中村一義名義ではなんと10年振りの作品という。
もちろんその間、100s(ひゃくしき)というバンドで活動してはいたのだけど。
でもやっぱ、ソロの中村くんが、私はいい。
うたってる「中村一義」とそれを聴いてる「私」に届く、その 個人 対 個人 の感じが、中村くんの場合は本当に特別だと思うから。
中村くんのうたとは進んで対峙したい。
歌詞は聴き取りがちょっとしにくいところもあるから歌詞カードと首っ引きでね。
あの独特の長文の歌詞をむりくり美メロに乗せて歌う、トリッキーな強引さがまたよかったり。
2年前の先行シングル発売時はiTunesでうほうほとダウンロード購入したんだけど、アルバムまで辿りつかんかった。
そうだ、あの2年前の夏はそれどころでは本当になかったんだった。
ということをこれを書いてて思い出した。
そして、アルバム発売から2年後の本日(日付は記事の一日前だけど)。
最近あまりお金持ってないけど、ひれ伏せさせてくれる音楽となんとか出逢いたくて、レンタル屋さんに行き、この「対音楽」を借りてきて、私は今日初めてこのアルバムを聴いたのです。今日出逢った。
いい!すっごくいい!
1曲1曲、創作することにフォーカスされてて、想いも消化されてて、全曲いい。
作詞作曲、全ての楽器の演奏、歌、全てが文句なく120%中村くんである嬉しさ。
聴いててウキウキしてくる。
そしてやはりソロ名義であった1st「金字塔」や2nd「太陽」に匹敵する 個人 対 個人 の
あの感じが戻っている。そこにある。
これだよぉ、中村くん。
待ってたよー。ほんと。
100sも嫌いではなかったけど、やっぱこの120%中村一義、っていうのがいいよ。
本当に特別なんだよ、この感覚は。
愛情は何度、暴いたって、ただ、愛情
「ウソを暴け!」
どっか狂っていたって、秒針は時を刻む。
愛が常時だなんて、なかなかないんだからさ。あ、そう。
「きみてらす」
といった言葉が、すーっと入ってくる。沁みる。
2年前にシングルで「ウソを暴け!」を聴いた時、あの中村くんが帰ってきた!?うわー
!!って感動したのを覚えているんだけど、嬉しいことにアルバム丸ごと、帰ってきてたんだなぁ。
私はこれを退化だとは思わない。
本当の自分の中でも、もっと奥の核みたいなものを今一度大切にして表した結果なんだろうと思う。
幼少の頃、父親にも母親にもに捨てられ、愛情深い祖父母に育てられたという過去を持つ彼は、その作品の中で何度も何度も、自分が今、ここにいる理由を探し、疑い、愛を見つけ、そこにただひたすらすがり、信じ、つまずき、引きこもり、そしてビートルズに出逢い、それまで打ち込みだった作風を捨て、一人でリンゴとジョージとポールとジョンを演ってのけ(ほんとうにビートルズのようドラムもベースもギターもピアノも彼一人で演奏したのです)、「あぁすべてが人並みにうまくいきますように」「愛がすべての人たちにわけられてますように」と、一番ビートルズらしいメロディと4人の残像を借りて超絶裏声で歌い、表に出てきて私たちリスナーと出逢ったアーティストであって。
今回のこの「対音楽」の中に「おまじない」(この曲最高!)という曲があるのだけど、彼のデビュー当時(1997年)、確かに彼のうたは、私にとって生きるためのおまじない、のようなものでした。
そしてまた、おまじないになるアルバムを作ってくれたんだ。
そのおまじないとは決して、自分をなくしちゃうくらいにすがりつくもんじゃなくて。
逆に、自分という人間を明るく照らしだし、周りにいる人たちを照らしだし、そのことをとってもありがたく感じ、そして今、本当に、ここに、この中に、いるんだ、自分は、ということを、くっきりと、でも少し悲しみみたいなものを携えながら、教えてくれるものなのです。
そういった「今」というものを、死ぬまでに出来るだけたくさん感じたい。そのとき助けになってくれるのが、中村くんのうたというおまじないなのです。
君にとって私はどういう存在でしたか?
僕にとってあなたはどういう存在だったのかな?
なんて中村くんがうたうなんてね。
その続きは
逢えるかな?また逢えるかなぁ。
「いつだって心、出逢えるだろ?また、逢えるだろ。」
ホントだ。逢えたね。
「歓喜のうた」
とかね。
逢えたねー(レンタルすまぬ)。
大切に何回も何回も聴こう。
このアルバムを。
あ、そうだ。これも覚え書きとして書いておかなきゃ。 今日は実は前から気になっていた身体のちょっとした不具合の検査の日で、問題なければ当日に結果がわかるという。 きっと大丈夫だろう…でも万が一のこともあるし…っていうヤな日だったんだけど、結果問題なしで。 ホッとしたその足ですごく久しぶりにCDを借りに行ったんだった。それで出逢ったのでした。
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