松実ブログ

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どんな「形」になるの?いつ返してくれるの?今、頼んでいるんだけど。

2014年11月26日 09時00分00秒 | Weblog

日本語の乱れが話題になり始めてから久しくなります。よく言われるのは「ら抜き言葉」と余計いな「さ入れ言葉」です。

例えば、ら抜き言葉では「食べられる」を「食べれる」、さ入れ言葉では「行かしていただきます」を「行かさせていただきます」等があります。でも、これらには、日本語の変遷として仕方のない理由があります。ら抜き言葉で言えば、「られる」が尊敬表現で使う「られる」と同じである事、「取れる」などの「れる」が可能表現であることから、「食べられる」を「食べれる」と言ってしまっているのでしょう。やがて、正式な文法として定着していくのかもしれません。「何々させていただきます」はまだ違和感が強いのですが、英語で"Let me XX."という表現があり、これを正確に訳そうとすると「XXさせていただきます」が一番ぴったりきます。このように、日本語は文法の揺らぎが大きい言語と言えるでしょう。


しかし、最近、このような環境的あるいは文法の誤用とは違う理由で、奇妙な婉曲表現が増えています。特に、接待業で丁寧に表現しようとして、過剰な婉曲表現になっているようです。

例えば、何々の「形」となります、お「預かり」します、宜しかっ「た」でしょうか、等です。元々、日本人は直接表現を嫌いますから、今では必ずしも丁寧な言い方ではありませんが、「お前」は、相手を直接示すのは恐れ多いので、「御前」である「貴方の前」と少し視点をずらして間接的に相手を指し示しました。それでも、丁寧語としての「お前」がだんだん怪しくなっていった江戸中期からは、「お前様」と「様」まで付けるようになりました。「きさま」という言い方も漢字で書けば「貴様」ですから、どこにも相手を蔑む部分がないのですが、今では、大変な侮蔑語です。慇懃無礼という言葉もあるように、過剰な婉曲表現や尊敬表現は反対の意味に取られることもありますから、先の言い方も使い古されるに従って侮蔑表現になるかもしれません。

ですから、余計な言葉を入れてぼかしたり、もらうのを預かったとごまかしたり、過去の事にして話題をずらさず、「何々となります」や「頂戴いたします」あるいは「よろしいでしょうか」などの素直な言い方が良いように思われます。


今回の名言

アンネ・フランク

希望があるところに人生もある。希望が新しい勇気をもたらし、再び強くしてくれる。」

"Where there's hope, there's life. It fills us with fresh courage and makes us strong again."