そりまちまみのブログ

全国英語通訳案内士・反町真弓の日記です☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

22歳のキミへ🐈

2024-01-13 | 日記

22年間を共に過ごした家ねこのきゃらが今朝なくなり、悲しくて頭がぱんぱん、目もぱんぱんです。


明日は早朝から通訳案内士の仕事なのだが、何も頭に入ってきません。


22年間、なんともシンプルではない、波瀾万丈な日々でした。


生後3ヶ月でソリマチ家の家族となったきゃら。本名はキャラメルちゃん、血統書付きのベンガルでした。



性格は優しくておっとりしていてお嬢さま。おしゃべり好きでいつもにぎやかにお話ししていました。



マスコットを投げるとすっ飛んでいって加えてもってくる、犬要素もありました。



しかし、2年後のソリマチの激しい妊娠うつから始まり、子育て中はおかまい出来ず、そのうち全国通訳案内士として独立しはじめ、きゃら7歳で離婚。その後東日本大震災の時にはロングツアーは全滅し、毎日家に帰れるプライベートツアーのみで2年ほど過ごした期間もあったけれど、回復後はロングツアーを1年中していたので、ほとんど家にいなくなり。

娘だけでなく、きゃらにもかなりかなり寂しい思いをさせてしまったと思うんです。



ベンガルは抱っこが大嫌い、それでも最初は膝に乗ってくれていたのに、あまりに家にいないので、そのうち膝も嫌になり、「持ち上げてくれるな」ねこにしてしまったかもしれない。


みゆこが中学生になったのを機に、一戸建てからマンションに引っ越し。それは、15歳になったきゃらがそろそろ階段上り下りがキツくなってくるかな、と考えたこともありますが、マンションのセキュリティの高さからみゆこが留守番出来るようになると、お留守番の日数もかなり激減。


そして、コロナのパンデミックの時には、通訳案内士のソリマチは仕事がなくて在宅通訳・翻訳者となり、外にもほぼ出掛けられないので、ようやく、いつも一緒の日々が戻ってきました。



3年間も、毎日一緒。きゃらは変わらずのおしゃべりさんでした。

通訳案内士は決まったお休みがないし、ずっと仕事に突っ走っていたら、きゃらが幼かった頃のようなべったり一緒の日々は最後まで作れなかった。なので、私にとってコロナには良い面がいくつかありました。




きゃらは病院へ行くことはめったにないほど体が丈夫でした。それが、去年の3月のツアー中、突然みゆこから「左足の踵の毛がなくなっている!」との連絡。ツアー中なので身動き出来ない。家に帰れるのは数ヶ月先。そこで、みゆこに動物病院に行ってもらったところ、腫瘍でした。



高齢なので、麻酔も手術も出来ない。病院で出来ることはない、と言われました。



そこから、手探りでの、自宅での手当てが始まります。私は2月から7月まで、そして、9月から11月までロングツアーでほぼ留守にしていて、手当てと看護はほとんどみゆこがひとりでやりました。例年ならば、ロングツアーのシーズンは3月〜5月・10月〜11月のところ、去年はコロナの反動でロングツアーがとても多かったのです。



医学の知識もないのに、本当に試行錯誤でした。特にソリマチは不器用で、きゃらにも迷惑かけたことでしょう。手探りでパッドを作り、消毒は手作り酵素に頼る日々でした。

それでもなんとか10ヶ月生き延びてくれて、一生懸命歩いてくれて、最後はかなりしんどかったと思うけど、4日くらい前から飲食をほぼしなくなって、だんだん歩けなくなり、安らかでした。22歳、大往生だと思いたいな。



留守中にお世話になるのがキャットシッターさん。

中でも、一番長い年月、170日近くもお世話になったシッターさんが昨日今日と駆けつけてくださいました。昨日はシッターさんの声がけに何度も起きあがろうとしたきゃらにマッサージをしてくださったり、温灸キットを貸してくださったり。



そして今日は、たくさんのお花と、きゃらの毛で作った手作りストラップをもってきてくださいました。何よりの宝です。



今週末のお葬式には、実家の母やたまたま実家に来る予定の兄弟家族も立ち合ってくれることになりました。



しばらくの間、目が腫れて情けない状態ですが、22年間のたくさんの良い想い出に思いを馳せます。



きゃら、22年間一緒に生きてくれてありがとう。会えてよかった!



最後までお読みくださってありがとうございました。


感謝。

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