負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

指定席 ・・・ 2.つぶやき

2014-03-02 23:00:34 | 原発震災避難者


今年の三条は雪が少ない



(再掲)   無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私




白状したくないのは

・・・ 面子 ( メンツ ) にかかわるからだし

思いだしたくないのは

・・・ 失敗の経験で自信がゆらいだからだし

よろこぶことができんのは

・・・ もっともっといい待遇があたえられるはずと

思っているからだし

身にうけられないのは

・・・ いつも うわのそらでいるからだし

空を向いているのは

・・・ 一切を軽蔑しているからだし


ということになると

傲慢不遜 ( ごうまんふそん ) な自我のつぶやきじゃないですか。


その自我だけで生きているんだったら

・・・ こうしたつぶやきがでるだろうか。














指定席 ・・・ 1.自我

2014-03-02 21:30:21 | 原発震災避難者


今年の三条は雪が少ない



      無題

               織田由太郎

  白状したくない 私

  思いだしたくない 私

  よろこぶことのできない 私

  身にうけられない 私

  空をむいている 私



えらくまた 私をたくさんならべましたね。

ほんとうはもっとある?!

代表だけ出したんですか。


たくさん私があるようだけど せんじつめれば

これは ひとりの私であって

それが その時々にあらわしている表情なんでしょうね。


このひとりの私が いわゆる自我なんでしょう。














無限の中に ・・・ 3.慈悲

2014-03-02 20:00:44 | 原発震災避難者


今年の三条は雪が少ない



地獄こそ分相応の場所 と言いきることができたのは

モウタスカラズトモ ヨロシュウゴザイマス と同じではないか。


ここではじめて

助かりたい というあつかましい期待が死ぬのだろう。

そこではじめて

自分の足が地について しっかりと歩みだすことができるのだろう。



慈悲とは

目の前をうろちょろするものに心を奪われることなく

自分の足でしっかりと歩める人間に

・・・ 私たちを仕立てなおすことであったのだ。





(再掲)
      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス














無限の中に ・・・ 2.過分

2014-03-02 18:00:31 | 原発震災避難者


今年の三条は雪が少ない




おかげ様で助かりました

ありがとうございますというのなら 慈悲の唄もわかるが

助からなくとも結構ですの ・・・慈悲とはどういうことだ。



信心は逆説的だとよくいわれるが この人の表現もまったく逆説的。


この人は 助かっていればこそ

もう助からずとも結構です といえるのではないか。


もったいないとは

自分の今おかれている場所が過分である

という ・・・ 喜びなのであろう。



過分である ・・・ 分にすぎているとは

自分の分際をよくわきまえているからだろう。


親鸞は いずれの行も及びがたき身なれば地獄は一定すみかぞかし

・・・ といわれた。

親鸞も おのれの分をよくよく心得られたのであろう。





(再掲)
      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス













無限の中に ・・・ 1.本音

2014-03-02 04:49:57 | 原発震災避難者


今年の三条は雪が少ない



      慈悲の唄

                 竹部 勝之進

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス

  ワタシヒトリハ

  ワタシヒトリハ

  モウタスカラズトモ

  ヨロシュウゴザイマス

  モッタイナイコトデス

  モッタイナイコトデス



他の者はどうなろうともかまわん

ワタシヒトリはどうでも助かりたい

どうか私ひとりだけお助けください というのが

どうも私たちの本音としか思われぬとき

こういう詩に出くわすと とまどわざるをえない。



君 本気かとついききたくなる。


一時の気まぐれや

熱にうかされての世迷い言じゃないか

よく気をおちつけて もう一度考えた上でいってくれ

・・・ と念をおしたくなるのが本当だ。



だが これがこの人の本音らしく

・・・ 念をおしてくり返していっている。