負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

人間成就

2014-03-05 22:53:59 | 原発震災避難者


近隣



      壷

           坂村 真民

  壷の 美しさよ


  からっぽの

  からっぽの

  壷の 美しさよ


  火を くぐった

  この からっぽの

  壷の 美しさよ



その人の傍らにいるだけで

一語も交わさないでも 心暖まる人というのがあるものです。

そういう人は この世の辛酸をなめつくして

しかも その影すらもとどめない人です。


どんな人の どんな悲しみにも共感でき

しかも 自身については いささかの愚痴もこぼさない

それこそ ・・・ からっぽの人です。



辛酸のすべてが その人をつくり上げるのに

なければならなかったものとなっているからでしょう。

苦労が その人の精神的栄養に転じているからでしょう。



壷は 黙っています。


その姿のよさ 色合いのよさ

おのずと手が出て

壷の肌をなでずに入られない魅力をもった壷

それは 黙ってはいるけれども

高熱の火の中で 幾晩も焼かれた過去をもっているのです。


中には

高熱に耐え得ないで 砕けたものもあるし

隣の壷とくっついて ゆがんでしまったものもあるから

その点では 選ばれた壷であろうけれども

高熱にきたえられ それに耐え得たことが

・・・ この美しさを生み出したのでしょう。



人生を楽しく過ごそう ・・・ ということばが流行 ( はや ) る。

なにか ・・・ 軽薄な響きがあります。


私たちは 一生かかって

人間とはなにか

自身とはいかなるものかを 身をもって学びつつ

自身を成就すべきものとして ・・・ 人間に生まれているらしい。


人間の楽しみというのも

苦労に耐えてきたところから

・・・ おのずとにじみでてくるものなのでしょうね。


人生の楽しみも

・・・ 深い しみじみとした味わいのものでしょう。














一人あり ・・・ 3.自身の重さ

2014-03-05 20:04:25 | 原発震災避難者


近隣



 あめつちの中に我あり一人あり  ( 再掲 )

                     吉川 雉子郎



天地の中にたった一人自分がいる。


これは孤独を悲しんでいるのではありません。

天地の恵みをうけて

生かされて生きている真の自己の存在に

・・・ おどろいていることばです。


その一人の我なるがゆえに

大切に一瞬一瞬を生きよう

・・・ ということばでもあります。



私たちは自分の欲を大事に考えて

自身の重さを忘れていはしないでしょうか。



雉子郎とは

川柳に熱中した青年時代の吉川英治です。














一人あり ・・・ 2.自己自身をいただく

2014-03-05 18:03:28 | 原発震災避難者


近隣



我独 ( ひと ) り尊しとは 

お山の大将おれ一人 ではありません。


お山の大将は 他を見下 ( くだ ) した自我の満足です。

いつ他にとって代わられるかもしれない 危ない存在です。



我独り尊しとは そんな相対的な話ではなくて ・・・

天地の中にただ一人かけがいのない存在としての自己を

身しみて感ずる さらには その自己の尊さにおどろいて

・・・ 自己自身をいただく ということでしょう。



人間だれでも 自分が一番かわいいですが ・・・

その自分を天地の間において再認識し 自己自身をいただくまでに

・・・ その尊さに目ざめているでしょうか。


自己以外のものをささえとして生きていたら

・・・ 真の自己には 目ざめていないのです。














一人あり ・・・ 1.七歩

2014-03-05 16:01:37 | 原発震災避難者


近隣



  あめつちの中に我あり一人あり

                     吉川 雉子郎



二千年の昔 4月8日に生まれた嬰児 ( みどりご ) が

七歩歩いて 「 天上天下唯我独尊 」 と叫んだといわれます。


この伝説は

人間の尊さはどこにあるかを究明することを

生涯の使命として生きるべく

・・・ この世に出られた人だ と物語っていると思われます。



七歩というのは

地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天人 の六道

( つまり 人間の智恵でまかなわれている日常生活

  真の自己を見失って 

  欲望のままに外物にひきずりまわされている生活をさすのだが )

  ・・・ を はじめて超えた意味だといわれます。



文化は当時より進んだけれども

六道が複雑化したというにすぎなく

その複雑化のために

精神不安定者が大量生産されているということであれば ・・・


六道を超える道というのは

健康な精神生活のために

・・・ いよいよ重要性をましてきているのでしょうね。