平成20年12月31日今年もあと数時間を残すのみとなった。
林 覚乗さんが、言われた言葉が、ある。
元旦、1月1日の初日の出を、拝む人はあっても、
12月31日の夕日に、手を合わす人はいない。
是非、感謝の心をこめて、手を合わしてほしいということだった。
覚乗さんの講演は、心打たれる話が多い。
そのひとつ、
3人の里子を預かっている住職さんがいる。
そのうちの一人が、智子ちゃんという半年前にお母さんを亡くし、天涯孤独の4歳の少女である。
或る日のこと、住職の奥さんが、智子ちゃんの机の前で泣いていた。
見ると、ジュースの空き缶に、コスモスの花が一本無造作に挿してあった。
ふと、空き缶のうしろをみると、習ったばかりの、つたない字で、
「おかあさん」と書いた紙が、貼ってあったそうだ。
おそらく、墓参りをする人たちを見て、おかあさんにおまいりが
したいと、おもったのでしょう。
どこにおかあさんの墓があるのか、おかあさんの名前さえも
覚えていないであろうに。
悲しみを知るにはまだ幼すぎます。
こんな心のこもった仏壇やお位牌は見たことがない と
その時、住職さんは、思ったそうです。
コスモスの花一本とお母さんと書いた手製のお位牌に
智子ちゃんは手をあわせたに違いありません。
なんにしても、形にとらわれることはないのです。
粗末なものでも、心を込めることが大切なのです。
わたしたちは、いま、一番たいせつなものを
見失おうとしているのではあるまいか。
林 覚乗さんが、言われた言葉が、ある。
元旦、1月1日の初日の出を、拝む人はあっても、
12月31日の夕日に、手を合わす人はいない。
是非、感謝の心をこめて、手を合わしてほしいということだった。
覚乗さんの講演は、心打たれる話が多い。
そのひとつ、
3人の里子を預かっている住職さんがいる。
そのうちの一人が、智子ちゃんという半年前にお母さんを亡くし、天涯孤独の4歳の少女である。
或る日のこと、住職の奥さんが、智子ちゃんの机の前で泣いていた。
見ると、ジュースの空き缶に、コスモスの花が一本無造作に挿してあった。
ふと、空き缶のうしろをみると、習ったばかりの、つたない字で、
「おかあさん」と書いた紙が、貼ってあったそうだ。
おそらく、墓参りをする人たちを見て、おかあさんにおまいりが
したいと、おもったのでしょう。
どこにおかあさんの墓があるのか、おかあさんの名前さえも
覚えていないであろうに。
悲しみを知るにはまだ幼すぎます。
こんな心のこもった仏壇やお位牌は見たことがない と
その時、住職さんは、思ったそうです。
コスモスの花一本とお母さんと書いた手製のお位牌に
智子ちゃんは手をあわせたに違いありません。
なんにしても、形にとらわれることはないのです。
粗末なものでも、心を込めることが大切なのです。
わたしたちは、いま、一番たいせつなものを
見失おうとしているのではあるまいか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます