あすなろ

塾長日記

ひとりであるいていくんだよ

2011-05-20 18:56:03 | Weblog
この度の大震災、入試も終わったし電車も動かないし、計画停電だし、3日くらい、こういう時は、じっくりどうしたものか考えてみようと思っていたのですけれど、いつのまにか、それが2カ月たってしまいました。テレビは3日間、見っぱなしで、いろんな本も買って片っ端より読んでみましたけれど、結局2か月たった今もこの震災は死者の数さえ不明でなんです。この震災でこの後、日本がどうなるかなんて、結局歴史になるまでわからないですね。宮城県では回収された金庫3千、金額はカギが開かないので不明だと言います。何にも、集計ができないんです。こんな災害は1千年に一度と誰かがいえばその言葉だけが歩きだし、じゃあ後1千年は起きないのかと聞けばだれも答えられない。世の中は聖書に出てくるカオス(混沌)となったんです。

自分の頭で考えて行動するしかない。果ては実は原発はもうメルトダウンしていました。アハッ。なんて発表がなされて、もう驚くのにも怒るのも疲れたという感じです。震災の4時間後には溶解が始まっていたってならばいろんなところに放射能は降り注ぐわ。
自分の身どうするかは、やっぱり自分で考えるしかないんですね

ダメ全部だめ

2011-05-19 20:55:29 | Weblog
海上保安庁の撮影した仙台空港の津波は
最初は、電柱が倒れました。とかガスタンクが流れて来ましたとかいっているんだけれども、だんだん興奮してきて『ダメ全然ダメ』
『全部だめ』と最後は絶叫する。
わが町にコンビニの前に小型スーパーがオープンした。これが本当にすごいのだ。今日二食、私は刺身にコロッケだ。これがコンビニのように冷えているのをチンじゃないのだ。そこがすごい。コンビニには全く客がいない
オーナーは見るのが嫌なのか。全然いない。
コンビニの悪いところを発見した。コンビニはいつの頃からかプライベートブランドになった。安いということでね。ところが客は10円くらい高くても、変わった牛乳とか脂肪の多い牛乳とか好みのものが欲しいのだ。例えばコンビニはハムにしても生ハムなんていうのが単価が高いから置いているけれど、客としては真っ赤な着色料の安いハムが食いたいこともある。そこのところがいつのまにか
コンビニの味均一、面白くないものになった
客はおにぎり10円安なんて言うことをいつも望んではいない。3回目にコピーでコンビニに行くとまた客はゼロだった。『ダメ全然ダメ』『全部だめ』と絶叫している声が聞こえる。


情けないね

2011-05-19 14:59:23 | Weblog
元祖ロック歌手だそうだ。若い女をストーカーして逮捕された。若いおんなというのがすでに50歳というところがこのロック歌手のすべてを語っている。躁病だなと思った。躁病は若い時にはよ。こんなものじゃなかったというところから始まる。オレは昔は有名だったんだとね。そしてやたら選挙に立候補したり(この人も立候補してんだね)奇行が増える。何しろみんなに名前が知られていると言うことが、今は唯一のアイデンティティだからねうつ病は引きこもっているだけで、あんまり人には迷惑をかけないけれど、この病気はたくさんの人を巻き込む。大きな仕事をするから資金を貸してくれというような話をしだしたりする。病気かと思えば仕方ないんだろうけれど、情けないと思う。女優の奥さんも70歳を過ぎた男ですから自分で頭を下げていただきたいと言っている。その通りだよね。情けないの一語。自分で社会で責任のある立場だったらできないしやらないことだ。

次から次へ

2011-05-18 19:09:15 | Weblog
いくら話しても、食べ物の話しかしない母親その相談を妹としている最中にやはりゴミの話しかしない『もう20年くらいそうだ』が話に割り込んできて、またゴミの話だ。イタズラ生徒がラジオのボリュームを最大限に上げて逃げていく。先刻書いたブログの内容を蕎麦屋で愚痴ったら、
『先生を頼りにしているんですよ。みんな先生が大好きなんだから』っていつものつまらない答えが返ってきて、また疲れた。このおばさんはいつかも不況だねとしみじみ言ったら『またまた先生とのところは、大もうけじゃないですか』と言って後悔することしか返ってこない人だった。
お化けだぁと言って逃げたらそこに座っていた人がこんな顔ですかといったみたいなもんだ。


過労の限界

2011-05-18 18:54:27 | Weblog
母親が震災以来病気が進んで朝から食事の話ばかり、それも今話している話が終わっていないまま元の話になってしまう。お医者さんが家族しか聞いてあげられないから聞いてあげてくださいと言うから我慢していたけれどこちらにも生活がある。さすがに最近は持たない。吐き気さえする。いらないというのに『元気が出ないよ』もしくは『栄養がないと』と言って糖尿病の私が深夜帰ると寝ないでフライとかあげて待っている。大福が安かったからと6個並んでいることもある。ご飯は冷蔵庫から出しては電子レンジに入れるから最後にはすえたにおいがする。
かくして困ったと妹と話している最中にまた『ゴミ』の話しかしない近所の老人が人が話している最中に、『ゴミをちゃんと捨てろ』
と怒鳴り割り込んでくる。何のことだ。
もう本当に疲れて仕事が終わって座っていたけれど、つまらない話をしている気分じゃないので、一人残っている生徒に時間だから帰りなというと、ラジオのボリュームを最大限に上げて、笑いながら逃げて行った。なんだこれ。なんかおもろいか。時にはふざけんなとか切れた方がいいのかしらね。

そんなわけないじゃん

2011-05-18 15:41:43 | Weblog
震災以来 この二カ月みんなが必死に行方不明者を探しているのが、常に家族だけで(恋人や友人やあるいは債務者を探している奴だっているかもしれないのは取り上げないのだ)整然と炊き出しに、列を崩すことなく、不満も言わず並んでいることだけを『素晴らしい』と言っているがNHKの医療ボランティアのルポではあの地域は略奪強盗が頻発しているから、行かないようにというシーンがある。結局人々が静かだったのは茫然自失していただけだと思う。何でもきれい事だけではないのである
話は突然受験のことになるが、受験する学校も学校は毎日楽しくて、イジメもなく、みんな成績もよくて、なんていうこともない。むしろ説明会で正直な話をしてくれる学校がいいと思う。


今宵は偉そうに言わせていただきますと

2011-05-17 18:36:47 | Weblog
何かやるにはやりとおさないとだめだよね。
なんと言われようがブレないでやりとおす決意と実行力がね。それがないと入試でも、会社設立でもできないと思うよ。
管首相の震災対策はそれでも、協力者や、アドバイスをする人があまりにもいなすぎ、
すべての行動が思いつきで、今度サミット、フクシマで開催したいって、周りも誰もそんな発言諫めないのかね。自分の国の国家主席をそんなところへ行かせられるか。考えてもみなよ
やっぱりまだまだ避難所なんか悲惨なものでさ。2歳の子供が『ばっちゃん』なんて隣の段ボールの囲いのところへ行くと『うるさいねぇいいかげんにしろ』なんて怒鳴られたりしているシーンが放映されていた。大変だよね。こういうの知ったら何がサミットフクシマだよな。何のつもりだ。
今は自分たち個人の話に戻すけれど、とにかく何かをやり遂げようと思ったら強い決意と継続する強い意志だよね。このブログでいい加減なクリーニング屋の話書いたけれど、プロじゃない人が多いよね。わが仕事を始めて27年、フランチャイジーなんかで塾始めても2年ももたないのばかりの中で、そろそろ僕も偉そうにそういうこと言ってもいいじゃないかと思いましてね。






一人で戦え。

2011-05-17 15:10:43 | Weblog
この街に塾を作った時、渋谷に近いのに、牛乳一つ、文房具一つ売っている店がないので
唖然としたね。次から次へおフランス料理の店だのイタ飯屋だのできるけれどさ。そんなの毎日食えないんだしね。しばらくして、銀行とコンビニができた。コンビニはその後10軒はできたと思う。淘汰を繰り返している。小型スーパーもできて24時間体制で、
ここは地震の次の日でも島根県産のヨーグルトを売っていて感激したね。さて、一番古いコンビニだ。目の前に出来た信用金庫はバブルの時は頑張っていたし、信金のおねーさんたちもおそろいの浴衣で神輿なんか担いじゃってみんな顔見知りだったけれど(これはコンビニもね)その後信金も何回も合併してしまって顔見知りもいないし、積み立てなんかしたって融資もしてくれないしなにより振り込みなんか目の前のコンビニで24時間できるんだもんね。両替が必要でない業種としては行かなくなっちまったよ。そしてその信金は撤退して行った。その後に今(明日)スーパーが小型店を出す。24時間でATMもある
今度はコンビニが危機だ。コンビニの店長にあったから『大変だね』と言おうと思ったけれど、まっ関係ねーや。ひとりで戦え。







同情ばかり失礼だ

2011-05-15 20:22:44 | Weblog
このブログに、大震災のあと、2週間目くらいの雑誌に『震災を食い物にする悪い奴と言うのが、特集されていていて、それを読んで、ボクは我に帰ったと書いたけれど、それはテレビなどの報道に居心地の悪いものを感じていたからなのだ。口調がバカボンのパパみたいになっちまったけれどさ。タレントが『頑張ろう』だの『僕らは一人じゃない』だのといってさ、片っ端から歌手だの、果てはものまねだの避難所に行っているけれど一体、何なんだろうと思っていた。被災者はそんな気分じゃないだろう。家族を亡くして仕事もなくして、ローンの残った家もなくした人が、美川憲一のモノ真似みて、笑っていられるかと思った。総理大臣も、避難所に行って帰ろうとた時『もう帰るんですか。私は待っていたんですよ』と声をかけられたよね。それはあんたは来てやったと思っているだろうけれどと言う口調だったのだ。みんなみんな避難民とか、ひとくくりにされているけれど、一人ひとりに生活があってそれぞれの人生があってと言うことを考えないで、結局上から目線なんだよね。自分の人気取りばかり、それにみんな気が付いているのだ。
そんなことを考えてしまうことが特に今日ボクの身の上にもあった。別に、バカにされたとかそんなチンケな事じゃないよ。むしろ、やってきて、もしくは生きてきてよかったなと思うことだ。それで頑張るぞと思った。思ったから被災地の人々だっていつまでもやられっぱなしじゃねぇ。やるぞぉってあるいは船を出すぞって思っている時によ。じゃあ皆さんのために一曲歌います。なんてやられてもよ。うれしくないよ。『同情するなら、船なおすカネを出せ』って感じだよね。オイラも頑張る。(オイラはどうでもいいか)