おんなだって、やればできる

やってやれないことはない

「乳房喪失」

2008-12-01 23:35:42 | Weblog
さっすが!紀伊国屋書店じゃなあ!

もう、発行は、ないだろうと思っていた「中城ふみ子歌集」が、あった。

19歳のわたしが、現代短歌の歌集を買ったのが、彼女の歌集だった。
20年前、知人に貸したままそれっきりわたしの手元に戻ることはなかった。

今日、書店で見つけたときは、懐かしい幼友達に、ひょっこり出会ったようで
とても、嬉しかった。

19歳のわたしの、お手本だった。

一斉に
柔毛の光る束の間を
虚しきものに充りて座りき

出奔せし
夫が住むといふ四国
目とづれば不思議に
美しき島よ

悲しみの
結実<みのり>の如き
子を抱きてその重たさは
限りもあらぬ

剪毛されし
羊らわれの淋しさの
深みに一匹づつ降りてくる

音たかく
夜空に花火うち開き
われは隈なく奪はれてゐる

「乳房喪失」というおよそ古来の短歌に似つかわしくないテーマを
掲げたこの歌集は、ふみ子の生きている間は、批判を受けていたという。

大正11年、北海道生まれ。昭和29年乳がん、肺がんで入院

29年、歌集「乳房喪失」30年、「花の原型」出版

29年8月3日没。
一日花といって、槿のような朝咲いて夕方散る花のことを指す。

ふみ子は、一年にも満たない短い間に花が開き、
あっという間に散ってしまった。

33歳という若さで、なんとも悲惨な生涯というべきだろう。

夫とは、離縁をし、乳がんという、不治の病に冒された彼女が
三十一音に託したものは、なんだったのだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <赤い糸> | トップ | 花の原型 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事