MELANCOLICO∠メランコリコ!

ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

キューバの思い出

2015-08-29 02:53:19 | 日記

90年代に何度かキューバに出かけた。深い理由はないけど、キューバという国にすごく魅力を感じてた。そして、何回目かの旅を計画していたとき、日本に住んでいるスペイン人の知人がかつて50年代にキューバで働いていたという話しをしてきて、できたらその当時一緒に働いていたキューバ人の男性を探してくれないかと言ってきた。自分はすでに高齢なため暑いキューバを探しまわるということは体力的にできないから代わりにお願いできないかということだった。手掛かりはその当人の名前と、彼が革命後の60年代に働いていたという町と砂糖工場の名前だけだ。

ぼくは「とりあえずその町まで行って探してみる」と約束してキューバに旅立った。ハバナで何日か過ごした後、長距離列車でその町の近くまで行って、泊った家の奥さんにその工場がまだあるかどうかを確認したら、たぶん会社が○△通りにあるはずだとのことで、ぼくはさっそくタクシーで郊外にあるその通りまで向かい、無事その会社を見つけた。当時、キューバはホテル不足ということもあって、普通の家が外貨稼ぎのために部屋を外国人観光客に貸すということが珍しくなかった。行政の許可をとっている合法の家もあれば、非合法の家もあったけど、料金はだいたい当時で一泊10ドルから20ドルだった。

会社にずかずかと入っていって、受付の女性に手短に用件を伝えると、ワイシャツ姿の白人中年男性がエレベータで降りてきた。彼はぼくの探している男性の在職期間や名前を再度確認し、「すでに在職していないのは確実だけど、自分の知り合いの退職者の中にはその男性を知っている人がいるかもしれない」と、好意的な対応をしてくれた。でも時間が必要だとのことだったので、また午後の遅い時間に再訪問するとの約束をしてぼくはその会社を辞した。何となくいい予感がしていた。

ぼくは中心地に出て時間をつぶしたあとにまたその会社に戻った。すると、今度は、彼は小さな紙きれを手にエレベータから降りてきて、ここに住所と電話番号ががあるから連絡して尋ねてみてほしいと言った。ぼくは、彼の善意に何とお礼を言ったらいいのかわからないほどうれしく、何度もありがとうを繰り返し、強く握手して別れた。そして、携帯電話も普及していない時代で、キューバには公衆電話もなかったので、泊っている家に帰り、その家の電話から探し人の家に電話を入れた。うまくつながって、奥さんが出てきて話しができた。ご主人は確かに僕が探している人だった。でも、彼は重い病気を患っていて「今は眠っている・・・」とのことだったので、翌日その家を訪問したいと告げ、了解を得て電話を切った。

彼の家は遠かった。路線バスと路線トラック(?)の荷台で揺られ、さらに歩いて、合計2時間くらいかかった。古い家だったけど瀟洒な白い家で、出迎えた奥さんは40歳くらいの意外に若い女性だった。2階に上がっていくと、彼はソファからゆっくりと立ち上がり、東京の知人の手紙を受け取ると、その封書の裏に書かれたかつての仕事仲間の名前を繰り返し声を出して読み、涙を流しながらぼくを抱擁した。

その後の経緯はまた別の機会にしたいけど、人の出会いは一期一会で、キューバ革命が実に多くの人たちの人生を変えたということを教えられた旅だった。


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