時事解説「ディストピア」

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古市憲寿は学者ではない。

2015-05-10 00:06:58 | マスコミ批判
私は前々から古市氏の言い分と振る舞いがおかしいことを指摘していたが、
とうとう、あのリテラから古市氏の批判記事が登場した。

「ブサイクは怠惰の象徴」古市憲寿のブス差別がヒドい! 容姿差別は合法だと開き直り


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格差社会に伴う若年層の不幸な状況が問題視されるなかで
あえて「若者は幸福」と語り、とりわけ2010年代、ニュースや討論番組に頻繁に出演するようになった。

しかし、その言動をつぶさに見て行くと首をかしげたくなることも多い。

事の発端は昨年10月13日、古市くんがTwitterで
「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、
 顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、
 髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う」とツイートしたことだった。

~中略~

「日本には、人を容姿で差別することを禁じる法律はない。」

~中略~

彼は「人は結局、見た目を含めて選ばれるのだ。
それならば、『見た目』を良くする努力がもっと認められてもよさそうだ」と完全に開き直る。

そのための代表的な手法がメイクや美容整形だ。
科学による身体加工という発想の浸透する現代社会で
「美容整形に対する風当たりが消えるのも時間の問題」と続ける。


「整形が一般的になってしまった場合、『ブス』や『ブサイク』は怠惰の象徴として、
 今以上に差別を受けるようになるかもしれない。よく『ブスだからモテない』
 という悩みがあるが、実は自己責任でどうしようもない何かのせいにできるというのは、
 とても幸せなことである」

 オイオイ、ちょっと待て。ここまで来ると釈明の域を越え、
 容姿に悩む人々へのセカンドレイプと言っていいレベルの暴言ではないか。

 古市くんの議論にすっぽり抜け落ちているもの。それは、同じく
 社会学の一分野として大きな存在感を持つフェミニズムの、今日に至るまでの格闘の軌跡だ。
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詳しい内容は本文を読んで頂きたいが、気になる点としては、
古市氏が自説を正当化させるために、差別主義者と同じ理屈を用いていることだ。



人種差別にせよ性差別にせよ、差別主義者は
「差別する俺が悪いのではない。差別させるような相手が悪い」と述べる。


典型的なのが、在日コリアンは差別されたくなければ、親日になれ、帰化しろというものだ。
(ここでの親日とは「日本の戦争は正しかった」「日本が韓国を救った」という
 アホなデタラメを受け入れ、自分たち差別主義者に対して尻尾を振れという意味である)


強姦事件の被害者に対して「お前が不注意だったのが悪いのだ」と語るアレと同じものだ。


自分たちは悪くない、差別されないよう努力しないお前たちが悪いという勝手な理屈。
そのくせ、いざ自分たちの意見が批判されると、批判されるような真似をした自分たちが悪い
とは言わずに、「は、反日だぁああ!!!」と馬鹿騒ぎする救いようがない連中がいる。


古市の意見はそれと全く同じものだ。

「ブス」や「ブサイク」と言うほうが駄目だというのではなく、
「ブス」や「ブサイク」と言われない努力をしないほうが悪いのだと語る。

典型的な差別主義者の発言である。




こういう弟子のあんまりな言動を見て、指導教授?の小熊英二が最近、苦言を呈しているらしい。


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そんな古市くんと小熊の誌上座談会が、最近になって再度行われた。
その名もズバリ「古市くん、社会学を学び直しなさい!!
自称社会学徒が日本を代表する社会学者をたずねる」(「小説宝石」2015年4月号/光文社)。

冒頭、小熊は今日の日本で社会学者は「評論家」として流通していると語る。

本来、社会学はインタビューやフィールドワーク、ないし
データの統計的分析などに支えられた「実証的学問」である。


しかしマスコミが便利屋を必要とする結果、
「社会学という学問とは切り離されて『評論=社会学』
 というイメージが定着していった」のではないかと小熊は指摘する。

……これ、まんま弟子のことを指しているとしか思えない。
古市くんはつまるところ「社会学者」ではなく「薄口社会評論家」なのだ。

そう考えればその言動の浅さにも納得がいく。

こういう「薄口評論」が曲がりなりにも「論考」として
流通してしまう今の言論界って、本当に大丈夫なんだろうか。
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そもそも、古市が学者として何か貢献しているという話を私は聞いたことが無い。



古市は週刊誌や新書には顔を出すが、きちんとした学会で発表を行っていたり、
学術雑誌に論文が掲載されているかといえば、そんなことはない
(少なくとも老舗の学会においては)。


いわゆる右翼の論客と共著することはあっても、
同じ社会学者と一緒に、本格的な論文集を著述したことも無い。



純粋にやってることだけを見れば、彼は現時点で学者というよりは評論家である。
現役大学院生(もう卒業したのか?)の評論家()であり、それ以上でもそれ以下でもない。



古市の研究が学問的に評価を得たものといえば、右翼的な賞を頂くことになった
たった1本の論文ぐらいのもので、受賞した理由も、恐らくは若者論を語る際に、対象である
若者の主体性に着目し、社会の変化にしたたかに適応する姿を描いたからだと思われる。


ただ、右翼的な賞を頂いた点からお分かりのように、
彼の新自由主義的な現状認識(格差でも人間は幸せになれる。なれない奴は努力不足)は、
当初から存在し、この辺が審査員たちの印象を良くしたような気がしなくも無い。


一応、古市の名誉のために書かせていただくと、
イギリスの著名な社会学者であるアンソニー・ギデンズがブレア政権のブレーンとなり、
資本主義でも社会主義でもない第3の道を示すといきまいた所、実際には侵略主義的な
ろくでもない外交や内政が展開されたという苦い思い出が社会学者にはある。


彼が唱えた第3の道というものが名前を変えた侵略主義、新自由主義だったことは
さまざまな人間から指摘され、批判されている。


つまり、古市だけでなく社会学そのものが、権力側に追従した言説が闊歩し、
御用学者が大学だけでなく業界内で一定の権威を持つことを許しているわけで、
古市個人の問題というよりは、社会学全体の問題として受け止めるべきだと思う。


実際、彼を表面的には批判した小熊氏もまた、その発言内容が
一部のマイノリティ民族に批判されていたりするわけで、それほど偉いわけでもない。


一応、左翼であるはずの小熊氏の弟子が右翼というのもまた、
日本の右傾化は左翼の右傾化を想起させずにはいられないものだが、
社会学もまた、政治学や経済学と同様、目的論を排したために、
逆に目的論(政府や企業に都合の良い学説が採用されてしまう)的なものになっている
のではないだろうか。古市がでしゃばった背景には社会学の問題点にも繋がっている。



少々、難しい話をしてしまったが、古市自身はもう30歳になったし、
今後は自称若者を名乗りづらくなるのではないかと思う。



まぁ、右翼雑誌の手にかかれば、
この曽野綾子が「美人評論家」になってしまうので、
もしかして40歳を超えても若者を名乗り続けるかもしれないが、
少なくとも彼のセールスポイントであり、マスコミが認める利用価値は、
社会の被害者である若者の口から右翼的言説を語らせることにあるわけで、
おっさんになったら、他の論客のようにガツガツと精力的に活動しないと、
浅田彰や宮台某のように、誰だあいつ状態になるのではないだろうか?


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