今日の朝日新聞に「夜逃げ屋」の事が載ってました。夜逃げ・・・人生に失敗した哀れな人が、考えに考えて選んだ手段です。
昔は リヤカーに積めるだけの荷物を積んで、お父さんが引いてお母さんが後押しして大きい子供が小さい子の手を引いて、夜の暗闇の中を涙にくれながらトボトボとあても無く行く姿を想像したものです。
ところが 今じゃ「夜逃げ屋」と言うプロが居て、引っ越しから、転居先の手配、おまけに働く所の世話まで至れり尽くせりの段取りを着けて呉れるそうです。その費用は 条件に依りますが、20万~50万円で分割払いもOKとか 便利な?世の中になったものです。お陰で此の「夜逃げ屋」には年間100件も仕事があり、今も40件が順番待ちとの事で、今年の大不況の影響でしょう。所詮 逃げ出す事になりますので大居張りは出来ませんが、一家心中なんかするよりは逃げようが隠れようが いいじゃありませんか!! 恐ろしい借金の取り立ては耐え難いものでしょうが、この頃では其の金融業者自体が「夜逃げ屋」に「夜逃げ以来」に来ると言いますから、何をか況やで笑ってしまいます。
今年の夏 私の知人が突然いなくなりました。夜逃げです。株のデリバティブで全財産の十倍以上の借金を作ってしまって、進退極まった彼とその一家は学校が夏休みになるとコッソリと居なくなりました。何処でどうして居るのでしょう?何処に居ても元気で頑張って下さい。
今日の富士山です。下から仰いで見るだけだと唯美しい姿で優しい山に見えます。が 今日此の山で一人の女性が滑落遭難して、足を大怪我したけど、生きて救助されたニュースが報道されてました。
テレビでは この年の暮れだと言うのに冬山の遭難事故を何件も報道してます。
何が愚かな事かと言えば「冬山で遭難する事」だと思います。きっとご異論は沢山有るでしょうが、私は断固としてそう断言します。
何故なら 冬山はひとつ間違えば死ぬのです。それが 周りの人に言語に絶する心配をかけて、悲しい思いをさせて、おまけに莫大な捜索費用を費やして・・・物言わぬ冷たく見っとも無い遺骸となって山から引き摺り下ろされる姿は「此処にどうしようもない愚か者が居ます」としか形容出来ません。
誰かが言ってましたが、「死に至る道楽に嵌まると病みつきになる」そうです。冬山とか、スカイダイビングとか、バンジージャンプとか死の危険が眞近に迫る道楽は一度嵌まると止められなくなって、周りで幾ら止めても聞く耳を持たず、家族・友人達に散々心配を掛け捲り、迷惑を掛けても止められません。 自分でも止めよう、止めようと思うのですが、「命がけ中毒」と言う病気は厄介で、周囲がなんと言おうが、自分がどう足掻こうが厳然として「死の淵を覗け!!その深い底には天国があるぞ!!」と誘い続けるのです。それで 家族が泣いて引き止めても悪魔の囁きに誘われてスーッと行ってしまうのです。 そして 遭難!!涙!涙!涙! 残った物は莫大な借金!! 此れが「愚か」と言わずして何と言うでしょう。
19日 妻が兼ねてから目が痛いと言ってましたので、友人に勧められた静岡でも有名な「M眼科」に行ってきました。 何しろ評判の眼科ですからかなり遠方からも来ているそうで、混んでると聞いていましたから「どうせ朝早くから行っても長時間待たされるだろうから、と 10時半ごろ行きました。
行ってビックリ! 50人程は入れる待合室はビッシリ満員で、座る場所もありません。おまけに 診察室、検査室の中待合には30人位の人達がワイワイ居て、まるで竹薮のスズメ状態ではありませんか!!
「コリャとても駄目だ!」と諦めて帰ろうとしましたが、まぁ念のためと受付に恐る恐る「待ち時間はどれくらいでしょうか?」と聞いてみました。すると「およそ1時間です」との答えです。
病院の待ち時間で、1時間なら短い方じゃないか!!本当かな?と思いながら、待つ事にしまして、近所に在る「静岡でも1等賞が良く当たる」と有名な鈴木タバコ店に行って年末ジャンボ宝籤を買って来ました。
病院に帰って 受付からキッカリ1時間して名前を呼ばれましたので驚きましたが、とにかく検査、診断と手際良くやって貰いました。
あれだけ大勢の患者さんが居たのに、どうしてこんなに早く診て貰えたのだろう?と思いましたが、其の秘密は、患者をさばくシステムが素晴しい事に気が付きました。先ず検査をしますが、それ専門の看護士が手際良く行ったデータを担当の医師にオンラインで連絡出来るのです。それを診た医師が4人も居て、次々と診察して行くシステムが出来ていて、無駄な時間を発生させないのです。だから 患者さんはドンドン呼び込まれて行って会計を済ませると帰って行きます。
だから たった1時間の待ち時間で診察して貰えるので患者としては安心して待って居られるので、評判がいいのでしょう。勿論 医師としての技術もいいのだと思います。
昨日 3か月毎の定期検診に行って来ました。メタボ検診です。結果はヘモグロビンA1Gが5.8で、その他の数字も先ず先ずで、おおむね良好でした。
その為に毎日朝・昼とまずい野菜をボール一杯づつ食べて、朝晩8,000歩を全速で歩いて来ました。そうしないとこの数字は出なかったのです。少し怠けると直ぐHGーA1G=6.5とか7.0とかなってしまします。
昨日の結果を踏まえて医者の先生に「もう 警戒警報を解除してもいいですか?」と聞きましたら、先生は「未だ もう少し頑張りましょうネ」と言われてしまいました。
勿論自分の事ですから、自主的に頑張るのは当たり前の事ですが、兎に角私は意志が弱く食いしん坊なので、食べる事を我慢するのが一番辛いのであります。だから「糖尿病になって死んでもいいから、食べたい物を腹一杯食べたい!!」と我が心の中の悪魔が叫ぶのです。それも 年がら年中叫び続けるのです。此れにはつい負けそうになります。
そんな私を一番虐めるのはテレビのグルメ番組です。今はどうやら他にネタが無いらしく、何処ノテレビを見てもやってます。スタジオにまで食べ物を持ち込んで若い女性タレントが、一口含んだとたんに「ウーン ウマイ!!」なんてオジサン見たいなお「行儀の悪さ」丸出しのアクションをしてますので悲しくなります。大体 口に入れた瞬間に「うまい」なんて分かる訳が有りませんから唯テレビに映りたいだけのオーバーアクションでしょうが、空しいですね。
まぁ この世にそんなに「おいしい食べ物」が滅多矢鱈に有る筈がありませんから、テレビも此処いら辺でグルメ番組を終わって呉れませんかねぇ~ じゃないと私の我慢の限界になりそうですから・・・
今朝の冷たい風に吹かれている寒い富士山です。
「もう駄目だぁ~」「もう倒産だぁ~」と口癖の様に言っているオジサン、これが意外とシブトイ人です。
もう十年以上も前から「駄目だぁ、倒産だぁ」と叫び続けて居ますが、本当は仲々倒産しません。巷の噂では泣き言を言っては実の所、シッカリ貯め込んで居るらしいのです。そのくせ頗る付きの吝嗇で、一緒に飲みに行っても勘定を払った事は無いので有名ですから、誰も誘う奴は居ないかと思えば意外や意外、けっこう飲みに誘う奴が居るみたいだから不思議です。
その秘密は 彼には独特の特技があるのです。 それは 彼を気持ち良く酔わせると段々と話してくれるそうです。その内容は「如何にして税金を誤魔化すか?」と言う事らしいのですが、詳しい事は解りません。秘密厳守と言う事で、話を聞いた人も中身まで教えてくれません。尤も 私には必要の無い事ですから。中小零細企業が大変だと言われる此の時期、こんなシブトイ人も居るんですね。
ゼロ系新幹線の姿が消えて行きました。ひとつの想い出の彼方に行ってしまうのです。此の車両に特別な思いが有る人はおそらく全国に沢山いらっしゃるでしょう。私もその一人です。
私が 大阪支社から東京本社に転勤した時 開通したばかりの新幹線で赴任しましたが、其の時は、東京に転勤すると言う希望と一縷の不安を抱えて乗り込みました。真新しいホームや車両の塗料の匂いが矢鱈に記憶に残ってます。当時の新大阪駅は随分と辺鄙な所に有って周囲には何も無く景色が寂しくて、こんな所に駅を造って大丈夫かな?なんて余計な心配をしたものでした。やはり淀川を渡るのが大変な工事になるので今の所に駅を造ったのでのです。此の辺に大阪の深刻な悩みがあります。
東京に赴任して一番ビックリしたのが東京の女性の優しく親切な事でした。大阪では女子社員に「お茶を下さい」と言っても「自分でやったらええやん!!」と一蹴されてしまいましたが、東京では黙って居てもお茶が出て来ました。恐る恐る女子社員に「お茶を有難う」と言いましたら「どういたしまして」とニッコリされてしまいました。此のゆとりの差です。其の時これは大阪の負けだ!!と瞬間的に感じましたが、やはりその通りになりました。当時は必死に大阪は東京に負けまいとして頑張って居ましたが、今や東京と大阪は全く比べ物になりません。大阪で辛うじて頑張って居るのは芸人と橋下さんだけですネ。
今 妻が帰郷してまして 一人暮らしをしています。 毎日の生活はマイペースで、誰にも干渉されずに自由気儘ですから、楽しい日々を送っています。 ところがこれがなかなか忙しいのです。
朝 食事をしながら洗濯をします。すると電力会社がメーターの検針にきます。そしてご近所の方が回覧板を持ってきます。洗濯の途中でそれらの対応をします。だから 味噌汁は冷めちゃいますし、食事も満足に出来ません。 すると電話が鳴ります。一日に5~6本はかかって来ます。車の販売、保険の販売、株のお勧め、ブロバイダーのお勧め、家のリフォームetc、景気が悪くなったので、益々売り込みが激しくなってきました。一たび電話に出ると相手は必死に喋ります。大体アルバイトのオバサンですが、大きな声で何か紙に書いたものを朗読しているらしく此方の相槌を待たずに喋りまくります。途中で「やめて下さい」と口を挟む余地を与えません。
全く迷惑な事です。電話と言うヤツは無理やり電話口へ呼び付けられて「車はいかが?」「あなたの安心のために保険はいかが?」「確実に儲かる株がありますが・・・」等々と喋りまくられるので閉口します。その度に用事を中断させられて・・・何とか防ぐ方法は無いものでしょうか?
何しろ 世界一の軍事力を持ち、経済力を持った国の大統領ですから、古代ローマ帝国のカエサルよりも強大な権力者などと言われた時期もありました。
第33代のハリー・S・トルーマンは日本に原爆投下の司令を出しました。そして旧ソ連に依る共産主義の台頭で弱小諸国への侵略を恐れて「トルーマン・ドクトリン」を発表。南ベチナムへの北からの侵攻を防ごうと軍事的援助をしましたが、腐敗した南ベトナム政権の崩壊で失敗しました。
第34代のアイゼンハウアーは第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の英雄でしたが、あの泥沼・ベトナム戦争に嵌り込みました。 それはベトナムの国土を破壊し尽くし、膨大な人命を失い、莫大なお金を費やした挙句「アメリカの軍隊の不甲斐無さ」だけが世界中に印象付け続ける破目になりました。
第35代のジョン・F・ケネディは、そのベトナム戦争の終結を唱えて登場しましたが、1963年11月22日ダラスで暗殺されました。此れはCIAに依る謀略だとの噂が今も尚囁かれていますが・・・
それかから ジョンソン・ニクソン・フォード・カーター・レーガン・ブッシュ(父)・そして事もあろうか大統領執務室で、アルバイトのルインスキー嬢とエッチをしたクリントン・そしてアフガニスタン、イラクを目茶目茶にして、何百万の命を奪ったブッシュと代々の顔ぶれを見るとアメリカが段々と沈んで行く姿が歴然です。沈む大国アメリカ・・・20世紀になってから破壊と殺りくばかりをして来たアメリカ 嗚呼人材不足。オバマさん 頼むよっ!!!
黄門さまが藩主の座を譲り、隠居の身として住んだ別荘です。広い敷地の中にポツンと建つ質素な建物で、目下修復工事中でした。敷地には池があり、その畔に黄門さま作の歌を書いた立て札がありました。
「ただ見れば 何の苦もなき水鳥の 足にひまなき わが思いかな」
静々と水面を滑るように浮かんでいる水鳥も、水面下では忙しく足を動かしているのだ と言った思いでしょうか。 それにしても徳川御三家の水戸藩の大殿様が余生を過ごした別荘にしては、余りにも粗末なのには驚きました。此処で藩士達に手伝わせて「大日本史」の編纂をしたのだなぁ・・・と感慨ひとしおでした。
もし 出来る事なら、今の世にあって官僚や政治家達の腐敗ぶりに、「此の紋所が目に入らぬか!! その方たちの悪行の数々 この光圀がしかと見届けたぞ。!! きっと成敗してくれるに拠って、観念致せ!!!」とやって欲しいものです。 でも 越後屋とか悪代官などの悪者が多すぎて黄門さまも手に余るかな??
今日から水戸の息子の所へ八月に生まれたばかりの孫の顔を見に行ってきます。
初めての女の子の孫ですから・・・可愛いだろうなぁ~
21日に帰ります。其れまでしつれいします。
一昨日は年金の支給日で、「振り込め詐欺」撲滅運動がありました。
それでも静岡県では三件の被害者が出たそうです。此れは犯罪者達が余程巧妙な手口を駆使したのでしょう。 いくら何でも被害者の人達が此れだけ厳しく警戒されていれば易々と騙されるとは思えません。
犯人は二十代の男性らしいのですが、相当な知恵を搾り努力をしていると考えられます。何しろ今月に入って被害総額が七億円と言いますからおどろきます。 また 東京では此の二週間で十六件の犯行が警察官の目の前で行われたそうで、其れこそ「怪盗ルパン」もビックリでしょう。中には警官が注意をすると「家庭内の問題だから放っといてくれ!!」と 静止を振り切って振り込む人も居たとか・・・よくも此処までマインドコントロールが出来たものです。感心してる場合じゃありませんけど・・・気を付けましょう
禁煙しておよそ十年になります。我ながら 辛い長い道のりだったと痛感しています。
タバコを吸い始めたのは、大きな声では言えませんが、未だ二十歳前だったと思います。初めて吸った時「こんないい気持ちになれるのか!!」と衝撃的な感動をしたのをありありと覚えています。
それから四十年間、「この様な素晴しいものを止めてたまるか!!たとえA 子チャン(当時付き合ってた彼女)が『お願いタバコを止めて』と言っても絶対に止めないぞ!!
」とばかりに、吸って吸って吸いまくりました。最高で一日100本に達する事もあり、自他共に認めるヘビースモーカーの名を欲しいままにしたのであります。だから私の体は「歩くニコチン」状態でした。
それが十年前、何故「禁煙」しようと思い立ったのか?と人様に言えるほどの立派な理由はありません。ただ「何と無く漫然と」と言った方が正確な表現です。
「禁煙」は、周囲には発表ぜず、コッソリと始めました。私の周囲には意地悪な「悪友」が多くて必ず有りとあらゆる妨害工作をされるのが分かっていましたから・・・。でも数日後にはバレまして、ワザワザ傍に来てタバコを美味そうにプカプカやったり「一本どうぞ」とか 何とかして決心を崩そうと波状攻撃しきりでした。
私の尊敬する医者なんぞは「今更 禁煙したって大した効果は無いよ。然も 最低でも十年間は禁煙しないと体内からニコチンの気が無くならないんだ。お前の様な意志の弱い奴が出来る筈が無いから無駄な努力は止めとけ・・アッハッハ」と 満座の中で言われたのです。
此の一言は効きました。残念ながら意思が弱いことは認めます。でも悔しいじゃありませんか!!みんなに笑われて挫折したとあっては男が廃ります。(大した男じゃありませんが・・・)
それから十年、山あり谷あり タバコ渇望人間の自分とあの憎き気医者の一言との戦いをして来ました。 漸く 最近になって「タバコが吸いたい」気持ちが涌かなくなりましたし、タバコを吸ってる夢も見なくなりました。
矢張り 彼の言うとおり 本当に禁煙出来るには十年かかりました。
アメリカでは 金融恐慌を回避しようと大統領が必死に訴えた「金融安定化法案」を下院議会が否決してしまいました。大統領の面目まる潰れです。 ただでさえ権威も威信も無くなって仕舞っているブッシュさん、泣きっ面に蜂と言う所でしょう。
然も ブッシュさんの与党の共和党から、事前に因果を含めて此の法案に賛成する様に根回しをして置いたにも拘らず、いざ議決の段階になって「反対」に廻った造反者が大勢出ての否決です、あのブッシュの8時20分の泣き顔が7時25分
になった事でしょう。何とも情けない大統領です。
反対の理由は「散々いままで儲けていい生活を楽しんで来た連中が、今になってピンチだからと言って国民の税金を遣って救済するのは怪しからん。と言う国民の声が多くて、偶々大統領選挙と同時に行われる下院議員選挙に影響すると判断をしての行動しいですね。金融恐慌の問題より、自分の選挙の方が大事とはお粗末です。いかにもアメリカらしいね。日本もね・・・
今朝はもやの中に微かに見える富士山でした。
AIGグループの経営危機の報道がされた影響で、同グループ傘下の保険が解約続出で大変らしいですね。風評被害と言いますか、「アメリカ政府が公的資金を投入して救済した」と言う事で信用を回復しようとしましたが、それが逆に「そんなに悪いのか!!」と客から思われてしまったのでしょう、営業マンが必死に説得をすればするほど一度持たれてしまった疑惑を払拭出来ません。失った信用を回復するには言語に絶する努力と、ながい時間を要するのです。
此の時にあって営業成績を伸ばしているのが、プルデンシャル生命です。日頃 テレビなどで派手なコマーシャルをするでもなく、サブ・プライムにも手を出さず、地道に信用を積み上げてきた結果が、こんにちの逆風に泣く会社が多い中、追い風に乗って行ける所以でしょう。
王さん 遂に勇退ですか!?!永い事ご苦労様でした。
王さんの野球人生は、その華々しい記録の陰に壮絶な、涙ぐましい苦労があり、いつもその笑顔の奥に少し暗い影が感じられたのは私だけだったでしょうか?。華僑の息子として少年時代を過ごし、色々苦労があったでしょう。高校時代、日本国籍が無いと言う理由で国体に出られませんでした。18歳の少年にはさぞかしショックだったでしょう。
荒川コーチと出会い、一本足打法を作り上げるまで、素振りで足元のタタミが破け、手の指のマメが潰れて血をながしてもバットを振り続けたと言われています。荒川コーチが「もう やめよう!」と言っても自分が納得しないとやめなかったそうです。それは根性と言うより、執念と言うべきかも知れません。
その後は 華々しい活躍で、長嶋さんと一緒にON砲として栄光の巨人九連覇の大スターなりましたが、長嶋さんが引退すると、各チームのバッテリーは、王さん一人じゃ怖くないからガンガン内角を攻められて打てなくなってしまいました。スイングする度にヘルメットを抑える仕草をするようになったのです。つまり「なんとしても打たなければ!!」と言う気持ちから力みすぎてスイング軸がブレて、益々打てなくなって行ったのです。
’79年 王さん現役最後の年、後楽園球場に見に行きましたが、そこにはもう強打者・世界の王選手はいませんでした。唯 凡打を繰り返すばかりで巨人ファンからさえも「引っ込め!!もう止めちまえ!!」と罵声を浴びせられている哀れな王選手がいました。 私は 彼の今までの壮絶な努力仕方を知っているだけに、思わず目と耳を塞ぎその場から逃げ出したくなったものです。
そしてダイエーの監督になり、仲々勝てなくて福岡のファンは気性が荒いから「ヤメチマエ!!」のシュプレヒコールの嵐に逢いながらも二度も日本一になり、そして奥さんを病気で亡くし、自らも胃の摘出手術を受けるなど、まさに波乱万丈の人生です。
王さん本当に ご苦労様でした いつまでも元気で居て下さい。