かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

加津佐・路傍の神さまー耳の神様

2011年08月23日 | 日記
今日は、8月23日 火曜日 曇りから晴れ
暦の上では処暑。処はとどまる意味とか。暑さがまだ残るという意味なんですかね。それにしても不安定な天気で
突風、竜巻などの警戒情報もあり、秋の涼しい風と言うわけにはいかないようですが…。
 さて、勤務していた頃の仕事仲間であった、千々石在住のSさんの昨日のプログに「目の神様」の事が書いてあり
ました。私もSさんにならって、路傍の「神さま」を訪ねることにしました。
 津波見小学校から少し行ったところの道路沿いに、地元の人が「耳の神さま」と呼んでいる小さな社があります。
中には、さほど大きくない自然石のご神体が祭られてあり、横には「火吹き竹」が奉納されています。
 地元では「ひょこし竹」と言っています。「火起し」が訛ってそうなったのでしょう。私の子ども時代には、この
「ひょこし竹」を使って、五右衛門風呂を沸かしていたものでした。竹の筒にキリで小さな穴を開けたもので、反対側
から息を吹き込んで、火をつけていましたね。頬を膨らませて。「プッー」と吹くのですが、なかなか火が起きなくて、
耳が痛くなった記憶があります。耳の病に罹った人が、耳の通りがよくなって、よく聴こえるようにとの願いを込め
られたのでしょう。あるいは、快癒したときに奉納されたのかも知れません。今でこそ、病院で治療や薬をもらう
事ができますが、その当時は、「路傍の神さま」に頼るしか術がなかったのでしょう。
 そういえば、私も「耳鼻科」で「耳」に「空気」を入れられた事があります。想い出しても、いやな感触でしたよ。
すぐ近くには「目の神さま」もあり、眼病に罹った時、地蔵様の目を撫でたらいいとの言い伝えもあるとか。
地蔵さまが座られている台石には、「天明」の文字が刻まれています。江戸時代の「享保」「天明」「天保」年間
には、大飢饉に見舞われ、それに伴い疫病や流行病がまん延したという史実もあります。その当時の農民は「神さま」
にしか頼ることができなかったのでしょう。
 近くの田んぼでは、稲が青々と茂っています。天候異変が続いている今、秋の収穫に影響がないようにと願い
ながら、「耳の神さま」「目の神さま」がいらっしゃる津波見地区を後にしました。
 
追伸 千々石のSさん、今日のブログはあなたのお陰です。ありがとうございました。