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不老愚 助光 れいん坊

嘘、誤魔化し、怠慢を憤り、愛情、親切、思いやり、を喜び感動を記事にしています。

考古学 其の続き?

2010-06-30 08:56:33 | 文学・歴史
 昨日の考古学の話の続きです。
 「何故 宮内庁が古墳の発掘調査を、頑なに拒み続けて居るのか?」と言う疑問を或る人にぶっつけて見ました。
◎A氏曰く「宮内庁の役人は、只ひたすら従来の慣習の侭、何もいじる事無く次の担当者に引き継ぐ事が、宮内庁及び皇室の御為だと固く信じ込まされていて、其の為に障害になると思われる事は、断固拒否する様に骨の髄まで叩き込まれているのだ。」
◎B氏曰く「宮内庁の役人は 皇室の歴史2600年間時間が停止したままで、其れを又 動かす事は恐るべきタブーで、其れは<パンドラの箱>を開けるに等しい事なのだ。」
 成程 そう言う世界が今尚この世に存在するのですね!それで 皇太子妃雅子さまが体調をおかしくされたのは、こんな連中に取り囲まれて居らっしゃったからですね。
 幼少期からロシアやスイスと言った海外で暮らし、ハーバード大学、オックスフォード大学で勉強されてピカピカの国際人である雅子さまに、コテコテの宮内庁の人達との葛藤では、多勢に無勢、さぞかし雅子さまは苦しまれたことでしょうし、今後も苦しみ続けなければならないと思いますと、何とかお助けできないものかと 余計な心配をして仕舞います。尤も 私如き一介の平民が出来る事は何も有りませんが・・・

考古学 其の11

2010-06-29 15:05:15 | 文学・歴史

 今日の静大・滝沢先生の「考古学」は第11回 古墳時代でした。 古墳時代は3世紀の後半から7世紀迄の凡そ350年の時代と言われています。其の特徴は
 ・前方後円墳を頂点とする古墳の造営。
 ・首長居館の成立と集落形態の変化。
 ・生産技術発達。
 ・手工業技術の発達。
 ・馬匹利用の開始。
 ・文字の使用。
 ・日本列島に於ける国家の形成過程。
 ・日本の文明化。
 以上の様に、日本と言う国家・文明が形成されて行く過渡期の目まぐるしい時代で有ったのです。此の時代に造営されたのが、有名な「仁徳陵(大仙陵)」古墳で、仁徳天皇の墳墓だと言われて居ます。其のお墓としての大きさは なんと<世界一>です。
 現在は宮内庁の管理下に有って、一切立ち入りが禁じられ居り、考古学者の多くのが数々の疑問点を明らかにしたいから、「発掘調査許可」を申請しても宮内庁は何故か頑なに拒み続けているそうです。何か発掘されて、新しい発見が公表されては不味い事があるのかなぁ~!?と、勘ぐりたくなります。何しろ全長約500メートルの巨大なお墓です。本当に埋葬されて居るのは仁徳天皇だろうか?此の古墳を造営するのに、1日2000人で、約15年8カ月の労働力と時間が必要で有ったろう、と推定されています。 此の時代に其れだけの動員能力をと、財力が有ったとする権力者は、矢張り仁徳天皇くらいかな?と推測出来ますが、異論を唱える人もあり、真実は発掘調査をしなければ分かりません。


 


氷川清話 其の3

2010-06-26 11:00:44 | 文学・歴史
 氷川清話 其の3 「政治家の秘訣」 政治家の秘訣は、他には無いのだよ。「ただ正心誠意」の四文字しかないよ。「道に依って起ち、道に依って座すれば、草もうの野民でも、此れに服従しない者は無い筈だよ。ところで見なさい、伊藤さん(伊藤博文総理)の政治は如何だい、僅か4千万や5千万(当時の日本の人口? 有権者の数?)足らずの人心を収欖する事の出来ないとは、なんと歯痒いではないか!!この「政治家の秘訣」を知らないのだよ。或いは知って居ても実行出来ないのだよ。
 此れは 100年以上前に、勝海舟の言った言葉です。今の政治家どもに聞かせて遣りたいですね。尤も 聞かされても実行出来ない輩ばかりでしょうけど・・・
 政治家ってのは、100年経っても全然進歩も成長もしてませんね。ねぇ菅さん! 他の皆さん!!「正心誠意」ですよ!!「誰です!!分かんない振りして恍けて居るのは!!」

氷川清話 其の2

2010-06-25 13:09:44 | 文学・歴史

  「氷川清話 其の2」今日は人物評論の第二段、「一万円札の福沢諭吉」です。勝海舟が此の人をどの様に評価して居るのかが、興味深いものが有りました。と言いますのも、福沢は、明治維新の時、みんなが命を懸けて戦っている最中に、自分だけ本を抱えてウロウロ逃げ回って居た、と言われて居ました。おまけに黙って逃げ隠れをすればいいのに、「こんな事で命懸けで戦う奴は馬鹿だ!ワシはそんな事はしないよ!」などと言って居たと言うのです。そして 維新の戦いが済んで、世の中が落ち着いた頃に出て来て、大きな顔をして、遣米使節団に潜り込んだり、「学問のすすめ」「やせ我慢の説」と言う本を書いたり、慶応義塾大学を作ったりして、明治の文化人の先端気取りで居ました。
 勝海舟は勿論、自分の命を懸けて維新を戦った人間として、こんな福沢を快くは思って居なかった筈です。そんな福沢が、「やせ我慢の説」を出版する前に原稿の写しを勝海舟に送って来て、「内容を批判・反論されたい」と言って来ました。内要と言うのは、勝海舟や榎本武揚が維新の時の進退を攻撃したものだったのです。
 其処で勝海舟は「批評は人の自由。行蔵は我に存す」と言う返事をしてやったのサ。つまり 「勝手に出版・公表しろ! 然しお前に何が分かるんだ!! 唯 百年の日本を憂うるの士は、まさに斯くの如く成らざるべからず!!」だ。何時の時代にも、要領よく世渡りをして、名声だけをチャッカリ手に入れる嫌な輩が居るもんですねぇ!勝海舟にしてみれば、福沢諭吉の如き奴なんかが何か言っても「片腹痛いヮ!ってな処でしょう。


氷川清話 其の1

2010-06-24 10:57:08 | 文学・歴史

 「氷川清話」は「明治維新」の事を勝海舟(1823~1899)が実体験談として、赤坂氷川の自邸で語った事柄を聞き書きしたものです。その言葉には何の飾り気も無く、明治維新前から維新後約30年間を、歯に衣着せず、私情もまじえず「俺が海舟と言う号を付けたのは、象山の書いた「海舟書屋」と言う額が良く出来て居たから、其れで思いついたんだ。と言った調子で始まり、全く屈託の無い江戸弁で、つい 面白くて読んで仕舞いました。
 特に面白いのが人物評論。明治維新の時に実在して活躍した人物達を、勝海舟の視点から率直な意見を述べて居ます。
 西郷隆盛から、坂本龍馬、他諸々の大勢の人々迄実に面白く語って居ます。特筆すべきは「恐ろしい人物二人」と題して、西郷隆盛と横井小楠を挙げて居ます。西郷は「江戸城無血開城」を勝海舟とたった二人で談判して成し遂げた相手です。「其の人間の大きさはとても計り知れない程の大きい男だった」と言って居ます。横井は肥後(熊本)出身の儒学者で、海舟に言わせると「外国の知識なんかは俺には及ばないが、其の思想の高調子な所は俺が梯子を懸けても及ばないとしばしば思ったよ。」
 「土佐では坂本龍馬と岩崎弥太郎だ。坂本龍馬は俺を斬りに来た奴だが、仲々の人物さ。其の時俺は笑って受けたが、何と無く冒しがたい威厳が有って、よい男だったよ」
 坂本龍馬が俺に「先生 しばしば西郷の人物を称せられるから、拙者も行って会って来るによって添え書き(紹介状)を書いて下され」と言ったから、早速書いてやった。
 坂本が薩摩から帰って来て言うには「なるほど西郷と言う奴は、分からぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と言ったが、坂本も仲々鑑識の有る奴だったよ。
 この本を読んで居ますと、まるで小柄で眼光鋭い胆力の据わったお爺ちゃんの勝海舟が、目の前にチョコンと座って話して呉れて居る様な気持になりまして、楽しくて堪りません。話題も凄く豊富で、昔の日本人論から、当時の内政論やら、尽きる所が有りません。暫く此れを読み進みながら、私なりに面白いと思った所をピックアップして、続編を書いて行きたいと思います。


考古学其の10

2010-06-22 14:24:07 | 文学・歴史

 「歴史と文化」考古学 其の10
 今日の滝沢先生の考古学は愈々クライマックスの「弥生時代ー農耕社会の成立」です。日本で始まりは「水田稲作農業」の始まりが、大陸からの渡来人に依って九州北部から始まったとされて居るのが、紀元前4~5世紀だと従来は言われて来ました。 然し その後 年代測定の技術が進歩するに従い、もっと古い時代に遡るのではないか? つまり 炭素14年代法では紀元前900~750頃。AMS法だと紀元前800頃だと言われて居て、子らは未だ決着が付いて居ませんが、いずれにしても従来の説よりも500年位遡る傾向のようです。
 さて 此の弥生時代のハイライトは、農業技術の発達に依って、人口が飛躍的に増えた事です。そして 農業の発達で増えた収穫量を巡って<奪い合い=戦争>が起きる様になったのです。此れはどうも日本だけの事では無さそうで、中国大陸でも、ヨーロッパ大陸でも同様に、農業の発達が戦争を引き起こして来た歴史が有るようです。
 考古学から見た「戦争」の証拠」として、佐原 真先生著「日本・世界の戦争の起源」・環濠と逆茂木 (愛知県朝日遺跡など)
・武器の発達  (弥生中期以降の大型化・重量化)
・戦傷者の存在 (福岡県隈・西小田遺跡など)
・防御集落   (環濠、防壁)
・武器の発達  (鉄製武器の登場、殺傷能力増大)
 これ等の遺跡からの出土品に依って人類の愚かさは「弥生時代」に、それも食糧を奪い合うと言う所に原点が有った様です。其れから3000年経っても未だやってます。「人類は馬鹿ですねぇ~!!!」何時かきっと滅びるでしょう!


考古学 其の9

2010-06-15 15:39:25 | 文学・歴史

 考古学「歴史と文化」 今日のテーマは愈々「縄文時代」です。過去に於いて縄文時代と言えば、暗く貧しい時代と認識されて来ましたが、最近では、色々研究された結果どうも其れは違うらしいと考えられ出しました。
 遺跡から発掘された食物のゴミ(動物の骨・貝殻等)等から彼等の食生活の豊かさが、意外な程我々の認識を超えた者である事が分かって来ました。
 先ず 食物の獲れない冬場をのり切る為の、貯蔵方法として、土器の甕を利用して土中に保存するとか、魚や動物の肉は煙で燻して燻製にする等の知恵は既に縄文時代の遺跡から其れ等が発掘されて居ます。
 此の事から 縄文人は「定住生活」を始めた事が考えられます。つまり 石器時代の様に食べ物を求めて何時も彷徨い続けて来た時代から、安定した場所に定住して生活出来る方法を手に入れた訳です。其れが今から11,500年前で、丁度地球が氷河期から温暖化した時点だそうです。
 当然 人口も増えて、大勢の人達が集団で生活をする様になり、其の集団を支配する支配層と、被支配層に分別されて、其処に格差社会が生じました。そして集落どうしの争い⇒戦争と今日の人類の見苦しい姿が出て来ました。アメリカ西海岸では、其の時からインデアンの中に奴隷が存在したと言いますから、アメリカと言う国は一万年前から既に差別社会の国だったのですね。


考古学 其の8

2010-06-08 18:58:00 | 文学・歴史

 今日は 静岡大学 滝沢誠先生の考古学「歴史と文化」の第八回の講義が有りました。今日のハイライトは二つ、其の一つは捏造事件です。
 2000年11月に発覚しったもので、宮城県上高森遺跡で、とある有名な先生が次々と今迄の通説を覆す発見をしました。所が 其の発見は、33か所中の30か所が捏造だった事が判明したのです。バレるきっかけとなったのは、其の先生が、ある日の早朝、コッソリと宿舎を抜け出して問題の遺跡発見現場に行きまして、遺物を埋めて居る所をビデオに撮られて仕舞った事です。
 其れまで 此の先生の発見した事物は、日本の人類の起源を其れまでよりも数千年も遡ると言われる程の大発見で、考古学界が大激震に見舞われた程でした。此の先生は何が目的で斯様な事に及んだのか? 結局は単なる功名心、売名行為、或いはライバル先生への対抗意識だったのでしょうか? 学者先生にもこう言う人が居たのですね。お陰で一時的に考古学を専攻する学生が減って仕舞ったそうです。そして営々と永年真面目に積み上げて来た研究成果も一旦御破算にしてやり直す破目になって、其の御苦労はさぞ大変な事でしたでしょう。
 第二のハイライトは 後期旧石器時代(3.5~1.6万年前の最終氷期寒冷期)に 地球の平均気温が現在よりも6~8度低く、海面が凍結して15~20mも下がったと言われて居ます。だから 日本列島はアジア大陸と陸続きだったと考えられます。其の時 マンモスや、オオツノシカ、ナウマンゾウと言った大型哺乳類が大陸から移動して来て、其れを追って人類も移動して来た と 考えられて居ます。
 富士山の麓の愛鷹山麓に発見される遺跡には、其の時 大型哺乳類を捕獲する為の罠(落とし穴)が数多く見つかる事です。
 何しろ 旧石器時代の事です。石器で穴を掘るなんて事は大変な作業です。鉄の器具が作られるのは遥か以後の3世紀頃ですから、3万年も昔にそんな大作業をするには勿論大勢の人手を要したでしょうし、其の大勢を指揮監督する指導者が居た事でしょう。日本人の祖先は其の昔から組織力に恵まれた民族と言えるのでしょうか?。或いは 組織に支配され易いのでしょうか?


考古学 其の7

2010-06-01 20:09:45 | 文学・歴史
 今日は 静岡大学 滝沢教授の「考古学」歴史と文化の第7回講義が有りました。
 今日のテーマは
1.予備調査
 一.分布調査 一定の地域内の遺跡内を、ひたすら下を向いて歩いて調査する。
 二.遺物の表面採集や、地表面に残る遺構の痕跡をもとに遺跡の位置や範囲、所属時期  を調べる。
 三.遺跡分布図、遺跡台帳を作る。
2.測量調査
3.地中探査
4.試掘調査
5.それから本調査に移る。
 此処までの段取りが大変な忍耐と努力に居る作業を必要とする訳ですが、人類の誕生か らこんにち迄の永い足跡を少しでも正確に後世へ残す為には、先人たちの並々ならぬ苦 労が有ったのだと感じ入りました。例えば 埋め立てられた土の、微かに色が違うだけ でも、其処に年代の違いを見極めて、キチンと仕分けて後世に正しく伝えようと言う地 道な努力と言うものの大変さが、良く分かりました。

メディアの能力と責任

2010-05-26 15:50:20 | 文学・歴史

 司馬遼太郎のエッセイ集「司馬遼太郎が考えた事」の中で日本の歴史上の事柄に就いて度々鋭い指摘をされて居ます。その中でもメディアの能力と責任に就いてです。
 『先ず 古くは明治時代、日露戦争の時、当時のメディアと言えば新聞しか無かったが、其の新聞群の<情報収集能力><分析能力><報道能力>は、極めて稚拙であり、其れ等の無能力な為に、その後に起こした「太平洋戦争」へ大間違いの方向へ国民を誘導して仕舞った。
 当時既に、イギリスの新聞タイムスは、日本とロシアの戦力部分析を正確に取材して居り、「日本は この戦争に勝つかもしれないが、ロシアの主力を殲滅する事は出来ない。」と報道して居る。所が 日本では其れ等の重要な情報の取材も、分析も、報道も出来て無かった。其れでロシアと言う大国と戦争をしたのだ。更に 其の間違えたままの状態を維持して欧米列国と第二次世界大戦へと突き進み、推定600万人超もの犠牲者を作り出したのだ。』
 <あやまち>と言えば余りにも大き過ぎる<あやまち>です。<無能力・怠慢>と言えばとても許せない大罪です。
 こんにちのメディア(テレビ・ラジオ・新聞・インターネット等)の活動振りは果して如何なものでしょう?芸能・エンタメ・スポーツ等、安易な材料、大衆受けをばかり狙った方向に奔り、本来のメディアの有り方からずれた方向に行ってませんか!?!


考古学 其の六

2010-05-25 18:57:45 | 文学・歴史

 今日は静岡大学 滝沢 誠教授の「考古学 歴史と文化」の第六回「古環境を復元する」と言う講義がありました。
 古環境の復元に関連する分野は
 ・動物学(古生物学) 動物相、狩猟対象、家畜化(動物考古学)
 ・植物学 植物相、栽培植物
 ・地質学 地形学 地質、地形環境
 ・火山学・地震学 災害の範囲・影響(火山災害史)
 と 有りますが、この内で、動物学狩猟対象に注目すべき所が有ります。それは当時(石器時代)の人類は、既に、狩猟対象としてイノシシや鹿を其の対象にして居たのですが、成獣のオスだけを採るルールを守って居たと言う事です。つまり 資源保護の為にメスや子供を捕獲する事をしなかったと言う事実です。
 其処で思うのは、今の漁業の有り方です。かつてロシヤを始め、世界中から非難の的になった北方の鮭鱒漁業は、「日本漁船の為に海が空っぽになる」と言われました。其の遣り方は、先ず取り敢えず<雑魚>と言われる鮭鱒を満船に獲ります。そして魚価の高い<銀鱒>等を見付けると、満船にした<雑魚>を惜しげも無く海に捨てて、<銀鱒>を獲るのです。此れを度々繰り返して大儲けをした日本船団は意気揚々と港へ帰って行くのです。此れを見たロシヤから、再三の抗議には日本の農水省はノラリクラリと逃げて来ましたが、遂に逃げきれず、漁船の大幅減船に追い込まれました。「身から出た錆」で当然の成り行きです。そして今度は クジラやマグロです。
 私達のご先祖様達が、3,000年もの大昔から資源保護の努力をして来たのに、その後何の成長も有りません。恥ずかしい限りではありませんか


考古学 其の4

2010-05-12 11:30:10 | 文学・歴史

 



 今日の静大 滝沢 誠教授の「考古学・第四回」は 「年代を決定する」と言うテーマでした。
 発見された遺跡、遺物は其れの制作された年代を明らかにしなければなりません。其の作業を編年と言います。其の編年とは、年代の序列を明らかにする事です。其の手法として、?相対編年 ?絶対編年 の二通りが有ります。
 ?相対編年 とは、発見された遺物の制作年代の順番を決める事です。
 ?絶対編年 とは、遺物の制作年代を特定する事です。
 勿論 これ等??は大変難しい作業ですから、昔から考古学者が大変苦労して様々な体系を作り出したものに依ります。
 其の内 最も有名なのは、スウェーデン人考古学者モンテリュース(1843~1921)が、其の基礎を確立した「型式学的方法」です。此れは 同じ陶器でも作られた年代で夫々の形が違います。弥生時代、鎌倉時代、江戸時代と人々の生活様式が変われば造られた陶器の型式が時代の変化に依って違います。其の型式の違いから年代を特定できる、此れが「型式学」です。
 ?それから「文字資料」に依る・紀年銘刀剣・紀年銘鏡・木簡などからの特定。
 ?理化学的年代測定法 ・炭素14年代測定法(放射線炭素方)・年輪年代学・フィッショントラック法・カリウムアルゴン法 などがあります。
 これらは 何千年もの昔の人達のメッセージを読みとる方法として、昔から学者達が、ロマン溢れる仕事として努力して来た足跡なのですね。


龍馬がゆく

2010-05-06 10:19:18 | 文学・歴史


 坂本龍馬ブームです。NHKテレビの所為で、猫も杓子も龍馬・龍馬で大フィーバーをして居ます。御存じ金八センセイこと武田鉄矢さんは熱烈な龍馬ファンで、何度も龍馬が夢に出て来る程だそうです。
 そもそも坂本龍馬をこんにちの様に有名人にしたのは、司馬遼太郎が1966年に書いた名作「龍馬がゆく」でした。此れは私も読みました。其の物語の素晴らしさ、歯切れの良い文章、テンポの良さはまるで夏目漱石の様だ!と感激しました。勿論 武田鉄矢センセイも大感激で完全に嵌ってしまったのです。
 其の鉄矢さん 憬れの司馬遼太郎に逢えた時、龍馬の話をイッパイ聞きたくて溢れんばかりの期待に胸躍らせて居た所、意外な事を言われてショックだったと言って居ます。
 「いつまでも龍馬やおまへんで。日本には歴史に名を遺した偉い人は、他にも沢山居ます。そう言う人達にもっと広く眼を向けなさい」 きっと 司馬遼太郎にしてみれば、自分が書いた小説で脚光を浴びた「坂本龍馬」に依ってこれ程までに「狂信的?」になる青年が出て来たのは些か当惑したのでしょう。其れまで歴史の中に埋もれて居て、余り知られて無かった一介の土佐の田舎侍が、表舞台に引っ張り出されて照れて仕舞った部分も多少有ったのかも知れませんし、あれは小説なのだから、僅かばかり美化された所もあったのかも知れません。其れを 鉄矢センセイの様に手放しで礼賛されては作者として司馬遼太郎は、「もう いい加減にして欲しい!」と言いたい所でしょう。  でも 此の小説「龍馬がゆく」は名作でした。 


古今亭志ん生

2010-05-05 14:38:05 | 文学・歴史


 ゴーデンウイークとか何とか言っても、もう今日で終わりの様です。その間 チョコチョコと買い物などで出かけたりしましたが、テレビを見ても面白い番組は皆無で、お笑い芸人を集めて自虐的トークをさせて、面白くも無いのに大声で笑って目立とうとする男女芸人には辟易でした。それで テレビを見るのを止めまして、昔懐かしい落語の名人のDVDを楽しみました。
 古今亭志ん生と言う落語界の名人が居ました。此の人の人生は落語を地で行くようなもので、数々の面白いエピソードがあります。借金の取り立てから逃れる為に引っ越しを七度もした、とか 五代目志ん生を継ぐまでに18回も改名したと言うのも有名です。また奥さんに「あのさぁ おめぇなんで俺んとこへ嫁に来たんだ?」と聞いたら。奥さんが「だぁってぇ~ 寒いんだもん」と答えたと言う話を聞きました。いいですねぇ。!可愛いですねぇ! 志ん生と言えば貧乏の大元締め見たいなもので、大変な苦労の連続だったと思いますが、そんな受け答えの出来る奥さんの様な女の人が今は居るでしょうか?
 また 高座に上がって、居眠りを始めて粋なお客さんから「いいから 寝かせて於いてやれ!」と声がかかったとか,いい時代でした。
 私も 東京勤務の頃は志ん生目当てにせっせと寄席に通いました(時には仕事をサボって)。此の時の上司がこれまた落語大好き人間でして、大威張りで寄席に行かせて貰いました。志ん生が登場しまて、一礼して「え~・・・」と言っただけで客席からドッと笑い声が挙がり、「あのぉ~まだ何も言って無いんですが・・・」と言えば又ドッと来ました。高座に上がるだけで笑いが起きるなんてまさに名人でした。
 志ん生が 御機嫌の良さそうな時に、客席の所謂「通」から「待ってました!!」と声がかかると、志ん生がニヤッと笑うと楽屋の方へ眼で合図をします。すると 楽屋から三味線の音が来て、志ん生が小唄を唄いはじめます。「♪此れは お江戸の 四季の景・・・♪」と 此れがもう情緒触れる素晴らしい唄で、余程機嫌が良くて体調もいい時で無いと聞かれませんから、此の唄に出会えた時は本当に幸運だったと思いました。そんな懐かしさイッパイのDVDを楽しみました。


平城遷都千三百年

2010-04-29 19:59:45 | 文学・歴史


 平城遷都1300年のイベントが開催されているそうです。 歴史に興味が有る自分としては是非行ってみたいと思って居ます。 が 然し 報じられている処では、どうも其の受け入れ態勢に問題が有る様です。
 メインの大極殿は、1日に12,000人しか収容出来ない。平城歴史館が3600人と、併せても15,000人の収容能力です。 其処に内覧会の時点で36,000以上の人達が押し寄せて居るそうですから、既に20,000超の人達の入場が出来ない状態だと心配されて居ます。
 イベントとしては誠にけっこうですが、此の中へ飛び込んで行ったらどうなる事か?ともう行く前から心配です。何しろ 去年妻は頸椎の手術をして、未だ完全じゃ有りません。其れを思うとつい二の足を踏んで仕舞います。イベントの主催者さん、何とか其処を御配慮頂けませんかねぇ。