植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

今年のドラフトは辛く見てて95点だったと記録しておこう

2022年10月21日 | スポーツ
こてこてのプロ野球ファンのワタシに限らず、多くのスポーツファンにとって、注目度が高い2022ドラフト会議が行われました。個々の試合を観るより、年に一回のこのイベントの方がはるかに面白く興奮するのです。この先贔屓のチームがどういう構成になり、次世代を担う原石が入って来るか否かはわが巨人にとって最も重要なポイントであります。

今年のドラフトは、戦前から、目玉が少ない不作の年と言われました。何十万と言われる「プロ」を目指す野球少年・球児たちが年によってそうそう大きな格差が出るはずもありません。優れた選手が松坂世代など、特定年に集中することは否定しません。それは、小さな子供が憧れるような(その親が野球で稼がせようと思う)野茂やイチローなど大活躍した時期に、適期を迎えた少年がサッカーやゴルフより野球を選ぶ、といった要因が大きいのですが。

今年が、不作と言われる原因は、二つです。一つは高校野球の地方予選・甲子園で有力選手(特に投手)が目立たなかったことにあります。体調不良や県予選での敗退など地方に埋もれて各球団の目に留まりにくかったのです。この夏の甲子園でも、大阪桐蔭の強さは目だったものの、傑出した投手、スカウト注目の選手が少なかったのは事実です。

もう一つの理由は「コロナ」でした。この3年と言うもの練習はともかくとして対外試合が極端に減り、個々の選手の経験値が向上しにくかったのに加え、各球団のスカウトがチェックする機会が限られた結果、アマ球界に長くとどまる(データがある程度蓄積している)大学・社会人に目が行ったのであります。それとてコロナによる制約で情報収集が難しかったに相違ありません。

それがあって、過去にない事前指名9チームで、競合選手がいないという異例の展開となりました。先に言ったもん勝ち、というか、例年のドラ一に匹敵するレベルの上位選手が少ないので、他球団と競合する前に唾つけた、とけん制したのです。競合してくじを外し、外れ1位も外すなどと言う愚挙(巨人の得意技)では、有望な選手が獲れないと判断したのです。

結果として、くじ引きになったのが2選手各2球団ずつ、トータルで上限120名に対し、支配下69名という非常に少ない指名に終わったのであります。勿論これは、試合に来る観客数の激減による収入減、長引く企業スポンサーからの協賛金の減少、なども影響し数打てば当たる方式が通用しにくくなっているのです。

で、肝心のわが巨人軍のドラフト会議の結果であります。事前の予想と希望は下のブログに書きました。

果して、今回の採点は95点で良かろうと思います。支配下5名と少なかったのと、野手3人というのは意外でありましたが。
それでも、ここ10年振り返ってみても一番の出来であったと言えます。それは、将来は分かりませんが、現段階ではほぼ唯一衆目が一致して「特A」とした超高校級「浅野翔吾」を阪神との一騎打ちで引き当てたからです。浅野選手は、夏の甲子園ではその長打力・打率・走力の素晴らしさを存分に発揮して即戦力に最も近い高校生という評価であったと同時に、171㎝と小柄で、伸びしろが少ないとして指名を見送った球団もいたと思えます。わが巨人でも、小柄な選手はほとんど上位指名はしていません。

今までこのブログで再三指摘してきたことですが、そもそも、高校生では見送られたピークに近い大社選手を評価して取ることに反対してきました。実際巨人では即戦力として活躍した選手は少なく、なおかつレギュラーとして活躍できる年数も短いからです。

今回のドラフトでも、ワタシはどれだけ才能豊かな伸びしろのある高校生をどれだけ取ってくれるか、に注目していて「浅野」1位指名を一番最初に公表した時、久しぶりにワタシの声が届いた、今年は大丈夫だ、と確信していたのであります。未公表3球団中恐らく浅野指名があるだろうと覚悟していましたら、やはり阪神が来ました。しかし、今回ばかりは頂きだろう、11連敗で終止符が打てるだろうと感じたのです。何故なら、いち早く指名選手を公表したら獲得する確率がとても高い、くじ運の悪さは阪神も巨人並、疫病神の様な風貌の(知らんけど(笑))岡田新監督が就任したことにあります。

本来なら、2位指名で高校生左腕投手に行って貰いたかったのです。左の先発・中継ぎが枯渇し投手力不足は明らかなので、あとは全員投手でも良かろうと考えていました。しかし、門別投手や田中晴也・齋藤響介 ・甲子園を沸かせた山田陽翔 など獲得できるタイミングで取らず、Bクラスの評価だった東京六大学3冠王(予定)の萩尾匡也 慶応大)になりました。ドラフト下位でも取れそうな評価の選手でしたが、左右の違いこそあれ「高橋由伸2世」を選んだからには、スカウティングで即戦力野手と評価したのでしょう。

3位と5位は高い評価を受けている「田中千晴」と横手から投げる社会人「船迫 大雅」 、いずれも力任せでは無い制球力がある好投手で、ケガさえなければ手薄であった中継ぎとしていけるでしょう。

そして育成ドラフトは7名の投手の内、高校生が6人で、ソフトバンクのように鍛えて体を大きくすれば化けるかもしれない原石を集めたのは流石でありました。

特A選手を引き当て、手薄な外野手と中継ぎ投手に即戦力を取る、さらに衰えと怪我による坂本選手の当面の補充しとして俊足好打者の門脇 誠を取るというバランスよい補強になりました。 
そんなわけで、前回に書いた指名公表済みの選手を除く「獲れればいい選手」11名のうちの2名が交渉権獲得だったので、100点満点にしてもいいくらいであったのですが、支配下で左腕の高校生が取れなかったこと、プロ向きと期待していたお気に入りの「山田陽翔 」を見送ったことを-5減点にいたしました。
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秋が深まる すっきりしない朝

2022年10月20日 | 雑感
気が付けば秋、なんだかんだ言っているうちにまもなく冬なのですね。只今の気温は気温10℃、冷え込んできます。昨年の今日のブログは赤く色づいた柿のお話でした。禅寺丸という不完全甘柿は、今年も沢山実をつけていますが、血糖値が高いワタシは、一口か二口食べるだけに止めています。甘いものを制限している一方、いつもなんとなくすっきりしない、もやもやした状態が続いているのです。

もう一種の甘柿が日本一甘くて美味しいと言われる「花御所柿」で今年は7個実がついているのですが、昨年の今日時分の写真では、すでに橙色に近く熟れているのに、今年はまだ明るい緑色です。最近まで妙に暑かったせいで、本来グッと甘くなるまでの低い温度に晒されなかったのです。これはブドウなどの秋の果物全般に言えますが、寒くならないとでんぷん質が糖分に変わって行かないのです。

ドリフターズの仲本工事さんが亡くなりました。往来の多い横浜の車道を横断しようとして車にはねられ、そのまま意識が戻らなかったのです。一世を風靡したコミカル・コントグループの名バイプレーヤーでした。出しゃばらず存在感が薄いのに、彼が居ないと面白くない、といった印象の方でした。いかりやさんや荒井注さん、志村けんさんと、だんだん寂しくなりました。昭和は遠くなりましたね。

昨日は国会中継で、さかんに旧統一教会の関連質問・答弁を延々とやっていました。宗教の自由、宗教法人は憲法で守られていてそれはそれで尊重すべきです。しかしながら、宗教に身を隠した詐欺集団を「宗教」と扱うからいけないのだろうと思います。憲法では、「宗教は政治上の権力を行使してはならない。」 と書かれていますが、実際は公明党と言う団体はれっきとした宗教法人「創価学会」と一体なのに、黙認されているのが不思議でなりません。政教分離は名ばかりなのですが、これを正そうとしないのも統一教会の問題もいずれも、自民党と言う怪しげな集団が「選挙と権力」を守るために利用し放任してきた、という印象はぬぐえません。

それにしても、円安・物価高・賃上げ無きインフレ(あついは不況下のインフレ=スタグフレーション)・コロナ、ウクライナ侵攻など様々な問題が山積している中で、延々と統一教会を取り上げている国会議員の皆さん、優先してやるべきことは他にいっぱいあると思いますが、いいんですか?

話は飛びますが、昨夜はヤフオクに魅力的な古印が大量に出品されていました。一昨日も集中していて通算30個以上入札に参加しました。しかしながら、どれもこれもすぐに1万円を超えてワタシの手の届かない金額に吊り上がって行きました。5千円ほどで一時は最高値であったのが落札されたのは十数万円!、あぁ欲しいないいものだな、と思うのが値打ちものだったという意味では、だんだん目利きにはなりつつあるのですが資金が追いつきません。そもそも円安によって、割安感が出た篆刻印や文物を、コロナの移動制限・ロックダウンで行き場のないチャイナマネーが、ヤフオクにも流れ込んでいると思えるのです。いささかやり過ぎ高過ぎの落札額を見るにつけ、中国人が買い漁っていると疑わざるを得ません。

せっかくの逸品・掘り出し物を目の前にして指をくわえて見ているほかないので、欲求不満・すっきりしませんね。ある方の出品3点の内、千円ちょっとのほとんどタダ同然印1個だけ落札しました。なんだ、送料の方が高いじゃん・・・。他の二つの出品物の印はどちらも3万円前後まで上がったら、結局は入札取り消しになりました(´;ω;`)。深夜までエスカレートして入札が続くと、ある時点で何かストップがかかるみたいです。時間制限なのかな?

本日は久々に秋晴れとなるようです。放射冷却でこの秋一番の冷え込みが予想される中、これからゴルフであります。せめてゴルフくらいすっきりきっちりやりたいものです。
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メダカがいなくなったのは改良メダカのせいじゃない

2022年10月19日 | メダカ
ちょっと前のニュース番組で、メダカの話題が取り上げられていました。
その内容は、近年メダカブームによって品種改良が行われた結果、日本には存在しなかった新種メダカが増え、飼い切れなくなった飼い主が川や湖に放流した結果、日本の固有種が淘汰されつつあるというのです。

すでにメダカは「絶滅危惧種Ⅱ」に指定されているのです。固有種は「二ホンメダカ」と呼ばれ、愛好家はこのメダカの突然変異種や特徴的な外観のメダカの選別交配、近種との交雑などを経て21世紀に一気に「改良メダカ」ブームに突入しました。かく言うワタシも、7年ほど前に赤・白などの色メダカを13匹購入したのをきっかけにメダカ飼育の楽しさに触れ、その後ダルマ系・楊貴妃・ミユキ系・オロチ系黒メダカと徐々にその種類と数を増やしてきました。屋上では、4千匹以上の色とりどりのメダカが暮らしております。

その番組は、固有種メダカが消えてゆく中、改良メダカがそれにとって代わっていて、いかにも自分勝手に改良メダカを川に放つ飼い主や改良メダカのせいだ、という風に聞こえました。しかし、かつてどこにでもいたありふれたメダカを駆逐し住みにくくしたのは、改良メダカでも愛好家でもありません。野山を切り崩し宅地化、自然の小川は潰されて生息できる場所がどんどん減りました。田畑に夥しい農薬が使われたおかげで、農村部ですら用水路や川にが棲めなくなってしまいました。大きな河川には生活排水から工場廃水まで流れて、一番小さく弱いメダカたちは消えていったのです。

メダカに限らず自然界から様々な種を絶滅させてきたのは、ほかならぬ人間(日本人)であります。経済発展のかげで犠牲になった環境破壊を一概には悪と決めつけることは出来ませんが、自然と共存し美しい山野や動植物を保護し守っていくという「未来」を見据えた世の中や活動を見失ってはならなと思うのです。

20年ほど前には自宅の庭には「ヒキガエル」がいました。10年前に畑をやるようになってから、一度はガマガエルらしきものも一時棲みついていたのです。しかし、今は野良猫以外にワタシの菜園に来る動物はみかけません。野鳥や、昆虫・害虫だけは来ますが。

野菜や果物を荒らす害虫たちだけは、見つけると殺虫剤を使うこともありますが、出来るだけ無農薬で育てております。最低病気にならぬように殺菌剤(消毒)も使います。無農薬で植物を枯らしては元も子もありませんから。植物を沢山育てるのは、ほんのささやかな力ではありますが、緑化によって地球温暖化・CO2問題に役に立つと考えているからでもあります。それとて、雑草は除草剤を巻き年中草取りをしている(笑)ので、自分勝手と言えばその通りですが。
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篆刻も宗旨替えして 一からやり直そう

2022年10月18日 | 篆刻
斉白石さんの印を摸刻して7.8個彫りました。通常は字の片方から斜めに石を削り反対側から同じように印刀を入れてV字型にくぼみを作るのが普通です。斉先生は、単入刀法という片側からのみ、印刀を入れ、反対側はその刃のはじき方や動かし方で凹凸や曲面を出すという作法です。

実際これを試しにやってみると、徐三庚さんや趙之謙さんなどの摸刻とは全く異なることに気づき、出来上がりも今までとかなり違うタイプの印となることを実感しているのです。斉白石さんの印は直線的に字画で、素朴とも違う荒々しい線質を残すのが特徴です。一見ヘタに見えるような印ですが、技巧に走らない枯れた芯のある作風であります。しかし、本音で言うと単入刀法があまり好きになれないのであります。ワタシには、柔らかく繊細な曲線を交えた「技巧的・装飾的」印を細く小さい印刀でチマチマと彫るのが性に合っていると感じるのです。

ワタシは篆刻で食べていく必要も無ければ、芸術的な作品を追求する書道家でもなく、ただの篆刻愛好家で満足しているのです。自称篆刻家で、人に頼まれれば喜んで彫って差し上げる、自分の技量や作品の質が上がれば素直にその成長を自画自賛するだけの事であります。

ですから、何も嫌々好まないような彫り方を選ぶ必要も無く、自分の好きな作風で好きな(慣れた)刀法で修練すれば良かろうと思いました。そこでたまたま入手したのが「大東文化大学」の書道テキスト「第10巻篆刻」であります。


かつて現役であった時の会社の上司が、偶然、現代日本の篆刻界を代表する一人、故「河野隆」先生の義兄であったのです。(勿論篆刻などに何の縁も興味も無かった若き日のワタシが知る由もありませんでしたが)。
その先輩に頼んで河野先生由来の遺品をお願いして送っていただいたのがこれです。
偶然と言えば、この河野先生は、ワタシと同郷、大分県出身、更に学部は違えど同じ大学(横浜国大)卒業でありました。また、ワタシの仕事場から徒歩圏には河野先生に師事したという篆刻家さんも住んでいるし、個人的な書道繋がりのグループLINE12人のうち二人が河野先生と関係があったことを知りました。

さすがその道の第一人者が、芸術家・書道家を志すような熱心な学生に対峙してきちんと教えるために執筆しただけあって、大変よくできた分かりやすい教材でありました。そこで、斉先生の摸刻を中断し、このテキストに従って勉強し直そうと思いました。天国にいる河野先生の講義をリモート受講し篆刻の基本を学び直そうと思うのです。40数ページに及ぶ印譜は、それぞれ先生が厳選した名人・名刻で章法・刀法によって分類し「均布・粗密・屈曲・呼応・・等々」多彩な要素や特性をそれぞれ図説しているのです。

早速昨日、その摸刻に掛かりました。今まで、我流で好き勝手に彫っていて「目打ち」を使って下書きの線を彫ったり、いろんな印刀を変えながら何度も補刀していました。そのため弱弱しくふやけたような線になっていました。一から学び直すので、篆刻の王道である、「一本の印刀のみを使い、一刀のもとで、極力同じ場所をなぞらない」ことを意識しました。歳のせいでぼやけて見え、手元もいささか怪しくなっているのに加え、今までとは全然違う彫り方をするのです。
ハッキリ言えば、下手です(笑)。似せるだけなら、今までのやり方ならば、もっとうまく彫れます。

でもいいのです。途中入学した老学生が初めて篆刻にチャレンジしたと考えればこんなものでしょう。これはあえて手直しせず、どんどん彫ることに徹しようと思います。テキストには約350個ほどの「お手本」があるので、毎日2,3個、これを全部彫り終える頃には、大学の卒業作品程度まで上達できるのではなかろうかと期待しているのです。
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歳をとるのも満更悪くはない

2022年10月17日 | 雑感
世が世なら本日はゴルフの予定でした。高校生(大分上野丘)の時の同級生が、卒業後50年近く経っているのに、旅行やら飲み会・ゴルフで集まることが続いています。卒業生の中には弁護士や医者なども大勢いますが、そうした人は別世界で、いまだに現役で働いているのでほとんど交流はありません。なんとなくサラリーマンをやって、60歳過ぎてぼつぼつ退職して暇になった、凡庸な仲間が集まるのです。「類は友を呼ぶ」そのまんまですね。

まだ30代40代の頃は、仕事に追われ家族のことなどで手いっぱいだったのに、いつの間にか故郷の事が思い出され、かつての同級生と再会するようになりました。年取るにつれ里心が付くというのでしょうか。変人でなる優秀な仲間の一人がポツリと「以前は旧友なんかには会いたくも無かったのに、最近は楽しみなんだよな」と言ったのを思い出します。

共通点は、歳相応に常識的で慎重になっているので、このところの不順な天候を危惧し、天気予報で「雨」とみた幹事が、数日前に中止を打診してきて、異論もなく取りやめたのです。結果としてやれば少雨でプレーできたかもしれませんが、冷たい雨に濡れて風邪をひいたら堪らない、無理に千葉まで2時間をかけて行ったら中止、といった最悪の事態を考えて事前に取りやめるというのが、ワタシ達が成長した証しか年老いた証拠かのいずれでしょう。

先週の木曜日も以前の勤務先(金融機関)のOBで構成する会のゴルフであったのです。これも、平均70歳半ばの御老体(年寄り)の集団なので、はやばやと雨を見越して中止となりました。無理して風邪を引いたら「コロナ」かもと疑うのが嫌なのです。

コロナと言えば、昨夜は当地で先週の3連休の日曜日に開催した「地区レクレーション大会」の反省会であったのですが、自治会長のワタシはこちらは欠席しました。その日、ワタシの倅の結婚式を鎌倉で行ったので一族が集まり、当然地区レクは欠場したのです。それはそれで反省会に出ない理由にはなりませんが、なんとワタシの身内に「コロナ陽性者」が出たのです。

遡ること10日ほど前、新潟に暮らす3人の子供を持つ長男から、生後10か月の娘(ワタシの孫娘)が高熱を出した、更に翌日小4の長男も発熱した、というのです。38℃越えの発熱でPCR検査や抗原検査をしたが陰性だったということで、熱も下がって当地平塚へ結婚式前日に合流したのです。ところが、翌日式を終えて平塚に戻った夜、その倅の次男が39℃近い熱を出し、朦朧とした中でうわごとまで言い始めました。

解熱剤を飲まして、孫にはかかわいそうですが、連休の最終日に長男家族は新潟に帰って行ったのです。すると翌日の火曜日、今度は長男の嫁が高熱になったというではありませんか。抗原検査は陰性でしたが、医者に受診したところPCR検査で陽性通知が来ました。同時に長男が発熱し体調が悪いと連絡してきました。つまり10日前から家族5人が順番に高熱を発し、何処かの段階でそれが「コロナ感染」であったという推測になります。(医師の話だと、恐らく一番上の孫がコロナだった、とのことです)。その孫のクラスは、その直前に「コロナにより学級閉鎖」だったのです。

彼らが当家に来た先々週土曜日には、家族5人の内誰かが感染中であったと思う外ないのです。すると三日間一緒に過ごした家内とワタシは「濃厚接触者」ということになります。

そこで、一気に心配になったのが結婚式の出席者が感染し、披露宴クラスターが発生していないか、ワタシ達老夫婦が感染してないか?でありました。結婚式当日のスケジュールがきつく、朝7時から帰宅したのが夜6時、その間休憩も無く水も飲まないで、緊張した一日を過ごし疲労困憊でありました。そうでなくてもワタシは基礎疾患を抱えた高齢者の範疇に入ります。夫婦ともに2,3日ぐったりし体調も良くなかったのですが、もしかしたらほぼ無症状ながら、オミクロン株に感染していたのではないかと思います。幸いにして式の関係者にはそれ以外体調を悪くしたという話はありませんでした。

急いで薬局で「抗原検査キット」を二個買ってきました。いささか遅いタイミングではありますが念のためです。そこで、使ったのが1個、家内が試すことにしました。家内とはずっと同じ生活同じ部屋にいるのですから、二人検査しても違う結果にはならないでしょう。孫との接触が家内の方が長かったので、罹ってるなら家内だろうと考えました。これが「年の功」というものです。もう一個は、次の機会までとっておけばよかろう、であります。

で、結果は「陰性」、つまり昨日夕方の段階で、彼女の鼻の粘膜からはコロナウィルスは検出されなかったのです。が、しかし、結果として少なくとも4人がコロナに感染した新潟の親子も、通算3回キットを試していずれも陰性であったので、その有効性には疑問を抱かざるを得ません。歳を取ると疑い深くなるのです。

今月5回の予定であったゴルフが3回キャンセル(一回はワタシが失念)、夜の会合を一つ欠席する羽目になりましたが、その空いた時間は書や篆刻、はたまた読書などに割くことが出来ました。

ということで本日の結論は、歳をとるのも取り方次第でさほど悪いものでは無い、と、抗原検査キットはあてにならん、でありました。
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