こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

楽しかった避難生活

2024年03月23日 | 日記
息子の家に避難してほぼ2ヶ月お世話になった。
その間2、3泊で家に戻ったりを3回した。
我らが避難した息子の家は家から2時間弱の近くにあり、
津幡という所の山の中で、家の前には畑もあり、
周囲には巨木が点在し、環境としてはとても良かった。
旦那も孫とよく遊んでいた。
古民家を再生した家なので、天井も高く、居間が広く、快適だった。

即席で我ら夫婦の部屋も作ってくれ、そこで寝ていた。
昼は息子夫婦は仕事で留守。孫も、保育園、学校と出掛けていくので
我らが占領して好き放題。
初めのうちは大河ドラマの「篤姫」全話を息子が契約してるUNEXSTで見尽くした。宮尾登美子原作であるし、脚本もよくて、面白くみた。
私は夕飯係として、夕飯を作り続けた。嫁は朝7時過ぎには下の孫と出かけ、
5時ごろ帰宅する。息子は電気関係の仕事で、時には家での仕事もあったけれど、上の小学生の孫を7時20分にはバス停まで送り、その後仕事に。
夕飯係というポジションは楽である。しかし、子供に沢山食べさせるのは、
ちょっと考えねばならない。我らは老人であるし、食の好みも変わってきている。ついつい、孫の好みに合わせたくなる。しかも年と共に薄味好みにもなっている。孫が完食してくれればホッとする。
嫁の気持ちもよくわかる。私が作った料理を一番「美味しい」と言ってくれたのは嫁である。
調味料から、様々な食材が違うわけで、勉強になった。
嫁の作ってくれた餃子がことのほか気に入った。作り方も違っていたし
小学生の孫と私が餃子大好きで取り合いだった。
近くに住んでいる寺の三男の家の手巻き寿司大会に呼ばれたこともある。
金沢の台所、近江町で食材を用意してくれているし、輪島の水が出ない状況で
魚がなかなか手に入りにくくなっているので、久しぶりの手巻き寿司は美味しかった。相変わらず、輪島近辺は港が隆起した為に、船が漁に出られず、内浦の港の七尾で漁再開となり、津幡のスーパーには魚が入ってきていた。しかしお値段が高い。イワシがもはや高級魚である。それでも鰯の刺身とイワシのフライはやりました。孫達も大喜び。イワシは小骨が多いものの、私は丁寧に取りません。下の孫がちょっと喉にひっかっかったようだったけど、親も気にしないし、
尻尾まで食べてくれたのには感激した。
私が育った街も港があり、父は大の魚好きだったので、小骨が喉に刺さって泣いたことは何度もありました。でも朝にはほぼ治ってた。
息子は父親と同じ釣りが好きなので、孫達は美味しい新鮮な魚をよく知っている。
魚にはうるさい一族です。
今、輪島に戻ってきて眺めているに、魚を安く売っていたスーパーが「危険」の張り紙をされて、再開できていない事、港が壊滅だという事は
魚好き一族としては悲しいですが、仕方ありません。
長い目で待ちましょう。
国が7つの港の再開を目指すと言っています。
輪島港、穴水港、珠洲港、宇出津港、小木港、蛸島港、もう一つは何処だったか思い出せません。
まだ時間がかかるでしょう。待ちましょう。
このところ日々片付けです。断捨離と共に、新しい江崎家になるべく、
奮闘中です。
もう大きい地震が来ない事を祈ります。
もう一回震度7が来たら、家は潰れるでしょう。
昨日は寺の長男の友達が山梨から瓦屋さんの友達を連れてやってきてくれました。各家の屋根に登って見てくれました。
災害に会うと、人の優しさが身に沁みます。
息子の家の猫ちゃんの「クロ」。お世話になりました。




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