だいぶ前に、統合失調症の女性から幻聴ってどんなものだかを聞いたことがある。複数の男性が代わる代わる耳元で「●●(愛犬)を殺せ」「そいつとやりたいんだろ、やればぁ」「お前が死んでも旦那は気づかない」「あの家の男にのぞき見されてる。殺せ」etc.. でも、その中で一番辛かったのは「●●(愛犬)を殺せ」という幻聴だったという。「本当に嫌がることばかり言ってくる。幻聴って意地悪を通り越して怖いよ」って暗い顔をした。
このときは、ぼくは幻聴の背後をイメージしてしまった。幻聴は抑圧し分離された自我の言葉だという人がいる。つまり、自分では認めたくない自分の一面の正直な発言だということだ。だから、幻聴は、人を見透かすような鋭さがあって、一生懸命否定してきた自分の嫌いな側面をえぐりだしてくるような意地悪さがある。心地よい幻聴もあるというけど、大方が不快なものだというのは、そうした自分の嫌な一面からの率直な声だからだろう。
先日来、またぼくは夢を見るようになった。というより、怖い夢を繰り返し見て、それが記憶に残り、不快な目覚めを迎えることがよくある。夢が無意識からのメッセージだとしたら、否定したい自分からの声である幻聴と似た性格があるのかもしれない。何かに怖がって、取り組めないでいるとき、夢は怖がっている自分をいろいろなイメージを以て意識にメッセージを送ってくる。幻聴ほど意地悪ではないし、責める感じではないけど、「しっかり向き合え」ということでは同じかもしれない。