自分さえ良ければそれでいい。
すごく嫌いな価値観でした。
他人のことはさて置き、自分だけ幸せになる、または幸せになろうとする。
自分だけ助かる。助かろうとする。
そんなことをする人間にロクな奴はいない。
そう思っていました。
でも、その嫌いだった人間に、最近は自分がなっているのではないか、
と、この夏の熱帯夜続きのある真夜中に、ふと思い強い不安に襲われました。
おそらく周囲にいる人は「そんなことないよ」とか、
「君はそんな人じゃない」と否定してくれるような気がします。(分かりませんが笑)
当然、オイラという人間自体が変わったわけではないので、
100%そのような性格になってしまった、というわけではありません。
うまく言葉では言えませんが、
昔は、「自分のため5、他人のため95」くらいの意識で生きていたはずだったのが、
今は、「自分のため、他人のため」のバランスが一体どのあたりにあるのか、不明なのです。
でも、何かが変わったんでしょうね、きっと。
以前(かなり前ですが)、このブログでも書きました。
他人のために生きることが「素晴らしい」と思って生きていたオイラは、
ある日、ある人から、「自分を大切にできない人は、本当の意味で他人を大切ににできない。」と言われ、
大きな大きな衝撃を受けるとともに、
「自分の生き方はちょっと間違っていたんだな。」と即座に思いました。
(その発言の主も他人中心で生きている「同志」だと思っていたから余計に驚きました。)
人からそのように言われても、気にしなければ済んだのですが、
その時のオイラは何かモヤモヤしていて、
忙しいわりには色々なことが前に進まないという漠然とした悩みを抱えていたこともあり、
その言葉を聴いた時に、
「あ、それだ。」と、ストンと胸に落ちた、妙に納得したような気になったのです。
他人のために生きるということは決して悪いことではないのですが、
大切なことは「中心」「基本」「スタート」などの重要な要素が、
自分にあるのか他人にあるのか、なのです。
その時のオイラはあまりにそれが「他人」であり過ぎていたのです。
そのまま、「これが自分の生き方だ」と貫ければ、それで良かったのかもしれません。
しかし、明らかに「なんか変だな~」と思っていた自分には十分過ぎるほど、考えさせられる言葉だったのです。
自分の幸せをどうでも良いと思っていたわけではないけど、
どういうわけか人のために生きることが好きだった。
そんな生き方だから「できたこと」「得たもの」もあったでしょうし、
決して悪くはない生き心地でした。
自分の中で、何が明確に変わったのか、もう少し考えてみようと思います。
その時とは、年齢も生活状況もまるで変っていますから、
「変化」の中で何かに合わせて変わっていっているだけなのかもしれません。
どうにせよ、自分であることに変わりませんからね。
その他にも考えなければいけないこと、やるべきことは山ほどあるわけですが、
その「考える」という行動と時間を楽しもうと思います。
「悩む」のではなく「考え」ようと思います。
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