中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

11月以降のことをかいつまんで書いておきます

2015年11月19日 23時21分45秒 | とりあえず日記
今学期はブログの更新が本当に滞っています。
書きたい事は色々あるのですが、なかなか更新するパワー・時間がなく、そのままになっています。

今日は11月7日-19日までのことを日記形式で更新。

7日(土)
この日は午前、自宅で次週の授業準備。
午後は自分の大学で、在済南の各学校の有志の日本人教員が集まり、第一回の日本人教師の勉強会。
こちらに着任してからやりたいと思っていた活動の一つが、皆さんのご協力のお陰でようやく開催に。
私ともう一人の先生が実践報告、残りは先生方で個人の仕事上での課題を共有しあう時間に。

会の後は自分の別の仕事で早々に帰宅。

8日(日)
午前、自宅で授業準備・別の研究関係の作業。
午後は山東大学のご招待を受け、出張。スピーチコンテストの審査員をさせて頂く。
その後は先生方や主催者の山口県友好協会の方と会食。

9日(月)
授業(90×3コマ)

10日(火)
午前は出講で大学院授業、午後は自分の大学で作文授業。
午前は近代天皇制と国民国家の形成について説明していた人間が、午後は日本語の中級レベルの作文の書き方を教えている。
そのせいで、火曜日はなかなか頭の切り替えが難しい時がある。
こんな感覚は中国に来て、この仕事をさせてもらいながら大学院生をしている頃からずっとあるのだが。
夜は学生たちと食事。

11日(水)
午前は出講で中日関係史、午後は別の仕事を自宅ですすめる。
夜は同僚のご主人が済南へいらしていたので、市内にある済南の地元料理を食べさせてくれるレストランへ案内し、食事。
「研究という仕事と、日本人教師の仕事とでは頭の切り替えが大変でしょうね」というご主人の一言が心にかなりひびく。
久々に酒を口にして、楽しい時間を過ごさせてもらった。

12日(木)
夕方まで自宅で次週の授業準備。
夕方から同僚のご主人を連れて、済南に残っている近代建築を見て周り、済南事件のことを展示した博物館にお連れする。
自分は日本近現代史の研究室で学んだ人間だが、済南事件にそれほど突っ込んで学んだことがなかった。
一応、F氏に説明をさせてもらったが、途中途中、自分でも知識があいまいな箇所があることに気づき、帰宅後自分でも勉強しなおす。

13日(金)
午前は振り替え授業、昼は学生達と近所の食堂で済ます。
午後は自宅に戻って次週の授業準備。

14日(土)
午前は自宅で次週の授業準備。
五科目となると授業以外はほとんど授業準備をしている感覚になる。
(ま、仕事の遅い私だけなのかもしれないが)
夕方から自分の大学の日本語コーナーへ顔を出す、学生の頑張りで盛況に。

15日(日)
午前は授業準備。
午後は某計画書を執筆も、なかなか構想が定まらずに進まず。

16日(月)
授業(90×3コマ)

17日(火)
午前は出講で大学院授業、昼は院生らと一緒に食堂で。
午後は自分の大学に帰り、作文授業。
夜は学生たちと食事。

18日(水)
午前は出講で中日関係史、午後は別の仕事を自宅ですすめる。
なお、特別研究員の仕事の一つ、留学生の論文修正が本格化してきた。
博士の院生は日本語が上手なのだが、修士は一頁直すだけでも時間がかなりかかることも。
結局8頁を修正するだけで、4時間強かかった。

夜9時半頃、市内の日本料理店へ出て夕食をとりつつ、先行研究となる論文に目を通す。
「先行研究との差別化が不十分という印象なので、論文のオリジナル性を明示し直せ」
との査読意見を納得させるために、再度関係論文を読み込み、自身の論点を整理しなおす必要が出ている。
日本から読んでいなかった論文を取り寄せ、早々に読まないといけない。

19日(木)
一日自宅で次週の授業準備に充てる。
この日、前学期、出講していた大学から給与が振り込まれる。
この大学からは色々と仕事を振っていただき、感謝している。
しかし、給与の支払いがなぜか遅めで、自分でも何の給与をもらい、逆にどの給与をもらっていないかを忘れそうになる。


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