ヘッドフォンて音と一体になる感覚を味わえるから好きです。
大好きな曲がかかるとiPod上の指は自然にをグルリ右方向に半円描いてしまう。
ひょんなキッカケからピチカート・ファイヴ、久しぶりに最近よく聴いてて。
中でもピチカートはこのアルバムが最高傑作だと、個人的に強く確信しています。今でも。
恐ろしいアルバムなんだ、コレは。中身もその出来も。
リアルタイムでも狂ったように聴きました。小西さん、とうとうやってくれたわ♪なんて大喜びで。その時はアルバムタイトルからもギター寄りのサウンドからも、私もロック寄りの感覚で「1人の作家がロックンロール魂で気合いの入ったアルバム作り上げてきたで~!」なんて興奮してたんだけど、今聴いて思うことってなんか全然違う。
これはとても悲しいアルバムだ。悲しい恋の歌ばかりじゃないか。
いや、恋とも呼べないような、不毛で満たされない欲望ばかり。だけど思えばピチカートの歌詞なんて大抵そういうもんか。
でも今、悲惨さばかり聴こえてくるようになった。死の影さえ漂っていたんだ。
当時(って15年も前か!)、2曲目の ”エアプレイン” は自分のことが歌われてるとかなんとか思ってたおバカさんだけど、今聴いてもやっぱこれ自分だ、とか思う。 イイ年していまだに「子供みたい」だなんて恥ずかしい限りだけど。でもこれもよく聴いたら悲しい歌だった。
随分後から換骨奪胎されたドノヴァンの曲と不意に出逢って、そん時うれしかったー。
大ヒットした9曲目 ”東京は夜の七時” もどこまで悲しいんだって話で。
アルバム・ヴァージョンは11分もの間
♪早くあなたに逢いたい♪
とよりダウナーなバックに乗せて連呼し続ける。
野宮真貴 に淡々と歌われると余計に狂気を感じてしまう。
ラスト13曲目(!) ”陽の当たる大通り” に至っては歌い出しが
♪死ぬまえにたった一度だけでいい
思いきり笑ってみたい♪
ときたもんだ。
その後も仮に幸せな姿が歌われたとしても、それは想像の世界の中の姿のことで、決して今ある現実のことではないのです。そう、これはブルースなのです。
って、ホラ、そう言われるとミシシッピ・デルタ・ブルーズ・ヴァージョンかなんかで例えばサン・ハウスとかがこの歌を歌うのが聴こえてくるような気がしませんか。
最後にずっとバイバイ言ってるし、このアルバムの完成度、タイトル、不吉な余韻から、当時てっきりこのアルバムでピチカート終わっちゃうもんだとばかり踏んでいたのですが。
ホント最っ高に好きな曲です。
でもそれよりも好きな曲が5曲目 "ハッピー・サッド" 。ピチカートの中でこの曲が一番好き。
これもなぜだか自分のこと歌われているような気にいつもなる。
サウンドはハッピーだけど、歌詞がサッド。
♪ゆうべ手に入れて
ふたりで聴いた
レコードの裏おもて
退屈なラブ・ソングと
憂鬱なジャズと
真夜中のターンテーブル
ただ廻り続ける
踊りたくなるようなソウル・ミュージック
永遠に続く いつだってハッピー・サッド♪
この曲でヘッドフォンの音量が上がったのです。
音が大きすぎて鼓膜が破れて、例えこの曲が自分が聴く最後の音楽になったとしてもいいと。
瞬間、そう思えるくらい。
ホントはもちろんものすごく困るんだけど。
大好きな曲がかかるとiPod上の指は自然にをグルリ右方向に半円描いてしまう。
ひょんなキッカケからピチカート・ファイヴ、久しぶりに最近よく聴いてて。
中でもピチカートはこのアルバムが最高傑作だと、個人的に強く確信しています。今でも。
恐ろしいアルバムなんだ、コレは。中身もその出来も。
リアルタイムでも狂ったように聴きました。小西さん、とうとうやってくれたわ♪なんて大喜びで。その時はアルバムタイトルからもギター寄りのサウンドからも、私もロック寄りの感覚で「1人の作家がロックンロール魂で気合いの入ったアルバム作り上げてきたで~!」なんて興奮してたんだけど、今聴いて思うことってなんか全然違う。
これはとても悲しいアルバムだ。悲しい恋の歌ばかりじゃないか。
いや、恋とも呼べないような、不毛で満たされない欲望ばかり。だけど思えばピチカートの歌詞なんて大抵そういうもんか。
でも今、悲惨さばかり聴こえてくるようになった。死の影さえ漂っていたんだ。
当時(って15年も前か!)、2曲目の ”エアプレイン” は自分のことが歌われてるとかなんとか思ってたおバカさんだけど、今聴いてもやっぱこれ自分だ、とか思う。 イイ年していまだに「子供みたい」だなんて恥ずかしい限りだけど。でもこれもよく聴いたら悲しい歌だった。
随分後から換骨奪胎されたドノヴァンの曲と不意に出逢って、そん時うれしかったー。
大ヒットした9曲目 ”東京は夜の七時” もどこまで悲しいんだって話で。
アルバム・ヴァージョンは11分もの間
♪早くあなたに逢いたい♪
とよりダウナーなバックに乗せて連呼し続ける。
野宮真貴 に淡々と歌われると余計に狂気を感じてしまう。
ラスト13曲目(!) ”陽の当たる大通り” に至っては歌い出しが
♪死ぬまえにたった一度だけでいい
思いきり笑ってみたい♪
ときたもんだ。
その後も仮に幸せな姿が歌われたとしても、それは想像の世界の中の姿のことで、決して今ある現実のことではないのです。そう、これはブルースなのです。
って、ホラ、そう言われるとミシシッピ・デルタ・ブルーズ・ヴァージョンかなんかで例えばサン・ハウスとかがこの歌を歌うのが聴こえてくるような気がしませんか。
最後にずっとバイバイ言ってるし、このアルバムの完成度、タイトル、不吉な余韻から、当時てっきりこのアルバムでピチカート終わっちゃうもんだとばかり踏んでいたのですが。
ホント最っ高に好きな曲です。
でもそれよりも好きな曲が5曲目 "ハッピー・サッド" 。ピチカートの中でこの曲が一番好き。
これもなぜだか自分のこと歌われているような気にいつもなる。
サウンドはハッピーだけど、歌詞がサッド。
♪ゆうべ手に入れて
ふたりで聴いた
レコードの裏おもて
退屈なラブ・ソングと
憂鬱なジャズと
真夜中のターンテーブル
ただ廻り続ける
踊りたくなるようなソウル・ミュージック
永遠に続く いつだってハッピー・サッド♪
この曲でヘッドフォンの音量が上がったのです。
音が大きすぎて鼓膜が破れて、例えこの曲が自分が聴く最後の音楽になったとしてもいいと。
瞬間、そう思えるくらい。
ホントはもちろんものすごく困るんだけど。
この辺はベスト盤を残して全部手放しちゃったなぁ。今モーレツに聴きたくなってきて困った。
俺も小西さんの歌詞の暗さが好きです。陽気なサウンドに隠れがちですが、ピチカートの真髄は歌詞にあると思います。
今日のモスコさんの文章、泣けました。。
このアルバムは未聴ですが、ご紹介の曲はおおよそ知っています。
きっとラジオでかかりまくってたからではないでしょうか。
テレビにも出まくってたし万事快調!な時代でしたね、今想えば。
しかしご指摘のような歌詞なのですね。
これぞ永遠の文学青年(?)小西氏の真骨頂というべきか。
私のとってピチカート青春の1枚は「女性上位時代」です。
サウンド、歌詞、アートワークの完璧な融合。
野宮真貴へのインタビューが曲になってしまうなんてのもビックリでした。
こんなお洒落な世界があるのか、と身悶えしました(笑)
私もベスト盤含めぜーんぶ売っちゃってたのすが、また中古でぼちぼち揃えていってるんです、ピチカート。
って、何をやってるんだか...(^^;)
神髄は歌詞にあり。そのとーりだと思います。
沁みて仕方ないっす。
暗さが心地よいです。特にこの季節。
悲しみはぶっとばせ。
ジョンじゃなくて田島さんの声でね。
♪わけもなく 気分はどこかブルー♪
売れてたんだなぁ、ピチカート・ファイヴ。
でも ”万事快調” という曲だって
♪万事快調
ってわけにはいかないみたいね♪
ですもんね(笑)
小西さんの歌詞が妙に沁みるお年頃となりました。
『女性上位時代』ですかぁ。聴いたことないです(^^;)
ベスト盤等で曲自体は何曲か聴いてますけれど。
ちゃんとアルバムとして聴かないといけませんね。
思えば、これぞ最高傑作!というアルバムばかり、作り出していた恐ろしい人なのかもしれません、小西さん...。
インタビューが曲になってるヤツ、あれ何かの映画が元ネタだったような。ある時「これかー!」っていうのあったんですよね。でも映画だったか、はたまたなにかの曲だったかさえも覚えていないのですけど(^^;)
あのジャケ、めちゃかっこいいと思います!
またまた乗せられたということで、どうもありがとう(笑)
光栄です。
音の方ばかりに気を取られてたんですが(やっぱりコレはあの引用かな~とか)、モスコさんのこのエントリのおかがで歌詞のことにも目が向きました。
一応、iPhoneにも同期させたのでヘッドフォンで違う聴き方ができると思います。
あ、気になるヘッドフォンも出て来たりと物欲の切りのなさは相変わらずの自分でございます。
当時同じように狂ったように聴いていた渋谷系周辺も一緒に聴いてみたのですが、いかんせん、ちょっと聴けないヤツもあったりで...。
でもピチカートはいつの時代でもずっと聴けそうな気がします。
歌詞、いいんですよ。とっても変で暗くてグッときます。
物欲。困りますね~。
小西さんほど猛然と突き進めば、それは立派な芸にもなるのでしょうけどね~(^^;)