おんなだって、やればできる

やってやれないことはない

夕日と空き缶とコスモス

2008-12-31 21:53:38 | Weblog
平成20年12月31日今年もあと数時間を残すのみとなった。

林 覚乗さんが、言われた言葉が、ある。

元旦、1月1日の初日の出を、拝む人はあっても、
12月31日の夕日に、手を合わす人はいない。

是非、感謝の心をこめて、手を合わしてほしいということだった。

覚乗さんの講演は、心打たれる話が多い。

そのひとつ、
3人の里子を預かっている住職さんがいる。
そのうちの一人が、智子ちゃんという半年前にお母さんを亡くし、天涯孤独の4歳の少女である。

或る日のこと、住職の奥さんが、智子ちゃんの机の前で泣いていた。
見ると、ジュースの空き缶に、コスモスの花が一本無造作に挿してあった。

ふと、空き缶のうしろをみると、習ったばかりの、つたない字で、
「おかあさん」と書いた紙が、貼ってあったそうだ。

おそらく、墓参りをする人たちを見て、おかあさんにおまいりが
したいと、おもったのでしょう。

どこにおかあさんの墓があるのか、おかあさんの名前さえも
覚えていないであろうに。

悲しみを知るにはまだ幼すぎます。

こんな心のこもった仏壇やお位牌は見たことがない と
その時、住職さんは、思ったそうです。

コスモスの花一本とお母さんと書いた手製のお位牌に
智子ちゃんは手をあわせたに違いありません。

なんにしても、形にとらわれることはないのです。
粗末なものでも、心を込めることが大切なのです。

わたしたちは、いま、一番たいせつなものを
見失おうとしているのではあるまいか。




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