「(これから先の人生)夢を持っても幸福になってもいけない。
一生苦しみ続けていく。」
この言葉は、数年前に世間を震撼させる事件を起こした男が、 刑務所から出る際に言った言葉だそうです。(実際には仮退院だが)
幸せの形は人それぞれあるが、 すべての人間の行動および活動は「幸せ」になるために行っているはずだ。
不幸になることを求め、突き進もうという人間はいないはず。
人間として生きている以上、「幸せ」を探究することを、誰もが許されているものだと思っていた。それが「自由」ということだと思っていた。
だけど、この世の中には幸福になってはいけない人間がいる。 夢をもつことさえも禁止される人間がいる。
たまに考えます。
極刑とは・・・なんだろうか。
生きながらに、夢を持つことや幸せになることを断念し、苦しみながら生き続けることも、 死刑に処されるのも、どちらも極刑なんじゃないかって。
他人の命を奪ったのだから、自分の命をもって償うことは当然だろう。
しかし、冒頭の彼の言葉のように、
「(これから先の人生)夢を持っても幸福になってもいけない。
一生苦しみ続けて いく。」
これから先の人生、
本当に彼が夢も希望も幸福も全てを断念しながら生き続けるなら、
非常に孤独で、生きていく糧を持つことも出来ずにそれでも生き続けるなら、
これも極刑だろうと思うのです。
しかし、どうなのだろう・・・。そんなこと可能なのか。 人間はそんなに強くない。 夢も幸せも希望も無いなかで、生きていけるはずがない。
「そろそろ幸せになってもいいんじゃない。」 いつかそんな言葉に甘えて、人間としての「幸せ」を、ついに彼がつかんでしまう時が、 苦悩と償いの暗闇の日々に、光が射しこまれる瞬間が来るのではないだろうか。
生徒たちに「夢や希望」を聞くことは多い。
それは、彼や彼女らにそれを求める権利があるからだ。 絶対に大丈夫だが、 俺が触れ合っている生徒たちが、その権利を奪われることがないように、 絶対にそんなことはないはずだが、いつも気をつけていこうと思う。
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