘れやすい私だけれど、あの頃のことはすごくよく覚えている。恋愛とか友情とかそんなん少しの間チャラにして、ただ小学生の子供みたいに仲良く遊んだ。キヨシローの歌声を聴きながら。
そして今朝、ネットで知って、『シングルマン』のアナログを聴いた。
例えば ”ヒッピーに捧ぐ” とかで泣くかと思ったけど泣かなかった。
けど、ホントにお別れは ”突然” やってくるんだなぁと思った。
そして「アナログの音、ホントいいなぁ」としみじみ感じた。
キヨシローは、きっとしめっぽいのは嫌いだろうなぁと思ったので、少し気を取り直した。
でもあんなに聴いた『Memphis』のCDも手元になく、だけどやっぱり ”世間知らず” を聴きたかったのですんませんと思いつつ youtube で見てみたら涙が止まらなかった。その後もランダムで次々色んな曲のライブ映像が流れて行く。コメント欄には続々と悲しみの言葉や感謝の言葉が寄せられている。最高の曲、楽しいパフォーマンスの映像ばかりでダメですね。
なんか私もお礼を言いたいんだけど、認めることになっちゃうのもイヤだな。
これからもお世話になることもあるだろうし。まだ過去形にしたくない。
だけど、今は決してファンだとは呼べない私だけど、でもあなたにコネクト確かにしてた時があるっていうのが、チッポケな自分としてはとってもとっても誇らしい気持ちです。
そしてそうやって離れていても、触れればいつでも胸をうんと撃ち抜かれるあなたの曲は最高です。
一番必要な時に一番必要としている歌を歌ってくれてありがとう。
この世に存在してくれてありがとう。
あの~これからも曲の中で確かに生きてるあなたに接していくんで、よろしく。
最後の作品『Baby a Go Go』が発表されたのもこの頃。
そんな時、初めて参加させてもらったバンドの練習曲。これもたまたま、誰かが決めたRCの「雨上がりの夜空に」だった。
そのバンドはお遊びで、にクラスのメンバーで集まってわいわいやってたもの。ヘタっぴながらみんなで演奏する楽しさみたいなものを少し感じることが出来た。
だけど、RCはもっと個人的に、一人で接するものだという想いを持っていた。
一人で対話して一人で噛み締めて一人で興奮するものだとどこかで思っていた。
当時の私にとってとても大きな存在だったのがブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利だったのだけど、その2人の元の大親分みたいに、キヨシローのことを勝手に捉えていた。キヨシローは彼らよりもっとラディカルでクールで容赦なかった。だけどいっつもサインの横に書くうさぎの目がハートのイラストだとか、『十年ゴム消し』みたいな本の中のキヨシローはとてもとても人間臭く、でも嘘がなくって惹かれた。残酷であることを厭わない、自分をよく見せようと大事なとこで取り繕わない正直さ。信頼出来る大人だと思った。
その後、ふらふらしていた私が出逢ったのが忌野清志郎のソロ・アルバム『Memphis』だった。その中に収録されている「世間知らず」という曲が決定的だった。自分のことを歌ってくれていると思った。そのとき、必要だったもの全てを歌ってくれた。そんな人は誰もいなかった。大人なのに、もう成功しているハズの人が歌える歌ではなかった。だけどキヨシローは歌って、しかもそこに嘘はなかった。すごいことだと思った。そのことにどれほど勇気をもらったことか。
もっと後、相変わらずふらふらしていた私は、RCの熱狂的ファンの人とともだちになった。
彼はアナログとCDの音の違いを熱心に教えてくれ「昔の音源は絶対アナログを買った方がいい!」といつも熱弁して教えてくれたのだけど、私はちっとも分からなかった。でも今、ホントに最近「アナログの音はいい」と感じ始めている。分かるまでに10年かかった。私が鈍感なのを抜きにしてもすごく耳がいい人で、他のことは何もせず音楽や美術のみに神経を集中させていた。私よりももっと生き方のバランスが悪い人だった。色々忘れやすい私だけれど、あの頃のことはすごくよく覚えている。恋愛とか友情とかそんなん少しの間チャラにして、ただ小学生の子供みたいに仲良く遊んだ。キヨシローの歌声を聴きながら。
そして今朝、ネットで知って、『シングルマン』のアナログを聴いた。
例えば ”ヒッピーに捧ぐ” とかで泣くかと思ったけど泣かなかった。
けど、ホントにお別れは ”突然” やってくるんだなぁと思った。
そして「アナログの音、ホントいいなぁ」としみじみ感じた。
キヨシローは、きっとしめっぽいのは嫌いだろうなぁと思ったので、少し気を取り直した。
でもあんなに聴いた『Memphis』のCDも手元になく、だけどやっぱり ”世間知らず” を聴きたかったのですんませんと思いつつ youtube で見てみたら涙が止まらなかった。その後もランダムで次々色んな曲のライブ映像が流れて行く。コメント欄には続々と悲しみの言葉や感謝の言葉が寄せられている。最高の曲、楽しいパフォーマンスの映像ばかりでダメですね。
なんか私もお礼を言いたいんだけど、認めることになっちゃうのもイヤだな。
これからもお世話になることもあるだろうし。まだ過去形にしたくない。
だけど、今は決してファンだとは呼べない私だけど、でもあなたにコネクト確かにしてた時があるっていうのが、チッポケな自分としてはとってもとっても誇らしい気持ちです。
そしてそうやって離れていても、触れればいつでも胸をうんと撃ち抜かれるあなたの曲は最高です。
一番必要な時に一番必要としている歌を歌ってくれてありがとう。
この世に存在してくれてありがとう。
あの~これからも曲の中で確かに生きてるあなたに接していくんで、よろしく。
こうして誰かが書いてくれてるの読むと
安心するな
ありがと~
私もこれ書いてからセラピーさんとこ行ったら
記事書いてはったんで、なんだか安心しました。
yujiさんとlenmacさんはまだで、
なんかそれもまた違う形で悲しみが
伝わってきた気がしました。勝手なあれだけど。
なんかまだぼーっと変な感じがしています。
こっちこそコメントありがとです。
(ベイベェ~!!!! 号泣)
中日スポーツの1面全面が清志郎だったのは
誇らしい気分になったよ。
ここんとこ、すごく成長していたがゆえに
とても惜しまれます。
ふつうの言葉を、あんなに深く伝えられる人は
やはり、少数ですからね。
モスコちゃんの言うとおり、湿っぽいのは
きっと嫌いだと思いつつも、まじ泣けたわ。
かけがえのないもの
いっぱいもらいましたよね
そのことを誇りに思ってます。
時間が経つにつれ、キヨシローのでっかさだけ感じて
ぽっかりと穴があいちゃった気分です。
みんな1人1人に誇りや勇気を
与えていった人なんですね。
改めて言うまでもないけど、すごいや。
>ふつうの言葉を、あんなに深く伝えられる人
ホントホント。
すんごい分かりやすいけど、深くてね。
あんな人、いないよ。
「世間知らず」は泣ける曲ですよね。。「Memphis」は過小評価されている1枚だと思います。
ですよね~。ギリギリで間に合いましたよね、RCも。
あと『Covers』やタイマーズなんかも思い出深いです。
『Memphis』ただいま注文中です
でも、いまだやっぱり受け入れがたいです。
日が経つにつれ、人間としての魅力、でっかさ、偉大さ、自分に与えてくれたこと、などをどんどん感じてしまいます・・・。