負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

愚鈍の一念 4/4 ・・・ 身につける

2014-03-28 20:30:58 | 原発震災避難者


近隣



「 勝つことばかりを知って負くることを知らざれば 害その身に至る 」

・・・ 家康遺訓のなかの一句です。


非常に内容が深いです ・・・ 。


負けるのは苦であり 屈辱であるが

それを経験してこそ 人間は 「 できて 」 ゆきます。


秀才は その経験なしに成人し 世に出てしまうから

「 害その身に至って 」 ・・・

もてる力を出しきれなくて終わることが 少なくないのです。



人生は 長い眼でとらえなくてはダメです。


たかが学歴 たかが学校の成績ぐらいのものに

第一義の価値をおくようでは

・・・ とても第一級の人物にはなれないでしょう。


若いうちにこそ 賢ではなくて

・・・ 愚や 鈍を身につけたいものです。

それこそが

生涯的なエネルギーのエンジンになってくれるのですから。







愚鈍の一念 3/4 ・・・ できの悪い者こそ

2014-03-28 17:20:02 | 原発震災避難者


近隣



学校でのできの悪い者は

少年時代からして 「 愚鈍の一念 」 式の心情を

身につけないわけにはゆきません。

学校がすでに 根気や忍耐力を養う場所になってくれます。


賢でないために いい意味での 「 鈍 」 や 「 愚 」 が身につきます。

つかざるを得ないのです。

浪人などを経験すれば なおさらです。



こうして鍛えられた者が

「 忍苦 」 を要求される実社会に入ったとき

これへの適応能力が

学校をスイスイとわたってきた秀才たちよりもまさるのは

・・・ 当然のことです。


身につけた 「 愚鈍の一念 」によってこそ

彼らは ・・・ ジリジリと力を出していくのです。







愚鈍の一念 2/4 ・・・ かつての秀才の末路

2014-03-28 17:00:16 | 原発震災避難者


近隣



うわすべりの 「 賢 」 だけで学校をわたってきた者が

二十二・三歳にもなってから 「 忍苦 」 の力をつけようとしても

・・・ 年齢的に限度があるでしょうね。


加えて 実社会に役立つ 「 賢 」 とは

学校における表面的なそれとは ・・・ 質も 次元も異なるものです。



こういった事情から 「 かつての秀才 」 たちは

世をわたるバイタリティーに欠け

力を出し悩んで ・・・ しぼんでゆくことが多いのです。







愚鈍の一念 1/4 ・・・ たかが学歴 ・ 成績

2014-03-28 13:59:11 | 原発震災避難者


近隣



学校時代に秀才で通した人が社会へ出てみると ・・・ 案外パッしない。

それらしい芽がでないまま

「 あいつ 意外にダメだったねェ 」などと評されながら

一生を終わってしまうなどは ・・・ よくある話ですね。



学校時代 出来があまりよくない。

成績は中 ・・・ それ以下である。

性格的にも目立たない存在で

一浪か二浪ののちに ・・・ 二流の大学に入る。


こういう人が社会に出てから
 
ジリジリ ジリジリ力を出してゆき ・・・


中年のころになると ・・・ 相当な立場にあって 敏腕をふるい

堂々たる貫禄も身につけ

という実例もまた ・・・ 世に少なくありません。


かっての級友たちから 「 あいつ やるじゃないか ! 」 と評され

一目置かれ ・・・ ということになります。



どうして このような現象が生じるのでしょうか。


学校は 「 賢 」 だけで通ることのできる世界です。


しかし 実社会は ・・・ とてもそんな甘い場所ではありません。

どういう立場にいようと その人なりに

忍 ・ 鈍 ・ 愚 ・ 根 ・・・ などが強いられます







生命は短い

2014-03-28 10:57:35 | 原発震災避難者


近隣



世間のものはすべて 変化しないものはありません。

一瞬一瞬 すべて 変化しつづけています。


自分の生命さえも いつ消え去ってしまうかわかりません。

だからこそ 吾我をはなれ 無心になって

現実を 正しく ありのままを見る力をもつ必要があります。


生命は短い。

だからこそ 貴いのです。


貴い生命を 吾我にまとわりついて

この世のすばらしさに気づくことなく

・・・ 終わりを迎えてよいのだろうか。



無常を思い 吾我をはなれ

・・・ とらわれない心をもちたいものです。







今日限りの生命 ・・・ 

2014-03-28 05:08:01 | 原発震災避難者


身辺



人間は誰でも ・・・ 他人の死を眺めています。


そして 自分にだけは ・・・ 死は 遠い遠いところの問題だと思っています。

しかし 死は誰のうえにも ・・・ 突然やってきます。


ワラにもすがりたい気持になっても ・・・ ワラさえみつかりません。

だからこそ 「 今日という一日を 今日限りの生命なのだ 」 と思って

・・・ 必死になって生きるべきです。


明日は もう眼がさめないかも知れないのですから。