貧乏性なので、子供の頃から小銭を空瓶などに貯める癖がある。
ちまちまそんなことをしている反面、無駄遣いばかりの時間を過ごしてきたが、ちまちまはこれからもなおらないようだ。
財布をのぞいて重い硬貨を瓶に投げ込むと、一年もすると案外な金額になる。
時々瓶から出して積み重ね、ウッシシ、貯まった貯まった\(◎o◎)/!
趣味道楽の無駄遣いをしようと密かに目論んでいると、いつの間にかカミさんがどっかに持って行ってしまう。
かどをたてるほどの金額でもないし、どうもカミさんもその瓶に小銭を入れているらしく、私分は無視で、自分の小銭貯金と思っているらしい。
いつか先に使ってやろうと考えていたのだけれど、今日、バイト帰りのカーラジオで不穏な話を聞いた。
『通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律』というのがあって、一回の支払いで、原則、貨幣は額面価格の20倍までしか使えないんだそうだ。
現在発行されている硬貨で店側に拒否されない金額は、13,320円也。
忙しいお店で小銭を積まれても堪らないというのは分かるけれど、民草として暮らし、その端数を貯めた小銭貯金も支払いで拒まれたらとても悲しい('Д')。
使えないというルールではなく、使えますよというルールは創れないものか。
例えば、購入者は一般レジで硬貨を多用してはならない。売上〇〇円以上の小売店では、サービスカウンターに電動硬貨計数機を備え付け硬貨による支払いを拒んではならない、とか。
カミさんはどうも金融機関に持ち込んで口座に入れ、出歩きの原資にしているらしい。まっ、いっか。
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<今日は何の日>
<今日は何の日>
1260(正元2年:鎌倉時代)年の今日、日蓮(当時39歳)が立正安国論を北条時頼に献進しました。
権力から距離を置くという曹洞宗、権力の中枢に入るという日蓮宗、仏教もいろいろな解釈の仕方、受け止めからがあるのだと感じます。
人それぞれでいいんだけれど、宗教は個の心の問題、政治とは違うと思っています。