『Roots』(1968) The Everly Brothers

2007年02月24日 | 60's
エヴァリー・ブラザーズ。私はケイデンス時代のベスト1枚持ってたのみで、それをよろこんでころこんで、今まで聴いてきたわけですが、それじゃいかんと強く思わされたのはkura_moさんのとこのエヴァリーズに対する熱い想いを読んでから。なんたって彼は、ケイデンス時代(1958~1960)、ワーナー・ブラザーズ時代(1960-1972)、はたまた80年代のマーキュリー時代に至るまで、コンプリートされているんですから!!その情熱たるや、全く持って敬服なのです。
それからエヴァリーズのワーナー時代というものを意識しだして、聴きたいなぁって思ってたんですよね。
そして、昨年の暮れ。ミナミに出た際、立ち寄った中古屋さんでバッタリ遭遇したのがこのワーナー時代の最期を飾る『Roots』のCDです。このジャケットと目が合った時の嬉しさと言ったら!小躍りしながら帰りました(笑)
で、家に帰って色々見てみると、このアルバム、普通にHMV通販とかでも買えるんですね。しかも中古よりお安く・・・。知りませんでした。でもいいの。出逢い方、縁の方が大切ですから。あの、お店での嬉しさを私は決して忘れない(笑)

そして中身を聴いてみると、これまたサプライズがありました。私は中身のこと事前に何も知らなくて、漠然と ”ルーツ” という言葉から想起されるような音を想像していたのです。でもある意味違いましたね。
これ、バーバンク陣営が脇を固めている、一種のコンセプト・アルバムなんですね。日本盤ライナーを読んで面白いなぁって思ったのですけど、このアルバムはワーナーのカタログで、あのヴァン・ダイク・パークス『Song Cycle』とハーパース・ビザール『The Secret Life of Harpers Bizarre』と、ほぼ同じサウンド、プロダクションのもとで立て続けに制作されている、んですね。そっかぁ。ジャンルとしてもカントリー・ロックじゃなくて、ソフト・ロックの方だったんですね。どっちも大好物なので、どちらでも嬉しいのですが(笑)

私は『Song Cycle』は未聴なのですが、確かに『The Secret Life of Harpers Bizarre』と、コンセプト、テイストは同じものを感じます。両作品のプロデューサーであるレニー・ワーロンカー印とでも言いますか。けれども決定的に違うのは、ハーパース作があくまで擬似的に20世紀前半のアメリカの、中でも特にエンターテインメント文化に思いを馳せて、完全に擬似的に作り込まれていた(ハーパースというグループ自体がそうですね)のに対し、こちらのエヴァリーズは、本当にその時代にキャリアを持っている人たち、モノホンなわけです。ルーツを探るコンセプト・アルバムとして、昔のラジオ番組の音などが所々挟まれるのですが、そのSEと言えるものが実は彼らの父がやっていたという、ラジオ番組の52年の実況録音で、子供の時の彼らの唄がそのまま使われていたりするのです。

アルバムの裏ジャケに、このアルバムにぴったしの写真がいくつも載っています。それはそのラジオ音源で聴けるような子供時代の2人の幸福な思い出の写真。2人が雪合戦しているものや、犬小屋の前で犬と一緒に写っているもの。でも一番多いのはお揃いのウェスタンルックにその小さい身を包みギターを抱えているもの。小さいときから2人で芸能活動をしていたのですね。当時の写真がずらーっと並べられているのを見ていると、ノスタルジーだけでは決して終わらない、なにか1つの小宇宙が形成されていると思ってしまいます。ここに、私の好きなアメリカがあります。そしてその「音」版が、言うまでもなくこのアルバムなのですね。バーバンクによって、ひとヒネリもふたヒネリも加えられて。



分かりにくいですよね。コレが裏ジャケなのですけど・・・



そんな訳でハーパースはもちろん大好きなのですが、それはもう全然キャリアが、格が違うっていうもので。
けれども時代の波はこのアルバムが出た当時、エヴァリーズの方にはもうそれほど来ていなかったハズで。
こうなると、バーバンクにエヴァリーズが遊ばれているのか、いや、エヴァリーズがバーバンクで遊んでやっているのか、はたまたリスナーが遊ばれているのか、きっと後になるにつれ真実だと思うのですが、頭がぐるんぐるんになってくる面白さがあるのです。



収録曲の作家別としては

マール・ハガード      “Mama Tried"、“Sing Me Back Home"
グレン・キャンベル      "Less of Me"
ジミー・ロジャース      "T for Texas"
ランディ・ニューマン     "Illinois"  
ロン・エリオット       ”Ventura Boulevard”、”Turn Around”


など。アルバム冒頭の “Mama Tried"、 "Less of Me"、"T for Texas" という流れが、ケイデンス時代の、のんびりおだやかなカントリー・テイスト、かつ "T for Texas" ではかつてのファンキーさもあって、最高な流れです。

その次に続くのは何とドンとフィルの作でケイデンス時代のヒット作、"I Wonder If I Care As Much" という遊び心、そしてシンプルなラブ・ソングだったのが、時代の激しい移り変わりの荒波に浸食されたかのような、その荒み具合に泣かされます。イントロが尋常じゃなくカッコイイ!

流麗なピアノが壮快なランディ・ニューマン作の "Illinois" も素晴らしい。

聴いててやっぱりスゴイ!と思うのは、彼らの唄声、なんですよね。いくらバックや作家が優れていても。エヴァリーズのハーモニーは、ソフトロックといった1ジャンルに納まりはせず、聴いているこちらの心にもろに迫って来て、何とも言えない気持ちになります。「優しさ」の魅力?んー、なんだろう、やっぱり言葉では説明できませんね。

全編夢を見てる様な、夢心地になるような、だけどもの哀しさに似た何かが根底にずっと流れているような、不思議な聴後感がするアルバム。この先もそれを味わいたくて、表ジャケより的確にこのアルバムを表している裏ジャケを眺めながら、この音が連れて行ってくれる旅に、想いを馳せていきたいのです。










『Dusty in Memphis』(1969) Dusty Sprigfield

2007年02月21日 | 60's
何となく周囲も私も落ち着いてきました。春も、もうすぐ来るかしら。
雑誌はいらない、とこの間書いたけれど、最近レココレのこの前出たヤツ、久々に買って読んでます。アトランティック・レコード特集。自然、聴くものもそこに載ってるのが多い、今日この頃です。

今日は、ダスティ・スプリングフィールドの泣く子もだまる名盤(っていう評価は90年代に入ってから?)として知られる69年の『Dusty in Memphis』でっす!
99年にアルバム収録曲(11曲)より多いボーナス・トラック(14曲!)付きでライノからドドンと出たデラックス・エディションです。CDはこの形態が標準なのかしら?

英国のフィリップス・レコードで ”I Only Want To Be With You” (邦題:二人だけのデート)など数々のヒットを飛ばした後、アメリカのアトランティック・レコードが彼女の獲得に成功、第1弾アルバムは、タイトル通りメンフィスで録音、ただし彼女の歌はニューヨークで録ったとか?しかしとにかくナイス企画!そして結果は大成功!

今書くとしたら、ジェリー・ウェクスラー、トム・ダウド、そしてアリフ・マーディンのプロデュース、な~んてことを書かないといけないのでしょうが、私は彼らの名前を知ったのはごく最近です。トム・ダウドはちょっと知ってたけど。裏方さんたちの偉業とか、知れば知る程面白いですね。でもまぁそっち方面のおベンキョは、これからも、ゆる~いカンジでいきます。
だって作家で聴くってことだって、最近覚えたことですもん♪

覚えたことは即実行(笑)。このアルバム収録曲を作家で見て行くと、すごーく豪華でした。


ゴフィン/キング           6曲(内ボートラ2曲)
マン/ウェイル            1曲
ランディ・ニューマン         2曲(BS&Tも1stで唄ってた “Just One Smile” 有り)
バカラック/デイビッド        1曲
エディ・ヒントン/ドニー・フリッツ  1曲(ベイビー・ワシントンのカバー)
トニー・ジョー・ホワイト       1曲(ボートラ)
ギャンブル/ハフ           2曲(ボートラ)
デビッド・ゲイツ           1曲(ボートラ)


さすが、ダスティ姐さん、揃えてます。カバー曲なのか提供曲なのかは今イチ分かってないのですけど(汗)
私は上記の人たちしか分からなかったのですが、このアルバムには大ヒット曲が2曲あって、それは上の人たちの曲ではないのが、少し不思議な気もします。
その2曲とは "Son of a Preacherman" と "The Windmils of Your Wind" のこと。

前者 "Son of a Preacherman" は、やっぱり文句なしにカッコイイ曲。イントロ5秒で名曲!ってわかるスゴイ曲。本物の曲。聴いた事ない人はだまされたと思って試聴してみてください(3曲目です)
あ、『パルプ・フィクション』でも使われてたっけ。

後者 "The Windmils of Your Wind" は映画『華麗なる賭け』(68年)の主題歌「風のささやき」のカバー(それともダスティが先?録音が映画公開と同じ68年だけど?)



でもでもね、私がグッとくるとこはそこじゃないんです!
ダスティ・スプリングフィールドを聴く際、私が一番反応してしまうところ、それは彼女がキャロル・キング(&ジェリー・ゴフィン夫妻)の作った歌を唄う瞬間にあるのです!

ライナーによるとダスティが唄うキャロル・キング(殆どがモチ with ゴフィン)の曲は14曲ほどあるるらしいです。きっと本人も相性の良さを感じていたのでしょうね。彼女の唄うゴフィン/キング作品は、本当にソウルフルで、胸を打ち、こちらに迫ってきます。

私がこのコンビ(トリオ)の作品で死ぬ程好きなのは、65年の "Some of Your Lovin'" 。


わたし、よくばりなんかじゃないわ
「世界」を欲しいって言ってるんじゃないの
ただ あなたの愛が少し欲しい それだけなの



というゴフィンの歌詞も切なすぎるこの曲。メロディはもっと切なくて、寂しげな掛け合いコーラスも最高なソウル・バラッド。もーヤバイくらい好きすぎる曲です。試聴(14曲目です)

無人島ソング、っていうのがあるならば、きっとそれはこの曲しかない(07年2月21日18時の心境)。この曲が飢えも乾きも、きっと癒してくれる、幸せな無人島ライフを約束してくれる。

いや、この曲はこのアルバムには入ってないのですけどね(笑)このアルバムにはゴフィン/キング作品が6曲も収録されてるし、やっぱりどれも味わい尽くしても尽くしきれない魅力があるんですよね~。
特に選ぶとすれば、キャロル・キングが自身のソロ1st『Writer』で披露していた "No Easy Way Down"!!(泣)

このアルバムの先輩格的なアレサ・フランクリンの67年のアルバムで既に証明されているように、キャロル・キングの書くゴスペル、R&Bフィーリング溢れる曲調は、やっぱり本場メンフィスのミュージシャンの演奏と、すこぶる相性が良い。良すぎます(プラス、コーラスはスウィート・インスピレイションズ!!)。
そしてそこに堂々と現れるはダスティの、煙ったくかすれた、文字通り ”ダスティー” で情感たっぷり、かつどこかクールな、あの歌声。あぁぁ。

キャロルとダスティの、言わずもがな ”白人” だけど、骨身に染み付いているソウル・フィーリング。
ここにかなりシビレるのであります。
この2人、ホント、カッコ良過ぎ。

他の曲も粒よりだし、ボートラも全然イイ曲満載だし、音イイし。
今日もコレ書きながら何回も聴いちゃってます。


ダスティの伝記映画の企画が今持ち上がってるらしく。おっとこまえ姐さん(ある意味ホントにそうだったんですね、知らなかった。。)のライフ・ストーリーはちょっぴし哀しそうな予感。
だけど映画はハッピィ・エンドだったら、いいなぁ。





隊長に敬礼!

2007年02月17日 | 60's
最近、近しい人にちょっとしたトラブルが起きて、私も私なりにその人の問題を解決出来れば、と動いていたのですが、なかなかうまくいかず、今朝も朝イチ、泣きながらダンナに話を聞いてもらってしまいました。ダンナもビックリ。自分でもビックリ。出勤前にホントに悪かったです。でも今日の夕方には随分イイ方向へ向かう様になったし、明日には一応の解決に向かいます。もう一踏ん張りだ。自分のチッポケさと、周りにいてくれる人たちの有り難さをひしひし感じることに。最近こんなことばっかり書いてますね。すいません。

そんなカンジで心に波がぐわんぐわん立っていた、ここのところでしたが、この人に癒されてしまいました。キャプテン・ビーフハート。
なんで、この音楽を聴いて心が落ち着くんだろう。こんな変拍子の、てんでバラバラに聴こえる、デタラメみたいな音楽に。

私は彼の音楽は今まで全然聴いたことなかったです。ちょっと避けてました。ついこの間、去年の年末くらいから、ダンナがこのビーフハートやザッパに興味を持ち出して、この『Trout Mask Replica』をレンタルしてきて。それをキッカケに、私も少し聴きだしたのですが、最初は、うーん・・・て思ったんですけどね。
その次に借りてきた『Safe As Milk』は初っぱなドブルースでめちゃカッコ良かったんで、即効好きになりました。
で、このちょっとストレス堪って、気持ちが弱ってる時に『Trout~』を聴き直してみたら、これがすごく良くって。うーんて思ってたのが、急にシフト出来たんですよね。一気に、すんなり。なんにも考えずにこの音に乗ろうとだけ思えたのが、良かったのかなぁ。なんか聴いてるうちに心も軽くなったし、楽になれたのです。あれだけ荒波立ってた心が穏やか~になっちゃって。この自由で勇敢で愉快な音楽のおかげで。だって、めちゃめちゃポジティブだし、全然偉そうな所がないし、それにユーモアがいいですよね。私にはとっても暖かい、身近な音楽に思えました。デタラメどころか、すごく真摯で真っ当ですね。いやぁホントーッに素ん晴らしい!
こんなこと、たまにあるから面白いんですよね。苦手で避けてた音楽が急に反対に大好きになっちゃう。
てなわけで、今、『Safe As Milk』と『Trout Mask Replica』づけです。もー完全に。



ありがとう隊長!いいタイミングで出逢わせてもらいました!!







巻いとく?

2007年02月13日 | 日記
今週は月曜まで3連休だった人も多かったですよね。いかがお過ごしでしたか?
私は特にどこも行かず、まったりしてました。
近所をとにかく歩き回りました。ジョギングとかマラソンとか「走る」のは苦手だけど、「歩く」のは大好き。
あとはツタヤや図書館に行ってCDと本を借りまくったり。元気なのですが、気持ちが今は内に向いているので、なんか色々取り込みたかったのです。
あとは空き地でバドミントンやキャッチボールなどをしてました。私、結構イイ球投げるんですよー。

しかし、こうして書いてみると、やってることが中学の時から全く変わっていない事に気づかされます(苦笑)大人の中学生は色々と、たちが悪いものです。


大人中学生がこの連休中に感動したもの:

『信貴山縁起絵巻』

「絵巻」には以前美術館で見て以来、面白くって興味があったのだけど、最近こういう昔の日本の美術、文化に熱心なダンナさんの影響を受けに受けて、そちら関係の本を読んでいます。中でも図書館で借りてきた「十二世紀のアニメーション」という絵巻の面白さを現在の映画、漫画、アニメなどの手法と比較して解説している本。著者は「火垂るの墓」などの高畑勲さん。というのは借りてから気づいたのですけれど。

この本に絵巻は4作品載っているのですが、初っぱなに載っているのがこの国宝の「信貴山縁起絵巻」で平安時代末期に描かれたものだそうです。この絵巻はとても有名らしく、絵巻界のサージェント・ペパーズ?いや、ペット・サウンズだ!見てみてビックリ。とにかくスゴくて美しくて俄然面白くって、大感動しました。

絵巻って、1枚の絵の中に同一人物の、時間が違った姿態が同時に描かれていて、その時空間の処理の仕方がもう発明的で。
それプラス、移動撮影やパン、フェイド・イン/フェイド・アウト、クローズ・アップやオーヴァー・ラップ、はたまたフラッシュバックなどの映画的技法が平面のたった1枚の紙に何の不自然さも感じさせず情緒豊かに盛り込まれていて、もうホント圧倒させられました。
そしてこの『信貴山~』で描かれる世界のスケールたるやハンパない!でも絵自体はとても和やかでユーモラスで、とっつきやすく親しみやすくって。

『信貴山縁起絵巻』は3つの話で構成されていて、中でも真ん中の「延喜加持の巻」にヤラレテしまった!

映画ってストーリーで評価されがちですけど、そうじゃないですよね。映画は見せ方、演出です。なので同じストーリーでも面白い映画、面白くない映画があるハズで。で、面白い映画は見せ方(演出)が「映画的」。その「映画的」とはなんぞや、ということは私には説明できる力や、それについて確固たる感性を持ち合わせていないのですが(ズルイ)、この「延喜加持の巻」の空を駈けてくる護法童子の見せ方、演出に闇雲に感動して涙が出たのは、それがまさに「映画的」であったからだと感じました。でも、平安時代に「それ」はもう存在していたのだから、自分の中で映画を見る際に漠然としながらも重要な要素であった「映画的」という言葉自体に疑問を持ってしまいました。一体「それ」はなんなのだろう。


はいは~い。今行きますから~。

これが護法童子。空高く駈けてます♪
読んでるのはこの本じゃないのですけど画像が大きく見やすかったので。


読んでるのはこっちです↓
横長サイズになってて、ホントの絵巻を見る風に見れるよう、工夫されてます。






『信貴山縁起絵巻』。いつか本物を見てみたいなぁ。
それか、ちゃんと原寸大の巻物で、巻き巻きしながら見てみたい!




おなじ話

2007年02月08日 | Japanese
よし、探そう。
本当に自分にしっくりくるものに出逢うためには、自分でドア開けて出かけていかなくてはなりません。



昨年、るーふぁすさんがブログで絶賛されていたハンバートハンバート。
気になった上に、私に絶対合う、って言ってもらって、さらに気になってて。
そこからスタート。オフィシャルで何曲か試聴。ある曲で時が止まった!
おなじ話」という曲。あら~。涙も止まらない。うれしい。
誰かさんと一緒にいるってことの、言葉にならないものが、強いていうなら「切なさ」が、男女の掛け合いで唄われていた。たまりません。
今、自分がしっくりくる場所は、ひょっとしたらこういうところなのでしょうか。
いきなり出逢えた気がしました。トビッキリに。るーふぁすさん、ありがとう。





おなじ話


どこにいるの? 窓のそばにいるよ
何をしてるの? 何にもしてないよ
そばにおいでよ 今行くから待って
話をしよう   いいよ、まず君から

どこにいるの? 君のそばにいるよ
何を見てるの? 君のこと見てるよ
どこへ行くの? どこへも行かないよ
・・・・・・・ ずっとそばにいるよ

それから ぼくも君を見つめ
それから いつもおなじ話 






こんな体験はやっぱり稀にしか出来ないと思う。
より近い世界に生まれ、自分が使っているのと同じ言葉で唄ってくれるから、ダイレクトに体験出来る事なのだと思います。変換されずに直接クるから。
やっぱり邦楽で自分にしっくりくるアーティストの音楽に出逢うことって、大切なんだなぁ。


  *  *  * 


今は曽我部のソロ1st『曽我部恵一』がステレオのスピーカーから流れてきています。今、2回目。
この、私たちと何ら変わらない日々を、生きている、そしてそれを曲に映し出し、また曲の中で日々を生きる。こういう曲を唄う事の出来る、この人。





そして彼の作る曲は、ベースの鳴り方から、メロディの起伏から、小さな1つ1つが、曲の流れ方が、いちいち特別に納得できる。サニーデイでも、ソロでも。
平常心で、途中結果で、現状報告で、鳴らされる平熱の唄。あぁ尋常じゃない素晴らしさ。
聴いてると、心強く、勇気みたいなものをもらえた気になるのはどうしてなのでしょう。


友達がブロック・パーティーのライブに誘ってくれたけど、それは断ってしまった・・・。
でも「行く?」って思えただけで、ちょっとだけ心がウキウキした。
バイトはいろいろあって辞めてしまいました・・・。
やり直さなくちゃいけないことがたくさんあるけど、1つ1つやっていくしかありませんね。
今日聴いていた音楽のような助けを借りつつ。








2月6日のバラード

2007年02月06日 | Japanese
k-hikoさんのところ、season -the diary of mellow rock-で、サニーデイ・サービスのアルバムのことが取り上げられていたのを読んで触発されてしまい、気がつけばずっとサニーデイというバンドのことに、ぼんやり想いを巡らせてしまっています。

私はサニーデイと言えば、初期。シングル「恋におちたら」で出逢い、『東京』、『愛と笑いの夜』、で、『サニーデイ・サービス』。後追いでメジャー1stの『若者たち』もウォークマンに入れて、どこに行くのでも持ち歩いてよく聴いていました。
その後の『24時』には一時熱くなったりしましたが、さらにその後の『MUGEN』以降は、なんだか急にしっくりと来なくなってしまって、彼らが遠く離れた気持ちがしたものです。勝手なリスナー心ってやつです。

現在、絶賛進行中の曽我部(←なぜかいつも呼び捨て。これも1つの愛の形)の怒濤のソロ作品群には、殆どついていけておりません。1stのみ買って、しかもアナログで気合い入れて。で、フジのヘブンでも観て、文字通り♪ヘ~ブン、アイム・イン・ヘ~ブン~♪な体験をすることが幸いにもできました。「音楽って素晴らしい~~っっっ」っていうことをあんなに自然体で素敵に知らせてくれるライブを私はあまり他に知りません。きっと今の曽我部のライブだって、もっともっと、よりアグレッシブで歓喜に満ちた素晴らしいものなんだろうなぁ~と思います。アルバムだって良いのでしょう、きっと。だってみんなブログでも絶賛なんだもの。いつかバカみたく聴き倒す日もそう遠くはないのかもしれません。

でも、いまだにサニーデイを聴いてしまうのです。特に上記の初期3枚を。アルバムよりもむしろシングルをカップリング含め、結構頻繁に聴いているかもしれません。当時マメにシングルも揃えてましたが、またそのシングルがいいの!カップリング曲が良いバンドって、それだけで贔屓にしたくなりません?


その当時同じ様に新しいシングル、新しいアルバムが出ると知ると楽しみで楽しみで、なんだか自分の期待や希望の光を一身にそのアーティストの動向に背負わせたりしてしまう、そんなちょっと虚ろで、だけど全く幸福な出逢いがいくつ私にはありました。10代~20代にかけて。
それが、ブルーハーツ、フリッパーズ・ギター(そして小山田、小沢ソロ)、中村一義。

けれどもこの人たちの音楽って今となってはあまり聴き直さないですね(コーネリアスと中村君は今もまぁ聴きますけれど)。
即効性というか、その時、その時、正しい場所、正しい時に居てくれて、まさに欲しい歌を、その想像をはるかに超えて歌ってくれた。生きていく上での熱みたいなもの分け与えてくれた。新しく、そして間違ってないと思える道を示してくれた。
今思い出してみれば、それは音楽っていうより、もっと宗教的な何か、みたいな。「音」よりも「言葉」や「在り方」よりな。ちょっと邦楽雑誌「JAPAN」の影響モロ受け過ぎだったんだと、今となっては分かります(汗)。だからその当時にもう一生分聴いちゃったのかもしれない、彼らの音楽は。ホントそう思ってしまうくらいのめり込んでました。

でもサニーデイや、同時代にいたフィッシュマンズというバンドの音楽などは、私は当時も今も繰り返し普通に何度でも聴いてしまう。聴けてしまう。
この2バンドの音楽は、いつ聴いても、聴いているこちら側のそんな暑苦しい期待をひょろりとかわし、サラーッと自分を、自分の時間を生きている音楽。だからと言って、こっちの期待を裏切る訳ではなく、新しい世界、新しい素敵な何かを強烈に感じさせ、いつもシビレさせてくれる。
例えばいいカンジのネルシャツのようにカジュアルなんだけど時代を問わず、いつでもオッケー。しかも自分には他にないほど、色と柄が有り得ないくらいハマってて、超しっくりくるんだ、っていう感じ。手放せるはずもなく。着古したらいい味も出てくるしね、時と共に。

今の邦楽の現役若者バンドは本当にあまり知らないまま言っちゃうのですが、なんだかものすごくカジュアルさだけが浮き立って見えてしまってて、苦手って感じてしまいます。みんなオシャレすぎて見えちゃうのです。別に音楽じゃなくて良かったんじゃないの?って人ばかりに見えてしまって・・・。でも、絶対すんごい才能やバンドはいつの時代もいるハズで、単に私の感性がついていけなくなっている、頑固な口だけのオバハンになってるだけ、なんだと思います。邦楽で、自分にピッタシのバンドを見つけようって気もそんな起こらないままなんだもの、ここんとこずっと。ユース・カルチャーはもう自分の時代じゃない??そんなこたないね。そんなこたない、けどね。なんなんでしょうか、この一抹の寂しさは。

でもサニーデイは、いつ聴いても、10年経った今でもしっくりくるのには、自分でもビックリしてるのです。こんなしっくりくる音楽があっていいのかっ!って。もちろんいいんですけど。そしてしっくりくるだけではなくて、いまだに何回聴いても唸らさせてもくれます。素晴らしいのです。お気に入りのネルシャツやジーンズのように、ピターと合って、いい気分にさせてくれるのです。
当時はヒロトや小沢や中村くんの方が自分の中ではとびきりの重要人物だったわけですが、今は心の中にそれほどいなくて、逆に曽我部や、それにフィッシュマンズの佐藤くんはひっそりとずっといてくれているような気が、勝手にしているのです。それはこれからも変わらないと、実に嬉しいのです。


って、まぁ。あらら~。私は何をごちゃごちゃと、書いているのでしょうか??暑苦しいですなぁ。
本当はラジオで初めて「恋におちたら」を聴いて、サニーデイに恋におちた時のことを書こうと思って書き出したのですけどねぇ?(笑)。これが一応私なりの200コ目の記事のようです(小声)。







P.S. これ書きながら『MUGEN』を聴いてるのですが、いやぁ~、最高ぢゃないっすか!(笑)
  『MUGEN』最高!ホント、ディスコグラフィ全部最高!サニーデイ万歳!
  きっと曽我部ソロもこんなカンジで全部最高!なんだろな~。
  でもミューマガ(今月はサニーデイの表紙&特集です)はきっと買わない!
  今は雑誌いらないの!