トノバンと呼ばれた男、加藤和彦

2018年12月26日 | Japanese
私はトノバンの音楽を愛する。

誰が何と言おうと…!って、誰もなんも言ってないですけど。でも断然トノバンの味方なのです!
なぜでしょう、なぜかこういう事を言いたくなる人。


彼のカタログはApple Musicにほとんどあります。
今年の夏くらい急速にハマって、聴きまくっています。
映画『この世界の片隅に』で使われたコトリンゴがカバーした「悲しくてやりきれない」。この曲が何かのきっかけでふと耳に入ってきて、あぁ、やっぱこの曲すごいなぁ、ちゃんと聴かないとなぁ加藤和彦、とか思ったのがキッカケです。

彼のソロ・ワークの代表作的な誉れ高いヨーロッパ三部作なんて、割と苦手な路線なんだけど、それでも我慢して聴き続けてたら、その良さも少し感じられている気がするし、でもそれ以上に私はやっぱりソロ初期ですわ。

1st『ぼくのそばにおいでよ』(1969)
2nd『スーパー・ガス』(1971)
サディスティック・ミカ・バンド後の
『それから先のことは…』(1976)

断然好き。
あとフォークルもミカ・バンドもかなり好きになりました。当然です。素晴らしいんだもの。

これって渋谷系がリアルタイムな青春時代を送った人間としては当然のチョイスでしょうか。でもなんでその90年代にこの人はもっと再評価されなかったんだろう!
当時の小沢健二やサニーデイ・サービスの曽我部恵一、渋谷系ではないけど奥田民生とかの諸々のミュージシャンへの影響を考えると、大瀧詠一さんや細野晴臣さん、キヨシローとかと比べてその評価の低さ、騒がれなさに、不憫と言っては失礼なほど大成功している人なのに、とても寂しい残念な気持ちになります。特に当時の小沢健二は65%くらい加藤和彦だったんだなと勝手に断定。

2代目、3代目ミカ・バンドはその都度それなりに話題にはなっていた記憶はあるけれど、それと共に加藤和彦の功績を振り返っての盛り上がり、なんかはあまりなかったように思います。それだけ現役感あったってことかもだけど。

でもその確固たる才能に対して、正当に評価された時代が彼にはあったのかしら。色々2018年暮れの今頃、ですけど。
こういう事を言いたくなる人。


何にこれほど夢中になったのでしょう。


まず、なによりも加藤和彦が音楽の人であったこと。
トノバン、ってあだ名が全てを物語ってるのではないでしょうか。大好きです、このあだ名。もちろん由来はあのドノバン。
トノバンって呼ばれる彼のことも好きだし、今も彼のことをトノバンって呼ぶ人たちが好き。


あと、彼の作るすべての音楽に通底してある、その儚さ、か細さ、弱さ。
フッて息を吹きかければ消え入りそうな心細さがどこかにある。寂寥感が半端ない。明るい曲でも。そこが、いい。怖いくらい妙に軽いとこも。
才能が突出してる分、そこに脆さが出てしまっているのでしょうか。


そして、その儚さと反して、メロディの堂々とした存在感。
「悲しくてやりきれない」や「あの素晴らしい愛をもう一度」のメロディはそれ以外はないっていうドンピシャでとても強いもので。


私はつくづく、寂しげな人が作る、寂しげだけど多くの人々の心を鷲掴みにするわかりやすいポップな音楽が好きなんだなぁと思わされます。


彼の中にあるアンビバレンツ。両極性。
儚さと強さ。
日本と英国、または米国、または諸外国。
陰と陽。
古さと新しさ。
保守的なとことアバンギャルドなとこと。
一筋縄ではいかない複雑で繊細な匂いがするところが好きです。




私の親と同世代のあなたと同じ時代を多く生きていたにも関わらず、恥ずかしいくらいすれ違ってやっと出逢えた、遅れすぎたファンが何言おうと知ったこっちゃないと思いますが、トノバン。

どれだけカッコ悪く、ダサく足掻いててでも、あなたに生きていて欲しかったですよ。
でも苦しかったのなら仕方ないですよね。
だけどあなたがいない世界はこんなにも味気ない。







【おまけのはなし】この写真↑、トノバンの音楽を聴くようになるずっとずっと前から、この写真が好きでした。
妙にポール・マッカートニーの「出ておいでよ、お嬢さん」の日本盤のシングルで使われている写真を思い起こさせるんですよ。
そんで実はさっきまでパロディで撮ったのかなって思ってたくらい、頭の中ではその2枚の写真が繋がって見えてました。
ほんでまた私がこの時期のポールがとてつもなく好きで。
で、この時期のポールの完コピ写真撮るくらい加藤和彦ってポール好きなんだ、じゃあいい人に違いない、って勝手に勘違い妄想突っ走ってました(笑)
でもその勘違いのおかげで、ずっと聴かなきゃなー加藤和彦とか思ってたんでしょうね、頭の中のどっかで。
よかった、いい勘違いしておいて。





鳴り止まないラブソング [初回限定盤 CD+DVD] のDVD、たまらん!

2014年10月29日 | Japanese

ザ・コレクターズの新作『鳴り止まないラブソング』。
7月の発売と同時に買って聴いていたものの、どっか自分の中の治まり具合がうまく見つけられなかった。というか少し ”思ってたんと違う” かったのよね。タイトルからして、コレクターズが得意とするキュンキュンの泣き系ラブソングが一杯入ってるのかなと思いきや、ビートバンド的な曲、カラッとした明るめの曲が多いように感じて、期待が大きすぎた分、最初はちょっと拍子抜けしちゃったのです。
でも違ったねー。3ヶ月間聴き続けた結果。いいですこれ。ようやくわかってきた!彼らの20枚あるオリジナルアルバムの中で、初めて買うアルバムがこれでも全然オッケー。むしろ今ならこれがいい。
なぜならコレクターズはいつでも「今が最高!」なのです!!これホント。

 

でもアルバムよりも、最初は初回限定盤のオマケのDVDにやられちゃった。
これは今でもほんといいと思うし、飽きずに何度も観てしまう。
今日はこのDVDの感想をば。

今年5月に岩手の北上と東京の赤坂で行われたギターのコータローの50歳記念ライブ映像と、このアルバムの録音風景のドキュメンタリーのダブル構成になってて。収録時間は全部で1時間くらいかな?

これがどっちもすんごい見応えあるものになってて、どんだけ太っ腹なんだー!と。
彼らの最近のアルバムやシングルのCDはこうやって初回限定盤にオマケDVDが毎回必ず付いててファンを、これでもかっ!って喜ばせるんですよね。最近のコレクターズの特徴として、出し惜しみしないっていうのがあるよね。ケチ臭さが一つもないの。


さてDVDの感想ですが、まずライブの方。最近私的にとんとご無沙汰だった彼らのライブでの勇姿がたっぷり観ることが出来て超満足。なにこれ、キレッキレやん!シンプルな編集だからその場に居てるような臨場感もあるし、もうウハウハです。”GROOVE GLOBE” とか気合い入りまくりの素晴らしい演奏、歌で、思わず終わった後に毎回拍手しちゃうよー、TVの前で。

新メンバーのベースのJEFF(ジェフ)さんのライブでの勇姿も初めてこれで観れるわけですが。
コーラス(今までの彼らのライブのちょっとした弱点であった)もバンバンしてくれるのが頼もしいし、なによりルックスと気合い、佇まいが今のコレクターズにすごく合ってて、これからすごい期待しちゃうなぁ。いいなぁ。私、妙に好きだなぁ、あの人。あなたの男気でこれからもリーダーをサポートしてあげていってください!

あと初期のメンバー、チョーキーがサプライズで出てきて ”Too Much Romantic!” を一緒に演奏するシーンがあるのですが、これがたまらん!わかってても、何度観ても、泣けちゃうよあれは。このコータローの50歳記念ライブというものの持つ特別感、時の流れやそれぞれの人が持つ人生の重み。バンドが背負ってきたキラキラした栄光とドロドロした挫折が否応なくそこにあって、いやぁあれは参った。よく収録してくれました!あの時、歌いながら色々考えて辛くなったって加藤さんもツアーブック「DONUT」のインタビューで言ってたもんね。バンドをやり続ける意味。これはどのバンドにも降りかかるけど、ブレイクしないまま、もしくはその歴史のほとんどを「ブレイク寸前!」と言われながら30年近くやり続けているコレクターズの命題がそこにあってね。

何はともあれ「コレクターズはやっぱりライブ!」ということを有無を言わさずスッと分からせてくれる有り難いライブサイドであります。


そしてアルバムの録音風景のスタジオサイドですが、これもまた実に味わい深い。先ほども「新メンバー」と書きましたが、先に書いたチョーキーの後に入って、既にもう20年以上一緒に演っていたベースの小里くんの、アルバム制作前の突然の脱退劇があったことと、とにかく数が多いツアーなどなど、えらく忙しいのと、最近歌詞に苦労していてなかなか出来ない苦しみと。要は時間がない中でのアルバム制作。

そんなリーダー、加藤さんの苦悩する姿、疲れ過ぎてる姿が嫌と言うほど観れる!これはたまらんぜ?(笑)いやほんと、ここの素の加藤さんにグッときますよ、私ゃ。疲れてるオッサン、好きなのよ(笑)雨に濡れたクタクタのでっかいのら犬みたいで(笑)
いや、でも実際かっこいいです。男が仕事してる姿だからね、これも。華々しいライブとは違った姿で。命削りながら、ね。
ここでの加藤さんは少なくともアー写の加藤さんの100倍はかっこいいと思う!!

ほんで、「素」って書きましたけど、「いやいや、カメラ廻ってるんだから、ちょっとはかっこつけてるでしょ。意識してるでしょ」とか思うでしょ?でも芸歴というかバンド生活もうすぐ30年の彼らは最早カメラの前であろうが、素なのです。だってオーラゼロだもん(笑)加藤さんもコータローもポッドキャスト「池袋24時」で「(カメラが廻っていても)全然気にならない、してない」って言ってたしね。そこはほんとうだと思う。そここそがグッとくる見所であるわけだし、最近の二人の止まらない魅力でもあるのです。

そしてそんな素の疲れている(コータローはそうでもないか)二人の、1曲1曲に対するあーでもない、こーでもない的なやりとりが、これまた!!こうやってコレクターズの名曲の数々は産まれてきたのか!なんて感動が待っております。

コレクターズの曲におけるコータローのギター・ワークの重要さに、加藤さんに夢中すぎて気付いたのが最近という超遅い私ですが、それが観れるんですよね、形として。コーちゃんじゃなきゃ、ダメだったんだね。当たり前だけど。
最近、ホントにこの二人の年月を積み重ねてきた、いい夫婦振りにやられっぱなしです。
二人のポッドキャスト聴いてたら、誰でもそう思わずにいられないですよね。

 


そんなわけで彼らに興味を持ってる人で、このアルバムを買ってみようかなぁという人がもしいたら、絶対DVD付きの初回限定盤!全力でオススメです!

そして気付けばどんどんハマって抜け出せなくなるよ!

アルバムの感想を書きたかったんだけど、今日はもう無理だ。
出来ればまたいつか書きたい...!

 


『対音楽』(2012)中村一義

2014年10月02日 | Japanese

中村一義名義ではなんと10年振りの作品という。
もちろんその間、100s(ひゃくしき)というバンドで活動してはいたのだけど。

でもやっぱ、ソロの中村くんが、私はいい。
うたってる「中村一義」とそれを聴いてる「私」に届く、その 個人 対 個人 の感じが、中村くんの場合は本当に特別だと思うから。

中村くんのうたとは進んで対峙したい。
歌詞は聴き取りがちょっとしにくいところもあるから歌詞カードと首っ引きでね。
あの独特の長文の歌詞をむりくり美メロに乗せて歌う、トリッキーな強引さがまたよかったり。

 

2年前の先行シングル発売時はiTunesでうほうほとダウンロード購入したんだけど、アルバムまで辿りつかんかった。
そうだ、あの2年前の夏はそれどころでは本当になかったんだった。
ということをこれを書いてて思い出した。

 

そして、アルバム発売から2年後の本日(日付は記事の一日前だけど)。
最近あまりお金持ってないけど、ひれ伏せさせてくれる音楽となんとか出逢いたくて、レンタル屋さんに行き、この「対音楽」を借りてきて、私は今日初めてこのアルバムを聴いたのです。今日出逢った。


いい!すっごくいい!
1曲1曲、創作することにフォーカスされてて、想いも消化されてて、全曲いい。
作詞作曲、全ての楽器の演奏、歌、全てが文句なく120%中村くんである嬉しさ。
聴いててウキウキしてくる。

そしてやはりソロ名義であった1st「金字塔」や2nd「太陽」に匹敵する 個人 対 個人 の
あの感じが戻っている。そこにある。

これだよぉ、中村くん。
待ってたよー。ほんと。

100sも嫌いではなかったけど、やっぱこの120%中村一義、っていうのがいいよ。

本当に特別なんだよ、この感覚は。

  愛情は何度、暴いたって、ただ、愛情      

      「ウソを暴け!」

  どっか狂っていたって、秒針は時を刻む。
  愛が常時だなんて、なかなかないんだからさ。あ、そう。  

      「きみてらす」

といった言葉が、すーっと入ってくる。沁みる。


2年前にシングルで「ウソを暴け!」を聴いた時、あの中村くんが帰ってきた!?うわー
!!って感動したのを覚えているんだけど、嬉しいことにアルバム丸ごと、帰ってきてたんだなぁ。

私はこれを退化だとは思わない。
本当の自分の中でも、もっと奥の核みたいなものを今一度大切にして表した結果なんだろうと思う。


幼少の頃、父親にも母親にもに捨てられ、愛情深い祖父母に育てられたという過去を持つ彼は、その作品の中で何度も何度も、自分が今、ここにいる理由を探し、疑い、愛を見つけ、そこにただひたすらすがり、信じ、つまずき、引きこもり、そしてビートルズに出逢い、それまで打ち込みだった作風を捨て、一人でリンゴとジョージとポールとジョンを演ってのけ(ほんとうにビートルズのようドラムもベースもギターもピアノも彼一人で演奏したのです)、「あぁすべてが人並みにうまくいきますように」「愛がすべての人たちにわけられてますように」と、一番ビートルズらしいメロディと4人の残像を借りて超絶裏声で歌い、表に出てきて私たちリスナーと出逢ったアーティストであって。

 

今回のこの「対音楽」の中に「おまじない」(この曲最高!)という曲があるのだけど、彼のデビュー当時(1997年)、確かに彼のうたは、私にとって生きるためのおまじない、のようなものでした。

そしてまた、おまじないになるアルバムを作ってくれたんだ。

そのおまじないとは決して、自分をなくしちゃうくらいにすがりつくもんじゃなくて。
逆に、自分という人間を明るく照らしだし、周りにいる人たちを照らしだし、そのことをとってもありがたく感じ、そして今、本当に、ここに、この中に、いるんだ、自分は、ということを、くっきりと、でも少し悲しみみたいなものを携えながら、教えてくれるものなのです。

  そういった「今」というものを、死ぬまでに出来るだけたくさん感じたい。そのとき助けになってくれるのが、中村くんのうたというおまじないなのです。

   君にとって私はどういう存在でしたか?
  僕にとってあなたはどういう存在だったのかな?

なんて中村くんがうたうなんてね。

その続きは

  逢えるかな?また逢えるかなぁ。
  「いつだって心、出逢えるだろ?また、逢えるだろ。」
  ホントだ。逢えたね。

      「歓喜のうた」

とかね。

逢えたねー(レンタルすまぬ)。

大切に何回も何回も聴こう。

このアルバムを。

 

 

あ、そうだ。これも覚え書きとして書いておかなきゃ。 今日は実は前から気になっていた身体のちょっとした不具合の検査の日で、問題なければ当日に結果がわかるという。 きっと大丈夫だろう…でも万が一のこともあるし…っていうヤな日だったんだけど、結果問題なしで。 ホッとしたその足ですごく久しぶりにCDを借りに行ったんだった。それで出逢ったのでした。

真夜中の太陽

2014年07月06日 | Japanese

このまま終わってほしくない。
眠って起きてそのまま明日になってほしくない。
そんな悪あがきの夜。

The Who聴いて、んで、The Collectorsを聴いてる。
どちらも久しぶりに聴く。

ザ・コレクターズ。
私にとってどれだけ大切なバンドなのかは、ずぅっと以前にここに書いたのだけど。


彼らはモッズ・バンドとして87年のメジャーデビュー以来、ずっとコンスタントにアルバムやライブ、はたまたいくつかの別名義の活動など、精力的に今も活動している。

リーダーの加藤さんは1960年生まれだから、今年で54歳だけれど、年齢を重ねれば重ねるほどアグレッシブに活動していて、で、そのつどその時その時の若いファンを獲得していってて、元・若い人だった大ファンとしても、とても誇らしい気持ちになる。

ちょっと間が開いていたというか、契約を切られて苦戦していた時代もあったと思うのだけど、ここ10年位、作品で言えば2005年の「夜明けと未来と未来のカタチ」くらいからかな?のリリース・ラッシュは正直ビックリする。

本当に私が大好きだった90年代にこれだけの数のアルバムやライブ映像作品が毎年発表されていれば、どれほど狂喜乱舞してたことだろう。

作品の数と比例して、どんどん歌自体も吹っ切れていってて、身軽になっていってて、こうなんかバンドの核にフォーカスされていってて、なんともよい塩梅。昔より売れてるっぽいし。

ロックってこういう可能性があるんだから、素敵です。


このバンドの核。
それは加藤さんの描く歌詞の世界。
なんたって歌詞にやられちゃうんだよなぁ~。

90年代に聴いていたときは、若い時固有の「孤独感」を歌った歌詞にやられてた。
加藤さんも若かった。

今はその時の自分から「年を重ねる」ということに、いや、年を重ねるということについての焦燥感やなんともいえないやるせなさを、そのまま嘆くのではなくて、素晴らしき過去を愛おしむことで表現している歌詞にやられている。

同時代に年を重ねていけてるんだなー。
こんな長いつきあいになるとは思いもせなんだなー。


無邪気だったあの頃
好きで好きで仕方なかった
遠い過去の日々
色褪せた今の自分

あの頃の輝いていた二人
あの頃の輝いていた自分
あの頃の輝いていた日々

日々の重みに押しつぶされて
無くしてしまった
失われてしまった
自ら手を放してしまった
それどころじゃないと
言い訳しながら
どれほど大切だったか
今ならわかる
だけど二度と取り戻せない
本当に大好きだったよ

的な。
全然上手く書けないけど。

つまり「昨日」と「今日」における切なさ、みたいなもの。

本気の季節がいかに人生にとって大切だったかってこと。

曲で言ったら”キミノカケラ”とか”未来のカタチ”とか。
”真夜中の太陽”とか”GLORY DAYS”とか。

 

輝いている「今日」や「明日」だけを描いている、最近の若い人よりも精神的に若い、元気な曲も必ずある。
それは超恋愛賛歌的な曲が多い。
ハッピーで青い青い「大好き」がぎゅーっと詰まってる。
こっちも大好きだ。

アルバムの割合的にはそういうポジティブな曲7割、切ない系3割くらいなのだけど、どっちも実にコレクターズらしい。

加藤さんのスウィートなヴォーカルやコータローの紡ぎ出すギターは、子供の無邪気さと大人の滋味が入り交じってて、そんであの歌詞が歌われるんだから、笑いながら泣く。切なすぎて幸せになる。く~~~~っとなる。


とか言いつつ、吹っ切れたように見える2005年以降のコレクターズ作品は「夜明けと未来と未来のカタチ」と2011年の「地球の歩き方」しか持ってないんです。

ぜんぜん追いつかない、どんどん出すから。

でも知ってる。全部等しく良い作品であることを。
どれを聴いても変わらず好調で、同じ魅力の金太郎飴状態であることを。

ゆっくり聴いていきたい。

そんで今年は買いたいな。
もうすぐ発売する、ニュー・アルバム。タイトルは『鳴り止まないラブソング』だって!

実はほぼ毎日彼らのニュー・ソングを聴いてる日々です。
子供が見ているNHKのEテレのアニメ、「おじゃる丸」のエンディングソングがコレクターズの新曲なのです。

”Da!Da!!Da!!!”という曲。
これがまたね、素晴らしいの。
これは本当に青い「大好き」の歌。
ブルーハーツの”キスしてほしい(トゥー・トゥートゥー)”級の、人を好きになった時の真っ直ぐな気持ちを真空パックして、とびきりポップにしたプリミティブな魅力いっぱいで。

言葉遊びみたいな歌詞だから、息子もしょっちゅう「だ、だ、だ!」て歌ってて。楽しそうで。

息子がコレクターズの歌(それも新曲!)を歌っている、という現実に、その時の流れに一瞬クラクラしそうになる。

10代20代のあの頃の自分に教えたくなる。
ビックリするだろうな。

そしてこんな年になっても、未だそのまま明日になるのが怖い夜があって。
よせばいいのに夜更かしして、悪あがきしてるお供にコレクターズ聴いてるってことも。

ビックリするだろうなー。

 

 


LIFE IS COMIN' BACK

2012年09月17日 | Japanese

人生の折り返し地点にいる。

だから一つ一つの瞬間を、出来るだけ大切に過ごしたい。

そう思えたのは自分の父親が亡くなった、ということを身体で呑み込めた時だったように思います。

実際私はもう40前なわけで、折り返し地点と言うには遅すぎるのかもしれない。
だったら余計に、とそう思う。


小沢健二、オザケンは平たく言えば私の青春時代の大切な”アーティスト”。
決して”アイドル”、ではなく。
オザワく~~ん(はぁと)ではなく。
いや、ちょっとはあったかな(笑)

 

赤ちゃんをおんぶして洗い物をしている時、そのオザケンの好きな曲を集めたプレイリストを聴いていたのだけど、あの天下の”ラブリー”という曲がいつもとは少し違って聴こえた。

いつもよりワンテンポ遅く、ゆったり目のリズムで。
目の前を過ぎゆく一瞬一瞬を祝福しつつも、懐かしんで愛おしむように。
すべてが過ぎ去った後に、ありがとうと言っているように。

20年後の私たちの生活と、その20年の間に流れた時間を。
その変化と変わらなさを、まるで見越していたかのようなふくよかな曲。

きっと最近の彼の復活ライブに参加した人たちの感慨もこういうものだったかなぁと、私は想像するしかないのだけれど。


人生の折り返し地点にいる。
だから一つ一つの瞬間を、父がそうであったように少しでも自分らしく、少しでも大切に思って過ごせられれば、いいなぁと思います。

 


『Overdose』(1994) Pizzicato Five

2009年11月29日 | Japanese
ヘッドフォンて音と一体になる感覚を味わえるから好きです。
大好きな曲がかかるとiPod上の指は自然にをグルリ右方向に半円描いてしまう。


ひょんなキッカケからピチカート・ファイヴ、久しぶりに最近よく聴いてて。
中でもピチカートはこのアルバムが最高傑作だと、個人的に強く確信しています。今でも。
恐ろしいアルバムなんだ、コレは。中身もその出来も。

リアルタイムでも狂ったように聴きました。小西さん、とうとうやってくれたわ♪なんて大喜びで。その時はアルバムタイトルからもギター寄りのサウンドからも、私もロック寄りの感覚で「1人の作家がロックンロール魂で気合いの入ったアルバム作り上げてきたで~!」なんて興奮してたんだけど、今聴いて思うことってなんか全然違う。

これはとても悲しいアルバムだ。悲しい恋の歌ばかりじゃないか。
いや、恋とも呼べないような、不毛で満たされない欲望ばかり。だけど思えばピチカートの歌詞なんて大抵そういうもんか。
でも今、悲惨さばかり聴こえてくるようになった。死の影さえ漂っていたんだ。


当時(って15年も前か!)、2曲目の ”エアプレイン” は自分のことが歌われてるとかなんとか思ってたおバカさんだけど、今聴いてもやっぱこれ自分だ、とか思う。 イイ年していまだに「子供みたい」だなんて恥ずかしい限りだけど。でもこれもよく聴いたら悲しい歌だった。
随分後から換骨奪胎されたドノヴァンの曲と不意に出逢って、そん時うれしかったー。


大ヒットした9曲目 ”東京は夜の七時” もどこまで悲しいんだって話で。
アルバム・ヴァージョンは11分もの間

♪早くあなたに逢いたい♪

とよりダウナーなバックに乗せて連呼し続ける。
野宮真貴 に淡々と歌われると余計に狂気を感じてしまう。


ラスト13曲目(!) ”陽の当たる大通り” に至っては歌い出しが

♪死ぬまえにたった一度だけでいい 
 思いきり笑ってみたい♪


ときたもんだ。
その後も仮に幸せな姿が歌われたとしても、それは想像の世界の中の姿のことで、決して今ある現実のことではないのです。そう、これはブルースなのです。
って、ホラ、そう言われるとミシシッピ・デルタ・ブルーズ・ヴァージョンかなんかで例えばサン・ハウスとかがこの歌を歌うのが聴こえてくるような気がしませんか。
最後にずっとバイバイ言ってるし、このアルバムの完成度、タイトル、不吉な余韻から、当時てっきりこのアルバムでピチカート終わっちゃうもんだとばかり踏んでいたのですが。
ホント最っ高に好きな曲です。


でもそれよりも好きな曲が5曲目 "ハッピー・サッド" 。ピチカートの中でこの曲が一番好き。
これもなぜだか自分のこと歌われているような気にいつもなる。
サウンドはハッピーだけど、歌詞がサッド。

♪ゆうべ手に入れて 
 ふたりで聴いた
 レコードの裏おもて
 退屈なラブ・ソングと
 憂鬱なジャズと

 真夜中のターンテーブル 
 ただ廻り続ける
 踊りたくなるようなソウル・ミュージック
 永遠に続く いつだってハッピー・サッド♪


この曲でヘッドフォンの音量が上がったのです。
音が大きすぎて鼓膜が破れて、例えこの曲が自分が聴く最後の音楽になったとしてもいいと。
瞬間、そう思えるくらい。
ホントはもちろんものすごく困るんだけど。




たとえばこんなラブ・ソング

2009年06月04日 | Japanese
地味に日々、増殖中・・・。

このヒト
「軽い」も「重い」も
「優しい」も「ヒドい」も
「大真面目」も「てんでいい加減」も
「面白い」も「つまんない」も
「でっかい心」も「みみっちい所」も
「派手」も「地味」も
「健康」も「不健康」も
「正直」も「嘘つき」も
「ミーハー」も「硬派」も
「あったかい」も「冷たい」も
「カッコイイ」も「格好悪い」も
全~部持ってるとこが好き。

私みたいに、思い出した時に調子良くにわかファンになるような人でも
すっかり魅了されちゃうとこあるんだよなー。
おもしろいひとだ。
味がある。すっごく。
今までも何回もこうやって好きになる時があったんだよなー。

そして知れば知るほど、今いないのが信じられないなぁ。
時間が経ってもますます。
もう悲しみは消えた。
でも、さみしいなぁ。




『Memphis』(1992) 忌野清志郎

2009年05月30日 | Japanese
大切なアルバム『Memphis』。
リアルタイムで出逢えたことに本当に感謝するアルバムです。
でも持ってなかったので買い直して、ようやく久々聴いとります。

ブッカー・T・ジョーンズ (kbd)、ドナルド・ダック・ダン (b)、スティーブ・クロッパー (g プロデュースも彼)それとジム・ホーン率いるメンフィス・ホーンズという、あのメンツで固めたメンフィス録音作のソロ名義2作目。
やっぱり大人になった今聴いてもすっごいすっごい、いいアルバム。改めて感動してます。
曲が粒ぞろいだし、あこがれの地メンフィスで音楽を作り出す喜びに溢れていて、キヨシローもまだまだ若くて元気もトゲもいっぱいで頼もしいし。

最初の4曲の流れがまずグレイト!
まず1曲目!ソウル好きな人なら心躍っちゃわないわけにはいかない "Boys" !
音も最高なんだけどコレ歌詞もまたたまんない。

楽してられんのもいまのうちさ そのうちツケが回ってくるぞ!いやはやなんとも

ホンット、今、楽してた分のツケが回ってきてるもんなぁ・・・(苦笑)

とんずらきめて とぼけたツラして とっぽい帽子かぶって
うろつくべきだぜ フラフラしようぜ

ホントだよ、ボーイズ、そうしなよ。そうしときなよ。
で、当のキヨシローはええオッサンなのにボーイズ側にもにも立てれて、間を自由に行ったり来たりしてるのを歌から感じられるのがまた素敵です。


2曲目、”雪どけ”
ソウルフルなスローバラード!傑作っ。
この歌声の力!どこに出しても恥ずかしい子じゃありません。
きっとメンフィスの彼奴らもビックラしたろうな。この細っこいジャパニーズはなんでこんな声で歌えるんだ?!ってね。答えはキヨシローがただ本物のソウルマンだってことだけなんだけどさ!

いつもの出来事さ 駅のホームに散らかってる物事さ
いい表せはしない 言葉では言えない
でもそれは とても強い
間違ってはいない 世界で一番強い

それは愛 この愛...


ここたまらんわ~。ここの最後の盛り上がりがグッとくるんですよねぇ。
あとなんだか「ユーモアに ユーモアに」ってとこの歌い方も残るなぁ。


4曲目、”世間知らず”
この曲については前に書いたし、思い入れがありすぎて恥ずかしい(ウザイ)のでもう書きませんが、本当に大切な曲。
歌詞的にもサウンド的にもオープニングの "Boys" と陰と陽として対をなしていると感じます。
若者であるということ。


苦労なんか知らない 恐いものもない
あんまり大事なものもない そんなぼくなのさ

世間知らずと笑われ 君は若いよとあしらわれ
だけど今も夢を見てる そんなぼくなのさ



で、この最初の流れに並んで最高なのが最後の5曲の流れ。
"石井さん"~"僕の目は猫の目"~"ラッキー・ボーイ"~"彼女の笑顔"~"MTN"。最高っしょ。ここ聴くの幸せだなぁ。
全部、陽のヴァイブに溢れてて。きっと子供が生まれてどんどん成長していってるという喜びもすっごい大きいんだろうなぁと思います。


"石井さん"~"僕の目は猫の目" の流れはとにかく楽しくって。子供の声も入っててそれが効いてるなぁ。
その子供の声がキヨシローにとってどれだけ力になってるかってことも伝わってきて、またヤバいっていうか。


"ラッキー・ボーイ" はキヨシロー版 ジョン・レノン”Beautiful Boy” 。親目線がホント素直に泣けます。


"彼女の笑顔" 、このブルーズも大好きだー。
このアルバムで、この位置で、シレッと佇んでいらっしゃいますが、これも傑作だと思うのです。


んでー、ラスト!”MTN”!これ聴いてたらいっつも泣き笑いしちゃうような曲。
幸せで、なぜだか切なくなって涙が出るよな感覚が曲になったような。

この街の 名誉市民の僕だから
MG'sと一緒に 歌をかくのさ
いい時も悪い時も それほどきにすることじゃない

僕は歌を書くのさ
MEMPHISの街の 名誉市民の僕だから
信じがたいことだろ BABY 本当の話さ
OTISの街で 今日も汗をかくのさ
FA FA FA FA FA FA FA FA FA ...


メンフィスの名誉市民になったことを繰り返し自慢して(笑)
でもそれがちっともヤらしくなくて、笑えて、こっちもよかったねーって素直に喜べる。
キヨシローのそういった子供のような正直さ、鋭さ、トボケ具合が好き。
そして彼の「あこがれ」る力の強さに感動する。夢を実現する想いの強さに勇気をもらえる。

というわけで、演奏もソウルのコクたっぷりで聴き応え満点、歌詞もいつにも増してバツグン。
歌声もいつも通り間違いない。全ての要素がばっちり噛み合わさった奇跡的な傑作!

音楽好きの方なら(特にソウルミュージックが好きなら!)、キヨシローを聴かず嫌いしているような方でも、彼の魅力を分かりやすく楽しめる、良質かつ人なつっこいアルバムじゃないかなーと思いまっす!





走れ何処までも

2009年05月10日 | Japanese
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、念のため。

今日5/10(日)23:30~『愛しあってるかい?~キング・オブ・ロック 忌野清志郎~』
明日5/11(月)深夜0:45~『SONGS 忌野清志郎ライブ 完全版』

どちらもNHK総合で放送されます!
BSとかCSだともっと色々してると思うけど、ウチ、今地上派だけなので。すっごい楽しみにしてます。

『SONGS~』は本放送の時に見て感動しました。最近のキヨシローもすごいんだなぁ!曲すっごいいいわぁ!って。今度はちゃんと録画しよう!標準で!(未だ我が家はビデオです)


あとここ→ NHK青春ラジカセ で、サウンドストリートの「1981.03.19」と「1981.07.10」オンエア分、DJ渋谷陽一、ゲスト忌野清志郎で当時のラジオ出演した際のトークが聴けますね。

私はまだ3月分のしか聴いてないけど、そっちはキヨシロー選曲集ってことでウィルソン・ピケットから始まっててシビレます!(曲は聴けませんが)
ドン・コヴェイを選んでるのにもガッツポーズ!しかし彼の名前を何回も間違える渋谷さん、頂けませんね(笑)キヨシローの「知らないの!?」って言葉が痛快(笑)渋谷さん、ローウェル・フルソンもなんか変な言い方してたな(笑)そういう時代だったのでしょう、で、済ましていいようなダメなような(笑)

私はこの番組はリアルタイムではなかったのですが、RCがこれから人気がどんどんうなぎ上りになっていく瞬間の生トークなので、生々しさがよいですね。
それにしてもキヨシロー、かっこいいなー、しゃべりも。


RCとキヨシローしか聴かないもん!ってそういう気持ちなのだけど、今はどっちもCD全く手元になく(爆)
オンラインで注文したものも入荷待ちで全然こないよ。
代わりにオーティスやMG’sなど聴いてたのですが、我慢出来ず今日仕方なく iTunes で2つのシングルをダウンロードしました。アルバムはちゃんとCDで買いたいのでシングルにしました。

ダウンロードした内の1つ『走れ何処までも』ってシングル。この曲、iTunesや着うたフルなど配信限定なんですね。B面は”RUN寛平RUN”。アースマラソン中の寛平ちゃんの応援ソング。

この曲が最後の録音らしいですね。
ちゃんとスティーブ・クロッパーとドナルド ”ダック” ダンと一緒に演奏してるジャケ。



そっか~。
最後が誰かの応援ソングで、そんでもってそれを一緒に演奏してるのが自分を応援してくれる誰か。
ほんっとたくさんのたくさんの人に愛されてるキヨシローさんらしいラスト・シングルなんだなぁと思いました。
ラスト、と言うのもまだまだなんだか受け入れられないような気持ちですけれど。

とにかくシングル聴きまくります!


世界中の人に自慢したいよ

2009年05月03日 | Japanese
RCサクセションというバンドに出逢ったのは高校時代。
最後の作品『Baby a Go Go』が発表されたのもこの頃。
そんな時、初めて参加させてもらったバンドの練習曲。これもたまたま、誰かが決めたRCの「雨上がりの夜空に」だった。
そのバンドはお遊びで、にクラスのメンバーで集まってわいわいやってたもの。ヘタっぴながらみんなで演奏する楽しさみたいなものを少し感じることが出来た。
だけど、RCはもっと個人的に、一人で接するものだという想いを持っていた。
一人で対話して一人で噛み締めて一人で興奮するものだとどこかで思っていた。

当時の私にとってとても大きな存在だったのがブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利だったのだけど、その2人の元の大親分みたいに、キヨシローのことを勝手に捉えていた。キヨシローは彼らよりもっとラディカルでクールで容赦なかった。だけどいっつもサインの横に書くうさぎの目がハートのイラストだとか、『十年ゴム消し』みたいな本の中のキヨシローはとてもとても人間臭く、でも嘘がなくって惹かれた。残酷であることを厭わない、自分をよく見せようと大事なとこで取り繕わない正直さ。信頼出来る大人だと思った。

その後、ふらふらしていた私が出逢ったのが忌野清志郎のソロ・アルバム『Memphis』だった。その中に収録されている「世間知らず」という曲が決定的だった。自分のことを歌ってくれていると思った。そのとき、必要だったもの全てを歌ってくれた。そんな人は誰もいなかった。大人なのに、もう成功しているハズの人が歌える歌ではなかった。だけどキヨシローは歌って、しかもそこに嘘はなかった。すごいことだと思った。そのことにどれほど勇気をもらったことか。

もっと後、相変わらずふらふらしていた私は、RCの熱狂的ファンの人とともだちになった。
彼はアナログとCDの音の違いを熱心に教えてくれ「昔の音源は絶対アナログを買った方がいい!」といつも熱弁して教えてくれたのだけど、私はちっとも分からなかった。でも今、ホントに最近「アナログの音はいい」と感じ始めている。分かるまでに10年かかった。私が鈍感なのを抜きにしてもすごく耳がいい人で、他のことは何もせず音楽や美術のみに神経を集中させていた。私よりももっと生き方のバランスが悪い人だった。色々忘れやすい私だけれど、あの頃のことはすごくよく覚えている。恋愛とか友情とかそんなん少しの間チャラにして、ただ小学生の子供みたいに仲良く遊んだ。キヨシローの歌声を聴きながら。


そして今朝、ネットで知って、『シングルマン』のアナログを聴いた。
例えば ”ヒッピーに捧ぐ” とかで泣くかと思ったけど泣かなかった。
けど、ホントにお別れは ”突然” やってくるんだなぁと思った。
そして「アナログの音、ホントいいなぁ」としみじみ感じた。


キヨシローは、きっとしめっぽいのは嫌いだろうなぁと思ったので、少し気を取り直した。

でもあんなに聴いた『Memphis』のCDも手元になく、だけどやっぱり ”世間知らず” を聴きたかったのですんませんと思いつつ youtube で見てみたら涙が止まらなかった。その後もランダムで次々色んな曲のライブ映像が流れて行く。コメント欄には続々と悲しみの言葉や感謝の言葉が寄せられている。最高の曲、楽しいパフォーマンスの映像ばかりでダメですね。

なんか私もお礼を言いたいんだけど、認めることになっちゃうのもイヤだな。
これからもお世話になることもあるだろうし。まだ過去形にしたくない。

だけど、今は決してファンだとは呼べない私だけど、でもあなたにコネクト確かにしてた時があるっていうのが、チッポケな自分としてはとってもとっても誇らしい気持ちです。
そしてそうやって離れていても、触れればいつでも胸をうんと撃ち抜かれるあなたの曲は最高です。

一番必要な時に一番必要としている歌を歌ってくれてありがとう。
この世に存在してくれてありがとう。
あの~これからも曲の中で確かに生きてるあなたに接していくんで、よろしく。





おなじ話

2007年02月08日 | Japanese
よし、探そう。
本当に自分にしっくりくるものに出逢うためには、自分でドア開けて出かけていかなくてはなりません。



昨年、るーふぁすさんがブログで絶賛されていたハンバートハンバート。
気になった上に、私に絶対合う、って言ってもらって、さらに気になってて。
そこからスタート。オフィシャルで何曲か試聴。ある曲で時が止まった!
おなじ話」という曲。あら~。涙も止まらない。うれしい。
誰かさんと一緒にいるってことの、言葉にならないものが、強いていうなら「切なさ」が、男女の掛け合いで唄われていた。たまりません。
今、自分がしっくりくる場所は、ひょっとしたらこういうところなのでしょうか。
いきなり出逢えた気がしました。トビッキリに。るーふぁすさん、ありがとう。





おなじ話


どこにいるの? 窓のそばにいるよ
何をしてるの? 何にもしてないよ
そばにおいでよ 今行くから待って
話をしよう   いいよ、まず君から

どこにいるの? 君のそばにいるよ
何を見てるの? 君のこと見てるよ
どこへ行くの? どこへも行かないよ
・・・・・・・ ずっとそばにいるよ

それから ぼくも君を見つめ
それから いつもおなじ話 






こんな体験はやっぱり稀にしか出来ないと思う。
より近い世界に生まれ、自分が使っているのと同じ言葉で唄ってくれるから、ダイレクトに体験出来る事なのだと思います。変換されずに直接クるから。
やっぱり邦楽で自分にしっくりくるアーティストの音楽に出逢うことって、大切なんだなぁ。


  *  *  * 


今は曽我部のソロ1st『曽我部恵一』がステレオのスピーカーから流れてきています。今、2回目。
この、私たちと何ら変わらない日々を、生きている、そしてそれを曲に映し出し、また曲の中で日々を生きる。こういう曲を唄う事の出来る、この人。





そして彼の作る曲は、ベースの鳴り方から、メロディの起伏から、小さな1つ1つが、曲の流れ方が、いちいち特別に納得できる。サニーデイでも、ソロでも。
平常心で、途中結果で、現状報告で、鳴らされる平熱の唄。あぁ尋常じゃない素晴らしさ。
聴いてると、心強く、勇気みたいなものをもらえた気になるのはどうしてなのでしょう。


友達がブロック・パーティーのライブに誘ってくれたけど、それは断ってしまった・・・。
でも「行く?」って思えただけで、ちょっとだけ心がウキウキした。
バイトはいろいろあって辞めてしまいました・・・。
やり直さなくちゃいけないことがたくさんあるけど、1つ1つやっていくしかありませんね。
今日聴いていた音楽のような助けを借りつつ。








2月6日のバラード

2007年02月06日 | Japanese
k-hikoさんのところ、season -the diary of mellow rock-で、サニーデイ・サービスのアルバムのことが取り上げられていたのを読んで触発されてしまい、気がつけばずっとサニーデイというバンドのことに、ぼんやり想いを巡らせてしまっています。

私はサニーデイと言えば、初期。シングル「恋におちたら」で出逢い、『東京』、『愛と笑いの夜』、で、『サニーデイ・サービス』。後追いでメジャー1stの『若者たち』もウォークマンに入れて、どこに行くのでも持ち歩いてよく聴いていました。
その後の『24時』には一時熱くなったりしましたが、さらにその後の『MUGEN』以降は、なんだか急にしっくりと来なくなってしまって、彼らが遠く離れた気持ちがしたものです。勝手なリスナー心ってやつです。

現在、絶賛進行中の曽我部(←なぜかいつも呼び捨て。これも1つの愛の形)の怒濤のソロ作品群には、殆どついていけておりません。1stのみ買って、しかもアナログで気合い入れて。で、フジのヘブンでも観て、文字通り♪ヘ~ブン、アイム・イン・ヘ~ブン~♪な体験をすることが幸いにもできました。「音楽って素晴らしい~~っっっ」っていうことをあんなに自然体で素敵に知らせてくれるライブを私はあまり他に知りません。きっと今の曽我部のライブだって、もっともっと、よりアグレッシブで歓喜に満ちた素晴らしいものなんだろうなぁ~と思います。アルバムだって良いのでしょう、きっと。だってみんなブログでも絶賛なんだもの。いつかバカみたく聴き倒す日もそう遠くはないのかもしれません。

でも、いまだにサニーデイを聴いてしまうのです。特に上記の初期3枚を。アルバムよりもむしろシングルをカップリング含め、結構頻繁に聴いているかもしれません。当時マメにシングルも揃えてましたが、またそのシングルがいいの!カップリング曲が良いバンドって、それだけで贔屓にしたくなりません?


その当時同じ様に新しいシングル、新しいアルバムが出ると知ると楽しみで楽しみで、なんだか自分の期待や希望の光を一身にそのアーティストの動向に背負わせたりしてしまう、そんなちょっと虚ろで、だけど全く幸福な出逢いがいくつ私にはありました。10代~20代にかけて。
それが、ブルーハーツ、フリッパーズ・ギター(そして小山田、小沢ソロ)、中村一義。

けれどもこの人たちの音楽って今となってはあまり聴き直さないですね(コーネリアスと中村君は今もまぁ聴きますけれど)。
即効性というか、その時、その時、正しい場所、正しい時に居てくれて、まさに欲しい歌を、その想像をはるかに超えて歌ってくれた。生きていく上での熱みたいなもの分け与えてくれた。新しく、そして間違ってないと思える道を示してくれた。
今思い出してみれば、それは音楽っていうより、もっと宗教的な何か、みたいな。「音」よりも「言葉」や「在り方」よりな。ちょっと邦楽雑誌「JAPAN」の影響モロ受け過ぎだったんだと、今となっては分かります(汗)。だからその当時にもう一生分聴いちゃったのかもしれない、彼らの音楽は。ホントそう思ってしまうくらいのめり込んでました。

でもサニーデイや、同時代にいたフィッシュマンズというバンドの音楽などは、私は当時も今も繰り返し普通に何度でも聴いてしまう。聴けてしまう。
この2バンドの音楽は、いつ聴いても、聴いているこちら側のそんな暑苦しい期待をひょろりとかわし、サラーッと自分を、自分の時間を生きている音楽。だからと言って、こっちの期待を裏切る訳ではなく、新しい世界、新しい素敵な何かを強烈に感じさせ、いつもシビレさせてくれる。
例えばいいカンジのネルシャツのようにカジュアルなんだけど時代を問わず、いつでもオッケー。しかも自分には他にないほど、色と柄が有り得ないくらいハマってて、超しっくりくるんだ、っていう感じ。手放せるはずもなく。着古したらいい味も出てくるしね、時と共に。

今の邦楽の現役若者バンドは本当にあまり知らないまま言っちゃうのですが、なんだかものすごくカジュアルさだけが浮き立って見えてしまってて、苦手って感じてしまいます。みんなオシャレすぎて見えちゃうのです。別に音楽じゃなくて良かったんじゃないの?って人ばかりに見えてしまって・・・。でも、絶対すんごい才能やバンドはいつの時代もいるハズで、単に私の感性がついていけなくなっている、頑固な口だけのオバハンになってるだけ、なんだと思います。邦楽で、自分にピッタシのバンドを見つけようって気もそんな起こらないままなんだもの、ここんとこずっと。ユース・カルチャーはもう自分の時代じゃない??そんなこたないね。そんなこたない、けどね。なんなんでしょうか、この一抹の寂しさは。

でもサニーデイは、いつ聴いても、10年経った今でもしっくりくるのには、自分でもビックリしてるのです。こんなしっくりくる音楽があっていいのかっ!って。もちろんいいんですけど。そしてしっくりくるだけではなくて、いまだに何回聴いても唸らさせてもくれます。素晴らしいのです。お気に入りのネルシャツやジーンズのように、ピターと合って、いい気分にさせてくれるのです。
当時はヒロトや小沢や中村くんの方が自分の中ではとびきりの重要人物だったわけですが、今は心の中にそれほどいなくて、逆に曽我部や、それにフィッシュマンズの佐藤くんはひっそりとずっといてくれているような気が、勝手にしているのです。それはこれからも変わらないと、実に嬉しいのです。


って、まぁ。あらら~。私は何をごちゃごちゃと、書いているのでしょうか??暑苦しいですなぁ。
本当はラジオで初めて「恋におちたら」を聴いて、サニーデイに恋におちた時のことを書こうと思って書き出したのですけどねぇ?(笑)。これが一応私なりの200コ目の記事のようです(小声)。







P.S. これ書きながら『MUGEN』を聴いてるのですが、いやぁ~、最高ぢゃないっすか!(笑)
  『MUGEN』最高!ホント、ディスコグラフィ全部最高!サニーデイ万歳!
  きっと曽我部ソロもこんなカンジで全部最高!なんだろな~。
  でもミューマガ(今月はサニーデイの表紙&特集です)はきっと買わない!
  今は雑誌いらないの!








ナオミとユカリ

2006年10月16日 | Japanese
今日は突然やけど、こな風に行かせてもらいまっせ。
こな風て、どな風?
いや、だからこな風ですがな。大阪弁。
読みにくい?ま、エェがな。ちょっとゆっくりして行ってーや。

ここんとこ、エェ~具合に響いてきよんですわ、大阪弁。
改めて、なんや、言う話ですけども。
ま、大阪弁言うても、古い大阪弁ちゅーか、河内弁ちゅーか、よう分からんけど、まぁなんしかコテコテの部類のもんですわ。

もともと、ウチ、そーいうの好きやねんなぁ。
ウチ、北河内で育ちましたやろ?(そんなん誰も知らんがな)
ほんで、そんなん見たり聞いたりすると血ィ騒ぎよんですわ(アホか)
普段から、どっちゃか言うとコテコテの部類ですわ(ま、ここまでちゃいまっけど)

理由は2人の女性から始まりよったんです。


1人は、今やってるNHK、朝の連ドラ「芋たこなんきん」主役の藤山直美さん。
ほんま、この人おもろいわ。マジメぇな顔して笑かすとことか絶品や。
さすがはサラブレットやな。寛美さんの血ィごっつ流れてるわ。
今日も大いに笑かしてもーた。

誰え?彼女、花沢サンや、ハックの大親分みたいやなんて言う、口の悪いお子は!
ほいで親近感持っとるんやろて?ちゃうわい!
ウチは相変わらずお美しい、母親役の香川京子にシンパシーや!どっちか言うたら。

しかし今回のドラマ、エェなぁ。大人の粋なお話や。上質なドラマやで。
なんか、いつもの、若い娘ヒロインとか出てきて、私、善人ですねん、とかいうの、ウチ好かんから見ぃひん。


で、もう1人は大西ユカリさん、大西ユカリと新世界の。
こないだウチ、ライブ行かせてもらいましたやろ。
ほんですっかりこの人に元気もらいましてなぁ。
こりゃちゃんと聴きたい思いまして。借りてきましてん。ホイすんません。

最近こな風にケンタッキー(ブルーグラス音楽)と、新世界(ユカリ姐さん周辺)、行ったりきたりしてますねん。
いそがしねん。けど、たのしいねん。

ほな行きまっせ。

1枚は『昭和残唱』。




最初は、全体的にちょっと、も一つガツンと来ませなんやけど。
ウチが、その歌謡曲のディープな世界を分かってない、ちゅうのもあるんやろな。
でも、だんだん、ちょとクセになってきた気もするで。

このCDかければ、お部屋は即、エェ味出たぁるスナックやで(雑居ビル地下2F)
ウチはさしずめヘルプのチーママ気分(ママ、来週からウチ、週3にしてもらわれへん?)
もちょっと聴き込む事にしまっさ。


で、も1枚は『七曲入』




『七曲入』言うても、7曲+ボートラ7曲+オマケ1曲で、全15曲のCD。
え?どこが7曲入りですねん、姐さん。しかもボートラとオマケの方が多いですやん。

ちゅう、ツッコミ入れて欲しそな、これ、アルバムけ?EPけ?
こっちの方が、ウチ好きや。
だってソウル/R&B愛溢れてんねんもん、こっち。

"めりこむ青春" とか最高やで。
スウィートソウル・ミュージックに捧げられてる唄やね、コレ。
途中、ウチの大好きなグラディス・ナイト&ザ・ピップスの「夜汽車よジョージアへ」への細かいオマージュあるし(フッフー♪)
「ヘイ、マービン、ワッツゴインオーン!ワッツゴインオーン!」て、ちょとおかしい声で叫んでたりしてます。
ふざけてんの、ちゃいまっせ、これ、愛情ですねん。
大阪人て笑かすのんが、愛情やて、なんや勘違いしてるトコありますねん。
ウチもそやねん。ほんでこんなん書いとんねん。アホやろ、堪忍してや。
さて、最後のとこ、君は何人、ソウルマン&ウーマンの名前、見つけられた?

うん、なんかこっちの方が、あのライブで聴いたユカリさんぽい気ィするわ。
でっかぁて、真っ直ぐなあの歌声、再び聴けて嬉しいわ。

あん時ライブで演ってた曲も入っとったわ。
”That Lucky Old Sun” ちゅう曲。コレ、エェ曲やなぁ。ゴスペルやで。

最後にこの曲の歌詞書いて、今日はさいならや。



朝っぱらから 仕事に出かけ 悪魔のように金儲け
なのに一日中 ゴロンゴロンと お空じゃおてんとうさん

男と争い 子供を育て 私は死ぬまで汗まみれ
なのに一日中 ゴロンゴロンと お空じゃおてんとうさん

上の方からじゃ 見えないのかな 私の涙なんて
連れてっとくれよ 銀の雲に乗せ 永遠の楽園へ

あの河を渡り 御心の胸で この悩みを解き放ち
私も一日中 ゴロンゴロンと やってみたいんだ


                  ”That Lucky Old Sun”




ほな、さいなら、また来たってね。






ラブ・アンド・ドリームふたたび

2006年08月22日 | Japanese
買わないぞーと思いながら、今日、やっぱし買っちゃった。ミュージック・マガジン9月号。フリッパーズ・ギター特集号。

でも読まないぞー、知らんぷりするぞー(何故に?)と思ってたけど、やっぱし先程、パパッーて全部読んじゃった。
で、懐かしかった。面白かった。
裏方チームによるインタビューは、結構意外な「へぇ」話なんかもあって、特に面白かった(特に吉田仁さんっ)

フリッパーズのことを「パーフリ」と私たちは当時から言っていたけど、彼らを愛して止まない人は「パーフリスト」と言うだなんて今まで知りませんでしたよ(笑)でも自分は立派なパーフリストだったと思う!

で、ミューマガ。なんで買わないぞー、読まないぞーって思っていたかというと、あまりにもデカイ存在だったんですよね。
しかも超青春時代に。だからこっぱずかしさが常に伴っていたし、胃の辺りがきゅうとなるんですよね、彼らの名前を目にするだけで。


もうね、この号に載っているパーフリの写真、ぜーんぶ鮮明に覚えてる。雑誌からの切り抜きで未だに手元に残してある写真すらある。
ホントーウに「見てた」んですよねぇ、彼らのこと。ホントウに「聴いた」し、「考えた」し、「推測した」し、「探した」し、ありとあらゆること、した。
オザワの切り抜きを美容院に持っていって「こんなのにしてください」と言ったことも、あります(痛)






読んでると、思い出も一杯甦ってきたし、記事を書こう!と思ったら、いつもお世話になってる超同世代kura_moさんもパーフリ記事を上げていた!


で、パーフリ。まず彼らの活動期間の3年間と自分の高校生活3間が見事にリンクするんですよ。これ、すごく大きいと思います。タイミング的に。どのアルバムも思い出とリンクしているんですよね~。
あとね、うちは少し変わった高校だった、っていうか普通科ではなかったので、3年間ずっと同じクラスだったんです。
3年間同じメンツ。これは大きいですよ、大事な時期を一緒に3年間も過ごしましたから。
そういうクラスメイトたちとの思い出とリンクするのです。


キッカケはクラスのKちゃんがこのパーフリの1stのCDを1年の時にクラスに持って来たこと。
このKちゃんは、とにかくセンスがいいというか、とてもいかした娘でして、彼女が音楽に限らずなんか面白いもん持ってくると、クラスのある範囲でバァーって広がって流行るんです。
でもね、私のとこに廻ってくるまでに、何人かに廻っていて「イイ!」って風になってたんですけど、私は最初全然ダメだったんですよね~。
そん時、私はローリング・ストーンズやそのルーツであるブルースにずぶずぶとハマリ込んでいた時期で、心情的にとてもヤサグレておりましたのです。そんな時にこの1stを聴いたのです。日本人で全英詞でやってるのはビックリしましたが、今でもハッキシこう思ったのを覚えております。

「こんなしゃらくせーもん、聴けるかぁっ!!」

ごめんちゃい。なんせ気分はストリート・ファイティング・"ウーマン" だったものですから(あイタタ)、その爽やかすぎるこじゃれ感が逆に気に触りまして・・・(笑)。

で、2年の時に2nd、3年の時に3rd(ちゃんと初回特別仕様盤だった)と、相変わらず律儀にKちゃんからCDが廻ってきていました。

2ndの頃からじわじわ来だしました。レコ大かなんかに出てたのをドキドキして見た覚えがあります。あれ確か2nd期じゃなかったかしら。彼らのいじわるトークや、スノッブなスタンスも面白く感じだしたのもこの頃。
で、本格的にのめり込んでいくのが3rdの頃です。
その3rd期にはクラス内にもパーフリ狂の数が増えておりました。
中でも強者たちは彼らのライブに行ったりもしてました。

私はそん時はブルーハーツしかライブに行ってませんでした。でもそれもクラスの娘たちと行ってました。
パーフリ派とブルハ派は微妙に被ったりもしてました。だからミューマガの記事に書いてあった、ブルハとパーフリのファン層は被らない説に、強く反対!
いいものはいいんだよ!スタイル関係ないんだよ!


実習中にそんな彼女たちとパーフリ話に花を咲かせたことをを覚えております。
ウィニー・ザ・プーの唄を実習そっちのけで楽しく唄ったりも(笑)
あと、3rdの何が良かったかって言ったら、ストーンズっぽい(というか、そのまま)とこがあったとこなんですよね~w


そして!彼らはその3rd発表後、急に解散してしまうわけです。
クラスの娘たちの何人かは、決して行われることのないライブのチケットを持っていたように思います。
それ位、突然な解散だったんですよね~。
チケ持ってる娘なんかは、怒ったり、悲しんだりしていましたが、冷静だったのはKちゃん。
「やっぱりなぁ~」って、カラッとそういうようなこと言っててサスガでした。
このKちゃんから、スチャダラパーなんかも早々に教えてもらったんだよなぁ。
ちなみにこのKちゃんとは、今年動物園にお花見に行った記事に出てくる彼女です。
彼女の抜群に面白いセンス、感性は今も健在です。


で、まぁ、私は彼らが解散した後、そっからさらにかなり熱が入り込んで行きました。

彼らが載っていた雑誌を探して買い集めました。
何を話しているか、ではなくて、何を「どう」話しているか、パーフリの場合、これがすごく重要でした。
それはもう強迫観念的ですらあったほど、威力があったといいますか。

例え、それが「引用」であろうと「パクリ」であろうと
彼らのやっていた音楽、彼らの言っていたこと、やることなすこと全て
全く持って正しい、間違いが、まずない、と、その時はそう強く思っていたのです。

例え勘違いだとか、若さゆえ何も見えてなかったとか、そういうんでも、でもそういう経験をあの頃出来たことは、すばらしい経験だったんじゃないかなぁと、今月号のミューマガを読んで思いました。

音楽の聴き方も彼らの影響で180°変わりました。
それまでのいわゆるガイドブック的名盤を片っ端から潰していくやり方ではなくて、もっと自由で、同時代的で、スマートで、いいとこどりで、横道の魅力、的な、洗練されたやり方があるのだなぁと気づかされました。
それからは聴く音楽の幅、というか聴き方の意識がぐぅんと広がった!
実はここが一番、彼らに感謝しているところなのかもしれません。






ファッション面でも、やっぱボーダーT着てました!

ビデオもホント嫌っちゅう程、見ました。


3rdで本格的に食いついた私ですが、その後、俄然1stと2ndの素晴らしさに圧倒され、今でもよく聴くのはこの2枚です。
全部今でも唄えるよ!特に1st!!

そうして全くの空白期間を経て、小山田、小沢はそれぞれソロか活動で再浮上してきますが、これも同じくらい熱心に追いかけてました。途中からパッタリやめちゃいましたが。



多分、人それぞれ、こういうアーティストがいると思います。
大事な時期に出会った、自分にとってはとてつもなく大きな大きな存在のアーティスト。
人に説明するのがむずかしいアーティスト。自分にとってどういう存在なのかっていうとこを。
だって自分でも分かっていないんだもん、まだ。
でも思い出は振り返られる様になりました。作品も普通に聴いてるし。
今日はなんだか思い出話しかできませんでした。






自転車にのって

2005年10月27日 | Japanese
ニール終わりました。
今、邦楽ばかりをよく聴いています。

あれもこれも、書きたいアーティストが、ぼちぼち出てきました。
みなさんのブログのエントリに刺激され、その日々の生活の中における刷り込み効果(?)の絶大なことといったら!
おかげさまでヨイ音楽に出逢えております。有り難うございます。

その中でも一番感動したというか、すっかり心を奪われてしまったのが、高田渡さんです。

出逢ってしまいました。
少し遅すぎたところがあるかもしれないけど。
でも出逢えたんだから、感謝したいです。
これからは、CDやレコードで、ずっとお付き合いしていこうと思います。

スバラシイ。ただただスゴイ。
あったかい。トボケた風情がタマラン。
笑っちゃう。でもなんだか泣きそうになる。

表現が全く古くなくて、それもビックリしちゃった。
日本にも本当のフォーク・ソングやプロテスト・ソングがあったのか~。
(そしてそれは“本当“だと古くならないのか~)
日本にもホーボーが居たのか~。

あったかい呑気な唄声で、ひょうひょうとした人間味を感じさせながらも、鋭い目線で毒づくのがカッコイーなー!
血が通っているしなー!

京都のイノダコーヒーには、昔行ったことがありました。
その時は小西康陽さんのエッセイに出てたから行ったのだけど(みーはー)。
だから“コーヒーブルース“でこの店のことが高田渡さんに唄われた時、それだけのことが、何だかとってもうれしくって、泣きそうになりました。
また、京都に行ったらいこう。
そして今度は高田渡さんのことを少ーしだけ思ったりしながら、あのどろんとしたコーヒーを飲もう。

「タカダワタル、タカダワタル・・・」と、連日熱にうなされたように呟いています。



『ファーストアルバム ごあいさつ』(71年) 高田渡

毎日、自転車に乗りながら聴いています。